チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「語意の空騒ぎ(太い篇)/HT(ハタ-ヒタ-フツ-ヘト-ホト)」

2014年02月06日 23時25分28秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
[Much Ado About Meaning Of Words and Wuthering Heights(語意の絶叫部屋)
Fat is this onomatopee?]

無知を売り物にする私は、都知事候補の田母神氏と違って
落語のこともよく知らない。
じゅげむとゲノムの違いも述べられないほどである。
少しは暗唱できる。が、途中で分からなくなる。
「じゅげむ、じゅげむ。ごこうのすりきれ。
かいじゃりすいぎょの、
すいぎょうまつ・うんらいまつ・ふうらいまつ、
くうねるところにすむところ。
さむらごうちのすさむようち……」
と、ここで詰まってしまう。
音大の受験前になると急に難聴になり、
ウソがあばかれると突如として心神耗弱状態となって
口がきけなくなる、という、
実がないのに虚栄心だけは異様に強い輩は
日本にもときどきいるものである。が、
ウソとサギとヌスミとタカリは、
美容整形依存症候群荷駄民の専売特許、
というわけでもないようである。また、
日本人はお人好しだからそういった手合いに
騙されやすい。フィギュア・スケイティングの
高橋大輔も映画"Ghostbusters"の
レイ・パーカー・ジュニアの歌に切り替えたら、
ウケること間違いないのに。

今週の月曜は節分だった。最近では
イワシを焼くより豆をまくのより、
恵方を向いて太巻き鮨を食らうのが
春風亭流行らしい。
「ふと巻き→えほう撒き」
と、時代のMAKIうねりはシフトしてるのである。
踊らせる恵方に踊らされる恵方、
同じ恵方なら乗らなきゃ損、ソン。
今年は、信長に刃向かった
戦国武将荒木村重の子で唯一生き残った
岩佐又兵衛の手になるものとの説がある
「洛中洛外図屏風(舟木本)」が描きはじめられて
400年の年にあたる(大阪の冬と夏の陣の間に作成された)。

さて、以前、
「語意の空騒ぎ(細い篇)/HS(ハシ-ヒサ-フサ-ヘソ-ホソ)」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/ecb5031f38bdf84d811e907db0463c7e )
で、「細い」という現代語の形容詞に関連した語や
オノマトペなどについてすこしふれたので、今回は
「太い」にちなんだものを並べてみる。

(ここでは、現在の「はひふへほ」の子音はフだけをFuで表し、
それ以外はHで表す。また、歴史的に
は(H)行の音はP(その濁音B)およびF(その濁音V(B))からの変遷なので、
便宜上PやFを使う場合もある。いっぽう、
現在のた行は「たちつてと」CHやTSの音に変化してるものもあるが
簡便にするためにすべて旧来の音であるT(濁音はD)で表すこととする)

「太い」という状態は、容積が「増え」たことである。数だと、
一つ(Hi-to-tu)が二つ(Fu-ta-tu)になることである。機会だと、
「再び(FuTa)たび(度)」である。このFu(フ)は、
サンスクリットのヴルディ(増える。成長する)→のヴ(清音はf)、あるいは
そこから派生した中国語の「富(フ)」の音が
もとになってるかもしれない。が、私見では、
「経(Fu)る」(時を経る)ことによって物事が変化するさい、
増した場合のほうをそのフに基づいて指したものと思われる。
「隔つ(HeDaつ)」は時間的みならず
空間的な隔離状態を表すようになった。ちなみに、
経年変化の状態を「古(Furu)」と表した。いっぽう、
減じた場合には「Fu→Feる→減る(Heる)という形になってる。

増える(Fuえる)=量・幅・長さ・数が増す。そして、
川の水嵩が増す=「太る(FuToる)」
となった。
川の容量を超えてしまうと、氾濫し、堤防は決壊する。
そうしたさまを、
「迸る(HoToばしる)」という。これが川でなくて、
何かの容器に水が入ってるとしよう。すると、
その容器の容積いっぱいに水を入れると容器から水が溢れる。
水が容器にいっぱいになって
溢れるかあふれないかぎりぎりのところで均衡を保ってる状態を、
「等し(HiToし)と言う。が、
容器などから水がこぼれて地面が濡れるとぬかるむ。それを、
「泥(HiDi)」と言った。また、
水にびっしょりと濡れることを、
「漬つ(HiTu)」と言った。現代語ではやや意味を変えて
「漬る」「浸る」となってるが、元来の意味でも
「水浸し」という形で残ってる。いっぽう、
水の溢れかたがまばらなものを
「斑(Hadaれ)」と言うし、ジャージャーと違って
ポタポタと滲みでるようなさまは、
「はつか(HaTuか)」と言う。これは子音交替によって
「わずか(WaDuか)」という現代語に連なった。また、
水滴や雫が落ちるのは地球の引力(重力)によるものなので、
その進行方向は鉛直で、真っ直ぐ下に落ちる。そのさまを
「直(HiTa)」と言う。それが抽象的な意味あいを帯びて、
「ひたむき」「ひたすら」などという現代語に連なってる。いっぽう、
人間の髪から垂れてるのが、
「額(HiTaひ)」である。いっぽう、
こぼれ落ちたものはもはや
本体ではなくなってしまったものである。それを
「外る(HaDuる)」と言う。

が、
いずれにしても溢れてこぼれるのを防ぐには
→「蓋(FuTa)」が要る。
名古屋名物の「ひつまぶし」の
「櫃(HiTu)」はかぶせるフタがある箱状の食器である。ともあれ、
容器から溢れるのはその口周辺、つまり、
「縁(FuTi)」である。それから、「等し(HiToし)状態で
こぼれない程度の量を程(HoDo)と言う。
器に入れた液体や茶碗に盛った米飯などを数えるのには古くは
「杯(HaTa)」(ひとはた、ふたはた、みはた)と言った。また、
こぼれ落ちるものや漏れ落ちる水などを受ける容器を
「鉢(HaTi)」という。いっぽう、
嵩ぎりぎりまで水を満たすと、その容量はいっぱいになって
それ以上入れる容量は
→「果つ(HaTu)」。果てるのである。
そうした状態はその容器に水を満たすという行為が果たされ、
それ以上はまた新たな別の容器に入れる、
ということが始まる。それを
→「初(HaTu)」という。「始ぢむ(HaDiむ)」のである。

そのいっぽうで、
容器の上部端だけでなく、
底からも水は溢れ漏れてしまう。だから、底の端も
「淵(FuTi)」と言うようになった。そこから派生したのが、
「懐(FuToころ)」である。ともあれ、
漢字の「縁」の字源は、糸に彖(タン)である。
彖は豚の旁に頭部がある形を表し、
頭部よりも腹が垂れ下がってる(デブ)状態を表す。
それに糸偏をつけて、
織物のかがってないへりから垂れ下がってる糸を示す。
それが拡大解釈されて「ふち」「はし」
「垂れてつながってるもの=えにし」
などを表すようになってった。いっぽう、
糸が垂れ下がってるような蔓の植物花を
「藤(FuDi)」と呼ぶ。また糸にもどれば、
撚った糸や織った生地が綻びることを
「はつる(HaTuる)」と言い、現代語では「ほつれる」となった。また、
落っこちないようにつなぎ止めるものを
「絆(HoDaし)」と言う。それから、
絡まった糸を解くように心を溶かして承諾させることを
「ほだ(HoDa)す」という。それから、
本体から離れないようにひっついて垂れ下がってるさまが比喩的に
「諂ふ(HeTuらふ)となった。

ともあれ、
ほつれがそれ以上にならないようにはしっこでとどめるもの、
つまり、水の流出を防ぐものと同値となって、
「ふち(FuTi)」が意味づけられた。そうした、
「こぼれるか、こぼれないか」の境界が転じて、一般的な
範囲の周囲・周辺を「FuTi」と言うようになったのだが、
本道や幹線でない迂回路を
辺路(HeTi)という。
そのフチがやはり母子音交替して、
端っこの付け足しやちょっとしたものを
「ぽち(PoTi)」と言うようになった。現在も、
「ぽち袋」や「これっぽっち」などと使われてる。また、
付け加えということから、別の選択肢を加えるさまを
「はた(HaTa)また」と言う。本筋でない別の考えが生まれるのを、
「はた(HaTa)と」「ふと(FuTo)」思いつく、などと言う。反対に、
もうそれ以上代案が思い浮かばないお手上げ状態を、
「ほとほと(HoToHoTo)」「ほと(HoTo)んど(~ない)」などと言う。
木っ端という意味では、
「榾(HoTaまたはHoDa)は、掘り起こした木の根や枝の切れはしを
囲炉裏や竈の薪にリサイクルしたものである。
布ではなく魚でも、ヒレは生地のフチのようなので
「鰭」を「HaTa」とも言った。黄HaDaマグロはそのヒレが黄色いので
そういう呼称なのである。

ともあれ、
織物は本来そうして両端がかがってない
「縁(FuTi)」がある状態である。そうした織機で織った生地を
「機(HaTa)」と呼んだ。それを戦や他の目印として使用したものが
「旗(HaTa)」である。その木製代用品が「木札」とされ、
「札(FuDa)」となった。ともあれ、この
綿(WaTa)=真綿=絹織物の機織技術を伝えたユダヤ系渡来人が
「秦(HaTa)」氏である。ちなみに、
"半島経由渡来人"というと"イコール朝鮮人""イコール韓国人"
と思ってしまうむきがかなり多いようだが、
飛鳥・奈良・平安時代の朝鮮半島には
現在の朝鮮人・韓国人はいなかったのである。ともあれ、
京都の映画撮影所があるあたりが
秦氏の拠点だったのだが、そこを
「太」秦と書く。ちなみに、
「うづまさ」の「うづ」は、「アメノウヅメ」の「ウヅ」であり、
「渦」の「うず」である。つまりは、陰陽道の
「巴」のことである。

いっぽう、
源氏が崇めたものに八幡(はちまん、はやた)神社がある。
「八(や)」は「たくさん」の意味であり、
「幡(はた)」=「旗」=守(かみ=神)である。つまり、
「八幡」とは「おおくの旗」、すなわち八百万の神ということであり、
それは軍の士気を高めるのに"ピッタり"なのである。ちなみに、
「八=HaTi」、「幡=HaTa」
なのであり、同じ音(HT)を重ねてる=強調、ということなのである。そして、
機織り→旗から生じた動詞が、
戦で武功を上げることを意味する
「働く(HaTaらく)」である。

私が若かった頃のディスコ好きなおねえさんがたは、
ボディコンとかピタコンなどという、超タイトなモードに身をつつんでた。
ボディコンがよく似合う体型というものはあったのだが、
乳房が大きいのではなく、ただ鳩胸なだけ、
という女性も当時は多かった。
「鳩(HaTo)」という鳥は、首から下に比して頭が小さく、
胸骨や胸筋が発達してて、ずんぐりむっくりとしてる。つまり、
鳥のあるべき理想の形・容積からはみだしてしまってるので
そうした名が付けられた。オツムは軽くてルーピーなのに
反日思想に洗脳されて日本の足を引っ張っておいて、
自分の富だけはどんどん膨らむ鳩もいる。さらに、
「鳩」といえば「ぽっぽ」、鳩ポッポである。このポッポも
鳴き声である前にPoTupoなのである。ちなみに、
「鉄道屋」と書いて「ぽっぽや」と読ませるらしいが、
我が国に明治5年に鉄道が開業した当時は汽車だった。
あれも汽笛がポッポという前に、蒸気機関が
PoTupoと燃えて空気が圧縮されてそれが動力となってたのである。

ともあれ、
イケイケなおねえさんがたの服装はまさにダイナマイト・ボディが
「はち(HaTi)」きれんばかりで、私にすれば歩くセックス・マシーンだった。
=弾く(HaDiく)。弾ける(HaDiける)。
スタイルがいいスリムな体型よりも
「豚(BuTa)」のような肉付きの女性が好み、
というむきもあろうが、ともあれ、
そうしたケバい格好がハレンチだという世代や層からしたら、
一般既存常識からはみ出た、
「恥づ(HaDu)」べき身なり・行為である。
「恥(HaDi)」であり恥ず(HaDu)かしいのである。
そうした連中に怒り心頭で、
頭から湯気が煮えたぎるようだ、というのは、
「沸々(ふつふつ(HuTuHuTu)」である。が、
イケイケ・ボディコンピタオンおねえさんがたの下半身も、
フツフツと煮えたぎってて、今で言う「潮吹き」状態、
お○×△こ汁あるいはバルトリン腺液や小水を
「ほと(HoTo)ばしらせ」ながらお立ち台で踊ってたのである。
そのホトバシリを生み出す器、女性器を
「ほと(HoTo)」とも言う。
えてしてそうした興奮励起状態にある性器は、
熱くなってるものである。それを、
「ほと(HoTo)ぼり」「ほて(HoTe)り」と言う。
有村架純女史がCMに出てるのは
HottoMottoであるが、英語のあったかいHotとは語源が異なる。
有村女史が「ホットモット」の最初の促音を省略しちゃって
「ほと、もっと」なんて発音して「売ってるよ」なんて言ったら、
おじさんはちょっと興奮するかもしれない。

その「ホト」は小陰唇が性器の周囲のフチのような形状になってる。
そのような地形に「ホト」という地名がつけられてるものがある。
そのひとつが、横浜市の「ほとがや(現在は、ほどがや)」である。
漢字では「程(ケ)谷」とか「保土(ケ)谷」表記されるが、
地名・人名は漢字を同音異字に換えることがよくあることなので、
漢字自体に意味を限定しても無意味である。
保土ヶ谷バイパス狩場インター近くの温泉付き豪華マンションには、
かの「楽譜が読めない交響曲作曲家」が
身の程知らずにも妻とともにのうのうとクラしてたという。
今はどこかにトンズラしてるようであるが。
そうした詐欺の才能もないし
スケコマシも不可能なブサイクなので結婚もできない私は、当然、
イケイケボディコン・ピタコンおねえさんにも
ハナから相手にされない虫けらのような存在だったが、
「甚だ(はなHaDa)」という副詞は、
ずいぶんと・たいそう・とても・非常に・超、
といった意味合いで使われてる。が、そのもとは、
「端(はな)から端(はた)まで(はじめからおわりまで)」
という意味である。だから、
ディスコで百人ナンパしても一緒に踊ってくれる女性だけでも
1人程度だった。つまり99人の相手には、
「へたを撃ってしまった」のである。
「蔕(HeTa)」は実についている萼のことである。だから、
実を矢で射落とそうとして実でないハシやヘリのほうを撃つ=
しくじる=失敗することを
「ヘタを撃つ」と言うのである。そこから、
腕の悪いことを「下手(ヘタ)」と言うようになった。

話は前後するが、オノマトペでは、
水が本来あるべき容器や器官などから少しずつあふれ落ちるさまや音を、
ポタポタ(PoTaPoTa)と言う。その母音交替がポトポト。いっぽう、
Taを拗音化してポチャポチャ(PoTyaPoaTya)、
ピチャピチャ(PiTyaPiTya)=水が跳ねる音、さらには
ビチョビチョ(BiTyoBiTyo)=はじけたり漏れた水分で濡れたさま、
ペチャペチャ(PeTyaPeTya)=しゃべくり女の唾液音、などに。
落ちる音の感じが少し変わってボタボタ(BoTaBoTa)。さらにはじけて、
パチパチ(PaTiPaTi)=油がはねるさま。
ヒタヒタ(HiTaHiTa)となると本来の水音からさらに意味が抽象化されたてった。
滴った液体に粘性があるとベタベタ(BeTaBeTa)、ベトベト。ペタペタ(PeTaPeTa)。
さらにくっついた感を増すとピタピタ(PiTaPiTa)。
くっついたものをはがそうともがいてくたびれてホトホト(HoToHoTo)。ヘトヘト。
密着感が強くてピタピタ(PiTaPiTa)。ピチピチ。パツパツ。
空という大きい容器から落ちてきた水滴である雨音が
パタパタ(PaTaPaTa)→ハタハタ(HaTaHaTa)。そのハタハタという音は雷の音を表す。
秋田で11月に雷鳴(雷神)とともに海岸に打ち寄せるように
ハタハタの大群が現れることから、「神が使わした魚」ということで、
「鰰」と書いてハタハタ(HaTaHaTa)と呼ばれるようになった。
おおげさな雨音のような音がバタバタ(BaTaBaTa)で、このオノマトペは
多角的な意味に広がってった。

ちなみに、
[蜂(はち)]の語源は、いわゆる「ミツバチのダンス」の習性から
「8の字」踊りをする昆虫だから、というわけではもちろんない。また、
通説の「蓮の形状が蜂巣(はちす=ハニカム構造)に似てるから」というのは
論理が逆である。拙説では、
蜂の巣からは蜜が採れる。その蜜が
巣からにじみ出てくるさまが、ポタポタに代表される
HT(「HaTu」→「HaTi」)なのである。

あと、×なものを2例ほど挙げておく。
・蛍(ほたる)はたしかに、その体の端である尻から光があふれ出す、から、
蛍(HoTaる)とも思いがちだが、
中国語の「火虫」の発音「ハオチョン」が日本語で訛って
→ホーチョン→ほーちょ→ほーと→ほたる、となったものである。
・布袋(ほてい)も、たしかに「大きな袋を背負った太鼓腹の坊さん」だから、
Pottteり→ほってり→ほてい、と思われるかもしれないが、
これも中国語の「布袋」の「プータイ」という発音が
日本語で訛って「ふたい」→「ほてい」となったものである。

あ、それからもうひとつ……リューテナント・コロンボ(鳩)のようだが……
「ホトトギス(HoToとぎす)である。
この鳥は万葉集に収められてる歌にもよく詠まれてる。
主要な撰者である大伴家持が好きだった鳥だから、かもしれないが、
約150首もあるという(そのうち家持自身のは約60首)。その一例を挙げる。
[霍公鳥 飛幡之浦尓 敷浪乃 屡君乎 将見因毛鴨](万葉集巻12ー3165)
(ほととぎす 飛幡の浦に しく浪の しばしく君を 見むよしもがも)
「ほととぎす」というの「5文字」の鳥名は、
「飛幡(とばた。風土記では「鳥旗」。現在の北九州市戸畑)にかかる
「枕詞」としても使われてるということである。
「霍公鳥」は「Hoto+to+gisu」、「飛幡」は「To+HaTa」である。
この枕詞とそれに導かれる地名は、
HT→HT、という図式なのである。もっとも、
他にも「ホトトギス」が「枕詞」として「トハタ」「トバタ」にかけられる例があるのか
ということは私には不知(FuTi)であるが

(passionbbbのゴウストライター小野又兵衛筆)
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