チャイコフスキー 眠れる森の美女
発明以来数を増し続けてきたpf(ピアノ)の鍵盤が
現在の88鍵でステイビライズされて
それ以上増えなくなったのはなぜか?……
無学歴・科学オンチな私が勉学のために愛聴視してる
日テレの「目がテン」で昨年の3月にやってた実験によれば、それが
「人間の耳が音楽の音として捉えることができる限界」
だからなのだそうである。けっして、
母(ハハ=88)がピアノを弾きながら歌を教えてくれたからでも、
子どもの健やかな成長を願って習わせるには縁起がいい
末広がりな数字にしたわけでもないらしい。エンギ、といえば、
ミーハーな私は年末・年始に見た有名人で
新年の運を占うことにしてるのだが、何年か前の年始に見たのは
低迷期のルー(louis)・大柴(八重洲地下駐車場)だった。
その年がいい年だったかそうでもなかったかは伏せることにする。
昨年最後に見た有名人は女優の上原美佐女史(場所は伏す)で、
今年最初に見た著名人は大関千代大海(六本木グランドハイアット)だった。
ちなみに、拙脳の私は上原美佐女史と喜多島舞女史の顔の見分けがつかない。
それはともかく、上原女史はあの「のだめ」tv版で
主役の元カノ役をやってたそうである。
底意地が悪い、というキャラ設定だそうである。
さて、底意地が悪い精のカラボスが登場する
チャイコフスキーのバレエ音楽「眠れる森の美女」(プロローグと3幕)では、
2幕まではハープが使われ、3幕ではピアノが使われてる。
第3幕の第23曲「パ・ドゥ・カトル(宝石・貴金属の精)」のアントレで
初めてpfが出てくる。そして、同曲「ヴァリアスィオン2(銀の精)」と
同曲「ヴァリアスィオン3(サファイアの精)」で、さらに、
第28曲「パ・ドゥ・ドゥー」の「アダージョ」、
第30曲「フィナル」のマズルカがプレスト2分の2拍子に変わった最後の部分と
それに続く「アポテオーズ」で使われるのである。この
チャイコフスキーの「3幕pf起用」を、
「永遠の『白鳥の湖』」(新書館刊)の186頁で著者の森田稔大先生は、
「プロローグでは善良な妖精たちが人間の美徳を象徴していたのに、
ここでは宝石などの物質的な価値が賛美されている。ワイリーは、
このような矛盾にチャイコーフスキイが気付いていなかたはずはないとして、
この幕になって、宝石たちのきらびやかさを強調するために、
突然ピアノを使い始めたのが、その現れだと考えている
(ワイリー、p.149)が、あながち考えすぎともいえないだろう」
と人の見解にまぎれて自分の立場を置いてる。たしかに、
「一見」、説得力がありそうなお話ではある。が、
「ねむり姫」と同じペローの童話に「レ・フェ(妖精たち)」
(邦題「仙女のおくりもの」もしくは「宝石姫」)というものがあって、そこでは、
「水をくれた気立てがいい妹には、
口から薔薇の花やルビー・ダイアモンドがぽろぽろこぼれおちるようにし、
底意地が悪い姉には口から虫が出てくるようにした精(仙女)」
の話があるのである。優しい性格の妹が、
「王子さま」に気に入られて后に迎えられたのはいうまでもない。
このような「状況」からは、一概に「宝石=物質的な価値」という
短絡的な捉えかたが的を射てるとはいいがたいことがわかるのである。
3幕では「底意地が悪いカラボス」はいっさい登場しない、
ということも付け加えておく。ところで、
「擦らないタイプ」の弦楽器として、
ハープとピアノの対比は効果的である。たとえば、
サン=サーンスの「白鳥」を原曲どおりのpf2台の「伴奏」と、
こちらのほうが一般的になってしまった感があるハープの「伴奏」で
聴き比べてみるといい。逸見政孝が胃癌で亡くなったことによって
「100」番「100」番、のダスキンのCMに起用された
豪放ライラックなキャラの「きんさん・ぎんさん」という貴金属名からは特段
物質的な価値など連想しないが如く、pfのほうが「きらびやか」な感じ、
ときこえる人はごくごく少ないはずである。ちなみに、
フランス語で「100」は「サン」というそうであるが、
きん「サン」・ぎん「サン」とは、なるほど、
きんも「100」歳、ぎんも「100」歳、である。
おなじくダスキンのCMキャラクターだったさだまさしの著書は
「サン」マーク出版が出してることが多い気がする。
チャイコフスキーの「ねむり」において
ハープがピアノに置き換えられたことに、
「きらびやかさ」や「物質的価値感」を結びつけるのは、
ただのまことしやかな作り話にすぎない。話は簡単である。
このバレエにおいては「時間の経過」が重要な事柄なのである。
イナバの物置は100人乗っても大丈夫、だそうであるが、
ねむりの物語は100年経っても大丈夫、なのである。
バレエ「眠れる森の美女」には、
フランス・ブルボン朝になぞらえる部分があるのは確かである。
チャイコフスキーがアポテオーズに引用した
「ヴィヴ、アンリ・カトル(アンリ4世、万歳万歳万々歳)」
のアンリ4世とはブルボン朝の始祖である。
フランスにおける旧教対新教の争い(ユグノー戦争)を
収束させた「ナントの勅令」を発布した王である。いっぽう、
その「ナントの勅令」を破棄する「フォンテーヌブローの勅令」を発したのが
太川陽介王と呼ばれたルイルイ14世である。
フロレスタン24世とはレオノーレの亭主でも
ローベルト・シューマンの二重人格のひとつでもなく、
アンリ4世であり、そのおよそ100年後の
ルイ14世なのである。ちなみに、
「ナントの勅令発布」は1598年、
「フォンテーヌブローの勅令発布」は1685年、であり、
アンリ4世が暗殺されたのが1610年、
ルイ14世が崩御したのが1715年、である。他方、
はっキリシタんことはわからないが
おそらくバルトロメーオ・「クリストーフォリ」によって
pfが発明された時期は、ルイ14世の在位時期と重なる。つまり、
ブルボン朝の始祖であるアンリ4世の時代にはなかったpfが、
ルイ14世の御代には生まれた、ということなのである。
明治も森永もグリコも関係ないのである。
ルイ14世は絶対君主とされてるが、世の中に絶対的なものは
「時間の経過」だけなのである。
ハープからピアノへの置換は、
「100年の時間経過」を示してるのである。
それがアンリ4世「サン」歌なのである。
ブルボン家の花であるユリはキリストの花である。ちなみに、
ユリとリラ(仏lilas、英lilac)は同科でも同属でもないが、
ユリの仏名はlis(リス)、英名はlily(リリ)である。
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