チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「『下衆』『ヤバい』が語源はかくやありけむ。 I guess」

2011年11月15日 00時25分35秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
テレ朝の20時からの今夜の「Qさま/プレッシャー・スタディ」は、
「東大&京大軍団」だった。そのメンバーのひとりは、
東大文3から工学部、東大大学院、そして、
マッキンズィー&カンパニー、という華麗なる経歴の
女お笑い芸人石井てる美女史である。
しょっぱなの1問目に同女史は、
さすが、アンタッチャブル山崎(ザキヤマ)の
下衆ヤバ夫芸が好きというだけあって、
「椿事」を選んだ。キャンタマではないにしろ、
チンじ、である。そして、
2問目に選択したのはその持ちネタである英語の憶えかた、
occupy(オキュパイ=男が占領したいのは"大きいパイ")
を活かした「乳帰る」の菊池寛である。ちなみに、
いまは父親が会社から帰ってきても子供も奥さんも、
口きかん、ということが多いらしい。ともあれ、
京大卒ロザン宇治原と東大卒三浦女史が正解して、
お笑い芸人伊集院光が誤答し、
勝敗を決したのは「米」偏だった。
イタリア語でrisoは「米」とは別に「笑い」を意味する(※)。

【下衆(ゲス)】
巷でこの語は、
「心根の卑しいこと。そのような人」「 身分が低い者」
などと説明されてる。ところが、その
由来・語源にまで言及はしてない。が、
私は以下のように解す。

「下司・下種・下衆」はもとは律令制下で、
[従五位下(上司)←│→正六位上(下司)]
で分かたれる昇殿を許されない位階身分の
地下人(じげにん・しもびと)のことを指した。それが、
→「身分が低い者」→「出自が卑しい者」
→「性根が卑しい者」
という意味に転化してったものである。
たとえば、平安中期の
「大和物語」第148段(いわゆる蘆刈伝説)では、
・あひ知りて年頃ありける女も男も、
いと【下種】にはあらざりけれど
・さすがに【下種】にしあらねば
という使われかたをしてる。そして、その半世紀ほどのちの
「枕草子」には、
・【下衆】の言葉には必ず文字余りたり。
・もの聞きに宵より寒がりわななきをりける【下衆】男
・【下衆】の家に雪の降りたる。
また月のさし入りたるも、いとくちをし。
・【下衆】の紅の袴著たる、
このごろはそれのみこそあめれ。
・若くてよろしき男の、【下衆】女の名を
言ひなれて呼びたるこそ、いとにくけれ。
・旅立ちたる所にて、【下衆】どものざれゐたる。
・わびては、すきずきしき【下衆】などにても、
人に語りつべからむにてもがなと思ふも、
けしからぬなめりかし。
・さかしきもの……【下衆】の家の女あるじ。
・いと寒きをり、暑きほどなどに、
【下衆】女のなりあしきが子負ひたる。
・をかしと思ふ歌を草子などに書きて置きたるに、
言ふかひなき【下衆】のうち歌ひたるこそ、いと心憂けれ。
のごとくあふれてる。
清少納言はことのほか「ゲス」という響きがお気に入りだったのか、
かように多用してるのでげす。エエ、エエ、エエ。でもそれなら、
「枕草子」の冒頭第1段なんかも、
<<春は曙でげす。だんだん白くなってきてる山際の空でげすが、
 少し明るくなっててでげすね、紫がかってる雲が
 細くたなびいてるでげすのが、いともお見事でげすねえ>>
のようにすればいいようなものだが、それだと、
濁少納言になってしまうかもなので、
泣くなく踏みとどまったのかもしれない。ともあれ、
この語がお気に入りといっても、もちろん意味は否定的なもので、
清少納言は"ゲス"を見下してるのである。
清少納言の父親清原元輔の官位は従五位上、
曽祖父清原深養父は従五位下……かろうじてクリアしてるから
言えたのである。

おそらく、
清少納言のような女性からみれば、
prostituteとかhookerとかputainとか、
whoreとかbitchとか、pornstarとかは、
罵りの対象となる下衆女なのだろうが、私のような
すべての素人女性から相手にされないキモ男にとっては
"ヤバい"ほどの天使である。

【ヤバい】
この語も巷では、
「危ない、悪事が露見しそう、身の危険が迫ってる」
「日米戦争後に闇市で広まった」
「1980年代に若者の間で、怪しい、格好悪い、
という意味で使われるようになった」
「1990年後半あたりからは、凄い、病みつきになりそうなくらいいい、
という肯定的な意味でも使われるようになった」
などと解説されてる。たしかにその通りではある。が、
その語源に関しては、怪しい。まさに、
(旧来の意味で)ヤバい、のである。たとえば、
「具合悪さ」「不都合」を意味した盗人や香具師の隠語だった、とか、
戦前に囚人が看守をヤバと呼んだのが由来だ、とか、
彌危ない(いやあぶない)が語源である、とか、
夜這いが元である、だとか、
犯罪者を収容した牢屋敷を厄場(ヤバ)と言った、とか、
いいかげんな説明がなされてる。
出川哲朗もそんなゲスの勘ぐりのようなことは言わない。

たとえば、
私が男が多く女性が少ない江戸の町人だったなら、
性処理はプロ相手にすることだろう。ところが、
新旧吉原のような公娼へは私のような
稼ぎと頭髪の薄い男はなかなか行けない。すると、
支障をきたすので私娼に頼るしかない。
いわゆる非合法の岡場所である。
品川、千住、板橋、内藤新宿などのいわゆる
飯盛り女である。が、そうした非認可娼館を
幕府は何度も取り締まった。
吉宗の時代の延享3年(1743年)に
非認可娼館の一斉取締まりが行われて、
手軽な風俗店が消えてしまう。すると、
吉原に行けない客相手の闇風俗が生み出されるのである。
それがたとえば、比丘尼だったり、湯女だったりする。が、
天明7年(1787年)には吉原が全焼してしまうのである。
その年に老中上座になった松平定信が寛政3年(1791年)に
風紀粛正の強化を図った。風呂も混浴禁止である。さらに、
定信が失脚したのちの寛政6年(1794年)には
吉原がまた火災に見舞われてしまうのである。
そうなったら、私のようがしがない男は、
さすがに夜鷹は"ヤバい"ので、
にわかに増え始めた「揚弓場」に通うことにするだろう。
寺院の参道や門前、境内の隅、それから、不忍池の片隅、築地あたりに
「弓矢を打つ」娯楽場があったのだが、
それを風俗にしたものである。
手取り足取り弓矢のつがえかたから、構え、
打ち起こし、分け、会、などを教えて……くれるわけがない。
的の畳の裏でコトを行うのである。が、
表向きは「弓矢を打つ娯楽場」なので、
実際に弓を引いてるのである。だから、
他の客が引いた弓に射貫かれる危険があった。だから、
「矢場」=危ない。ヤバ→ヤバい、のである。

このように私は解すのでげす。エエ、エエ、エエ。
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