クリスマス、といえば12月25日であるから、
もう過ぎてしまったこと、ではある。が、少なくとも、
本能寺の変以前は欧州の暦はユリウス暦だったのであるから、
「あくまでも暦の上、のこと」であるが、
1月「7」日が彼らのクリスマスである。本筋は
旧暦信奉者がクリスマスを
12月12日にすればいいだけのことではあるのだが。ともあれ、
有馬記念でスッカラカンになってしまった私は、
カトリック圏オーストリアの小学校教諭兼教会オルガニストの
フランツ・クサーファー・グルーバーが作曲した「聖夜」を、
その英語詞版で正月、初詣の際に歌ってるのである。
♪さぁーーいせん、なぁーーい。ほぉーーうれ、なぁーーい♪
ところで、
1787年生まれのこのグルーバーや、
1991年生まれのモーツァルトの四男、
1766年生まれのジュスマイアーなど、
18世紀後半のオーストリアで流行ってた名なのかもしれないが、
「Franz Xaver」という名は、つまりは
「Francisco Xavier」
(フランスィスコ・ハビエル(シャビエル))の
ドイツ語版である。オーストリアにおける
イエズス会の力を示すものかもしれない。一説には、
「イエズス会=フリーメイスン」
という話もあるし、モーツァルトが
フリーメイスンだったのは事実であり、倅に
ザビエルの名を附けても不思議でない。
ちなみに、
安土桃山から江戸時代初期にかけて、
火薬を握ってたのはイエズス会である。
火薬欲しさに彼らの布教を許可した信長である。
信長の叡山焼討ちや対一向宗戦争は、
フロイスらにとっては異教破壊活動だった。
両者の利害は一致してたのだが、
信長がイエズス会によって本能寺で吹き飛ばされたのは、
信長の同会裏切り行為ととられた政策転換である
(お世話になったマフィアを取り締まろうとした
ケネディ兄弟とよく似てる)。が、
その前年の「スペイン王フェリペ2世の
オランダ統治権否認令布告」=「事実上の独立宣言」
が伏線になってたのである。オランダに敵わないことを、
その独立戦争によって旧教国は思い知らされてたからある。
それはさておき、
「教師この夜」が誕生したエピソードでは、
貧しい教会のオルガンが「ネズミ」に食われて
鳴らなくなってしまったから、
ギターでも伴奏できる賛美歌を、
という要請でできあがった、とされてる。これが
中村泰士だったら、
♪ギターぁーーのぉーーー、酒場通りにはぁーーー♪
という曲調になってたことであろう。細川某は
夏に炎天が続いた昨年の紅白を
なにかの理由で出場辞退してたようである。
それはどうでも、
スリが多くでる大きな神社などはもちろん、
私は出かける暇も銭もないので、もっぱら
夜更かしして録画物を観ることになった。これを
我々エセ哺乳類研究家は「寝ず見」と呼んでるのである。
結果、「2008年ウィーン・フィル/
ニュー・イヤー・コンサート」も録画して観た。
指揮してたのは、仏人のジョルジュ・プレートルだった。
「プレートル(Pretre)」の前のほうのeには
アクサン・スィルコンフレックスが附いてるから、
きっと昔は「プレストル」だったんだろう、と思ったら、
(あ、そうだ、英語のプリーストだ)
とめずらしく気がついた。仔細は知らないが、
「pretre(プレートル・聖職者)」という名には
似つかわしくない容姿である。一部で
ハマコーに似てるという説もあるらしいが、
昔のギャング映画に出てきた悪役みたな顔である。
ときに、
今年は子年である。ミッキーとミニーを擁する
オリエンタル・ランドはまた増収でウハウハだろうが、
野球少年だった私の幼少期のアイドルは、
ミッキー・マントルだった。1952乃至68年の
NYヤンキーズのチュー堅手である。
ディマッジョやメイズのような蠅叩き打法ではなく、
真にバットを振る形の打撃フォームが好きだった。
ユニフォーム・ナンバーは「7」である。
さて、
ネズミといえば、「soulier(スリエ・靴)」で
「souris(スリ・二十日鼠)」の王を退治した
スリスリのクラーラちゃんが1幕で舞うすバレエ
「カス・ヌワゼット」である。これについてはすでに、
このブログの
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/8ba2ff064284b46f45a5baabac817fbd
で触れてるが、「ネズミ軍とくるみ割り王子の合戦」は
第「7」曲である。ところで、
中世欧州ではネズミは悪魔の象徴だったらしい。
顔は悪魔みたいだったが、ハンス・フォンクが
ドレースデン国立歌劇場管を振った「くるみ割り人形」全曲
の演奏はじつにセンスがいい。第7曲以外でも、
ホルンのブシェが「キウーソ猫を噛む」ような、
怪しい音を醸し出す。
今年から青歯マウスを使うことにした。
もう過ぎてしまったこと、ではある。が、少なくとも、
本能寺の変以前は欧州の暦はユリウス暦だったのであるから、
「あくまでも暦の上、のこと」であるが、
1月「7」日が彼らのクリスマスである。本筋は
旧暦信奉者がクリスマスを
12月12日にすればいいだけのことではあるのだが。ともあれ、
有馬記念でスッカラカンになってしまった私は、
カトリック圏オーストリアの小学校教諭兼教会オルガニストの
フランツ・クサーファー・グルーバーが作曲した「聖夜」を、
その英語詞版で正月、初詣の際に歌ってるのである。
♪さぁーーいせん、なぁーーい。ほぉーーうれ、なぁーーい♪
ところで、
1787年生まれのこのグルーバーや、
1991年生まれのモーツァルトの四男、
1766年生まれのジュスマイアーなど、
18世紀後半のオーストリアで流行ってた名なのかもしれないが、
「Franz Xaver」という名は、つまりは
「Francisco Xavier」
(フランスィスコ・ハビエル(シャビエル))の
ドイツ語版である。オーストリアにおける
イエズス会の力を示すものかもしれない。一説には、
「イエズス会=フリーメイスン」
という話もあるし、モーツァルトが
フリーメイスンだったのは事実であり、倅に
ザビエルの名を附けても不思議でない。
ちなみに、
安土桃山から江戸時代初期にかけて、
火薬を握ってたのはイエズス会である。
火薬欲しさに彼らの布教を許可した信長である。
信長の叡山焼討ちや対一向宗戦争は、
フロイスらにとっては異教破壊活動だった。
両者の利害は一致してたのだが、
信長がイエズス会によって本能寺で吹き飛ばされたのは、
信長の同会裏切り行為ととられた政策転換である
(お世話になったマフィアを取り締まろうとした
ケネディ兄弟とよく似てる)。が、
その前年の「スペイン王フェリペ2世の
オランダ統治権否認令布告」=「事実上の独立宣言」
が伏線になってたのである。オランダに敵わないことを、
その独立戦争によって旧教国は思い知らされてたからある。
それはさておき、
「教師この夜」が誕生したエピソードでは、
貧しい教会のオルガンが「ネズミ」に食われて
鳴らなくなってしまったから、
ギターでも伴奏できる賛美歌を、
という要請でできあがった、とされてる。これが
中村泰士だったら、
♪ギターぁーーのぉーーー、酒場通りにはぁーーー♪
という曲調になってたことであろう。細川某は
夏に炎天が続いた昨年の紅白を
なにかの理由で出場辞退してたようである。
それはどうでも、
スリが多くでる大きな神社などはもちろん、
私は出かける暇も銭もないので、もっぱら
夜更かしして録画物を観ることになった。これを
我々エセ哺乳類研究家は「寝ず見」と呼んでるのである。
結果、「2008年ウィーン・フィル/
ニュー・イヤー・コンサート」も録画して観た。
指揮してたのは、仏人のジョルジュ・プレートルだった。
「プレートル(Pretre)」の前のほうのeには
アクサン・スィルコンフレックスが附いてるから、
きっと昔は「プレストル」だったんだろう、と思ったら、
(あ、そうだ、英語のプリーストだ)
とめずらしく気がついた。仔細は知らないが、
「pretre(プレートル・聖職者)」という名には
似つかわしくない容姿である。一部で
ハマコーに似てるという説もあるらしいが、
昔のギャング映画に出てきた悪役みたな顔である。
ときに、
今年は子年である。ミッキーとミニーを擁する
オリエンタル・ランドはまた増収でウハウハだろうが、
野球少年だった私の幼少期のアイドルは、
ミッキー・マントルだった。1952乃至68年の
NYヤンキーズのチュー堅手である。
ディマッジョやメイズのような蠅叩き打法ではなく、
真にバットを振る形の打撃フォームが好きだった。
ユニフォーム・ナンバーは「7」である。
さて、
ネズミといえば、「soulier(スリエ・靴)」で
「souris(スリ・二十日鼠)」の王を退治した
スリスリのクラーラちゃんが1幕で舞うすバレエ
「カス・ヌワゼット」である。これについてはすでに、
このブログの
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/8ba2ff064284b46f45a5baabac817fbd
で触れてるが、「ネズミ軍とくるみ割り王子の合戦」は
第「7」曲である。ところで、
中世欧州ではネズミは悪魔の象徴だったらしい。
顔は悪魔みたいだったが、ハンス・フォンクが
ドレースデン国立歌劇場管を振った「くるみ割り人形」全曲
の演奏はじつにセンスがいい。第7曲以外でも、
ホルンのブシェが「キウーソ猫を噛む」ような、
怪しい音を醸し出す。
今年から青歯マウスを使うことにした。
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