先日、合コンした相手の「元スッチー・チーム」の面々が、
なぜかそのとき話題になってた反日報道ネタなんぞで盛り上がって、
「中国の国家主席ってどんな顔でしたっけ?」と我々に訊いたので、
我々は、阿吽算数ッチーの呼吸で、私が代表して、
「『バカの壁』って知ってるでしょ? あの著者の養老孟司先生と
字幕おばさんの戸田奈津子女史を掛け合わせて、こぅ均等にした感じ」
と答えてあげた。中国の首席といえばナンバーワンであるが、我々は
酒席のナンパ・わんわんである。
「イヌがヒトを噛んでもニュースにはならぬが、ヒトがイヌを噛めばニュースになる」
という米国人新聞屋チャールズ・アンダースン・デイナの言葉があったが、昨今は、
「女子アナが飲酒して原稿を読んでカメばnewsになる」、もしくは、
「医者が患者の肺気胸を診てもnewsにはならぬが、
医者が・患者ニ・診察されるとnewsになる」らしい。
その女子アナとは誰のことかとは・聞くま・でもない。
阿吽算数ウッチーでないことは確かである。さて、昨夜までは、
女子ヴァリーボール・ワールド・グランプリの熱戦が繰り広げられてが、
今夜からは夏の土用に入る。「土用」といえば「鰻」、というように、
その蒲焼は現代日本社会に浸透してる食い物である。お江戸東京だけでなく、
♪ウゥナァギィ、美ぉ~味ぃし、カァバァヤァキィ~~~~~♪
というように、浜松以外からも東京に出てきたヒトたちが生まれ育った
「ふるさと」で愛食されてるのである。ときに、
この「土用の丑の日にはウナギ」を「広めた」のが
江戸時代の電通エレキテル平賀源内だというのは、
よく知られたことである。実際、ウナギはヴァイタミンAを多く含んでるらしい。
がしかし、理由はそれだけではない、と私は見る。
ウナギの語源はムネ(ナ)ギ、すなわち「胸(ムナ)黄(キ)」
だそうである。川の泥底を這ってるから土の色がついてしまった、
のではないが、実際、ウナギの胸には黄色が入ってるのである。
いっぽう、土用とは、青赤白黒四色の神が支配する春夏秋冬の合間の
ソ土ムの18日間であり、色でいえば「黄」なのである。つまり、
元来の「丑(ウシ:黒いもの)の日」には黒いものを食べて精力を養おう、
というのに合致するウナギ(背側は黒い)がたまたま腹も黄色いから、こじづけて、
「土用」という「黄色」い期間には「黄色いもの」を食って運気を高めよう、
という、ドクター・コパの先駆者を平賀源内は目指した、
というのが市井のエセ歴史研究家である私の説である。
ところで、ウナギの蒲焼がこれほど食されるようになったのは、
そのタレに要因があるのである。源内はもとは讃岐国高松松平藩
(水戸徳川家の「本家筋」)の足軽であったが、長崎で勉学を積んでからは
いろいろと暗躍した人物だったらしい。そして、えれぇキてるヒトだったようで、
ヒト二人を斬って投獄され獄死した、とされてる。時は、
私が尊敬する人物のひとり田沼意次の時代である。「殖産」政策を採った政治家である。
その政策「強化」が「蜀山」人大田南畝をうみだした、というのが、
現在の歴史経済学者のほとんどが賛同する見解である。それはともかくも、
醤油の町野田(前「イエロー」キャブ社長率いる巨乳軍団の町ではない)のお隣、
下総の流山(♪恥っめてぇの、アコォ~ム♪でおなじみの小野真弓嬢の出身地)で、
それまでの「酒」としての味醂を改良して「調味料」として売り出したのが、
日本の食の革命となったのである(我が国以外にミリンはない)。ときに、
「ミリン」には蔗糖以外に多種の糖分が含まれてて独特の甘みを出してるのであるが、
そのうちのひとつは「ニゲロース」という逃質、否、糖質である。それはともかくも、
鰻食のもうひとつの味わいは「キモ吸い」である。ちなみに、
ウナギの産卵場所がどこなのか、ずっと不明であったが、15年前に、
硫黄島の南750km、マリアナ海溝の西の海山あたり、
であろうことがわかったようである。が、
その確かな場所はじつは未だに判明してないそうである。
ニュルニュルとつかみどころのない生キモの、なのである。
なぜかそのとき話題になってた反日報道ネタなんぞで盛り上がって、
「中国の国家主席ってどんな顔でしたっけ?」と我々に訊いたので、
我々は、阿吽算数ッチーの呼吸で、私が代表して、
「『バカの壁』って知ってるでしょ? あの著者の養老孟司先生と
字幕おばさんの戸田奈津子女史を掛け合わせて、こぅ均等にした感じ」
と答えてあげた。中国の首席といえばナンバーワンであるが、我々は
酒席のナンパ・わんわんである。
「イヌがヒトを噛んでもニュースにはならぬが、ヒトがイヌを噛めばニュースになる」
という米国人新聞屋チャールズ・アンダースン・デイナの言葉があったが、昨今は、
「女子アナが飲酒して原稿を読んでカメばnewsになる」、もしくは、
「医者が患者の肺気胸を診てもnewsにはならぬが、
医者が・患者ニ・診察されるとnewsになる」らしい。
その女子アナとは誰のことかとは・聞くま・でもない。
阿吽算数ウッチーでないことは確かである。さて、昨夜までは、
女子ヴァリーボール・ワールド・グランプリの熱戦が繰り広げられてが、
今夜からは夏の土用に入る。「土用」といえば「鰻」、というように、
その蒲焼は現代日本社会に浸透してる食い物である。お江戸東京だけでなく、
♪ウゥナァギィ、美ぉ~味ぃし、カァバァヤァキィ~~~~~♪
というように、浜松以外からも東京に出てきたヒトたちが生まれ育った
「ふるさと」で愛食されてるのである。ときに、
この「土用の丑の日にはウナギ」を「広めた」のが
江戸時代の電通エレキテル平賀源内だというのは、
よく知られたことである。実際、ウナギはヴァイタミンAを多く含んでるらしい。
がしかし、理由はそれだけではない、と私は見る。
ウナギの語源はムネ(ナ)ギ、すなわち「胸(ムナ)黄(キ)」
だそうである。川の泥底を這ってるから土の色がついてしまった、
のではないが、実際、ウナギの胸には黄色が入ってるのである。
いっぽう、土用とは、青赤白黒四色の神が支配する春夏秋冬の合間の
ソ土ムの18日間であり、色でいえば「黄」なのである。つまり、
元来の「丑(ウシ:黒いもの)の日」には黒いものを食べて精力を養おう、
というのに合致するウナギ(背側は黒い)がたまたま腹も黄色いから、こじづけて、
「土用」という「黄色」い期間には「黄色いもの」を食って運気を高めよう、
という、ドクター・コパの先駆者を平賀源内は目指した、
というのが市井のエセ歴史研究家である私の説である。
ところで、ウナギの蒲焼がこれほど食されるようになったのは、
そのタレに要因があるのである。源内はもとは讃岐国高松松平藩
(水戸徳川家の「本家筋」)の足軽であったが、長崎で勉学を積んでからは
いろいろと暗躍した人物だったらしい。そして、えれぇキてるヒトだったようで、
ヒト二人を斬って投獄され獄死した、とされてる。時は、
私が尊敬する人物のひとり田沼意次の時代である。「殖産」政策を採った政治家である。
その政策「強化」が「蜀山」人大田南畝をうみだした、というのが、
現在の歴史経済学者のほとんどが賛同する見解である。それはともかくも、
醤油の町野田(前「イエロー」キャブ社長率いる巨乳軍団の町ではない)のお隣、
下総の流山(♪恥っめてぇの、アコォ~ム♪でおなじみの小野真弓嬢の出身地)で、
それまでの「酒」としての味醂を改良して「調味料」として売り出したのが、
日本の食の革命となったのである(我が国以外にミリンはない)。ときに、
「ミリン」には蔗糖以外に多種の糖分が含まれてて独特の甘みを出してるのであるが、
そのうちのひとつは「ニゲロース」という逃質、否、糖質である。それはともかくも、
鰻食のもうひとつの味わいは「キモ吸い」である。ちなみに、
ウナギの産卵場所がどこなのか、ずっと不明であったが、15年前に、
硫黄島の南750km、マリアナ海溝の西の海山あたり、
であろうことがわかったようである。が、
その確かな場所はじつは未だに判明してないそうである。
ニュルニュルとつかみどころのない生キモの、なのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます