チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「アッレーグロ・ブリッラーンテで糊塗したレクィエム」

2007年12月31日 20時13分58秒 | チャイコ全般(6つの目のチャイコロジー
先ほど「紅白歌合戦」が始まった。トップバッターは
「ハロープロジェクト」なのだが、彼女らの「歌」を聴いてると、
つくづくつんくつんく、初期のころのモー娘のメンバーが
歌が巧かったことが再認識される。が、まぁ、所詮、
「つんく」と民主党の太田和美衆議院議員の顔の区別もつかない
拙脳な私の耳が感じたことである。それはさておき、
先日、日テレで深夜に放送された読売日本交響楽団の
「第九」を観た。司会の古市幸子アナの丈夫そうな体躯を
拝し奉り一年を締めくくる、というわびしくもよこしまな目的のためである。
肝腎の「第九」は下野竜也という名前が下ネタみたいな人物が
指揮を執ってたが、曲終いのテンポはほぼ適切だった。
第916小節からの四分の三拍子の「マエストーゾ」のあとの
第920小節からの「プレスティッスィモ」にメトロノーム指示がなくても、
そこは「二分音符=132」以外は「不正解」である。
至極簡単なことではあるが、
「マエストーゾ」の前の第851小節からの
二分の二拍子の「プレスティッスィモ」が「二分音符=132」、
なのである。終いの「プレスティッスィモ」を
「二分音符=168」以上の速さで奏させる「指揮者」が「支持される」のは、
実はベートーフェンを愚弄して平気な神経というだけでなく、
足元にも及ばない天才を貶めて支配欲求を満たすことに悦びを見出す
屈折した根性の持ち主がウノウヨいる、ということに他ならない。
ともあれ、下野竜也の指揮は、他のほとんどの指揮者が
ノロノロさせる(本来、四分音符=60の)「マエストーゾ」を
ほぼベートーフェンの指示に従ったことに価値がある。ところで、
この「マエストーゾ」は続く「プレスティッスィモ」冒頭の
「fun-ken」から推し量って、
132を二分した「四分音符=66」でしかるべきである。が、
それではさすがに、
***♪レ・<レーーーーーーー・ー>ド>シ>ラ>ソ>ファ>ミ>レ***♪
以下の8分音符を奏させるのは酷だと思ったのであろう、
ベートホーフェンは現実的な問題まで考慮して
「少々」遅めに設定したのである。それはともかく、
「Tochter(トホテル・娘) aus(アオス・の)
 Elysium(エリュズィオム・極楽浄土)」と
「Freude(フロイデ・喜ばしきこと),
 shoener(シェーネル・偉大なる)
 Goetterfunken(ゲッテルフンケン・神の御威光)」
との合唱部のはざまを
***♪レ・<レーーーーーーー・ー>ド>シ>ラ>ソ>ファ>ミ>レ***♪
がなだれ落ちる、という仕立に合った指揮だったのである。

ときに、この「Elysium」という言葉であるが、
無学な私がその語源を知るわけもないが、
米国でbaseballの初めてのgameがとりおこなわれた、
とされるニュー・ジャーズィー州Hoboken
(ハドスン川を挟んだマンハッタンの対岸)の
ニッカーボッカーズの「本拠地球場」の名が
「Elysium Field」だったことと、その
ホーボーケンという地名がオランダのものであり、
野球のユニフォームのニッカーボッカーがオランダ人のものであり、
「第『9』」を作曲したベートホーヴェンがオランダ系であることと、
野球が「9」人「9」回で行われる「球」技であることは、
まったくの偶然ではなかろう。現在の
LAのドヂャー・ステイディアムの所在地が
「Elysium  Park Avenue 1000番地」
であることも、妙な符合である。

さて、この「ベト9」(「ベー9」「第九」)の「歓喜に寄せて」が
「モツ39」(「モー39」)の終章主題の
♪【ミ<ファ<ソ>ファ>ミ>レ>ド<レ】>ソ♪
という「DNA」から「>ソ」という「テロメア」を切り落とした
♪【ミ<ファ<ソ>ファ>ミ>レ>ド<レ】<ミ>レ♪
であることはすでに何度も述べたが、チャイコフスキーの
「3番交響曲」(「チャイ3」)の主章主部主主題推移時に
オッブリガートふうに引用されてることもすでに広く周知のことである。
ところで、「チャイ3」はチャイコフスキーの交響曲中、
唯一「長調」の交響曲であり、主章主部が
「ブリッラーンテ(華麗に)」という標語で糊塗されており、
終章も「ポロネーズ」という「華麗な」音楽である、
という「表向き」の面構えから、巷では
「豪華」という認識がもっぱらのようである。が、
主章序部が「テンポ・ディ・マルチャ・フーネブレ(葬送行進曲のテンポで)」、
中章が「アンダーンテ・エレジーアコ(悲歌のアンダーンテ)」、
という仕立になってるうえに、
次章が「アッラ・テデースカ(ドイツ風味で)」、
終章が「テンポ・ディ・ポラッカ(ポロネーズのテンポで)」、
という対比になってるのである。これは
「アッレーグロ・コン・フオーコ(燃えさかるようなアッレーグロ)」
という本標語の副標語となってるのであるが、
帝政ロシアの音楽において「ポロネーズ」は
「晴れやかな式典」を象徴する音楽である。が、そこには
ポーランドを屈伏させた「為政者」とはいえ、
蒙古の血を注がれドイツの血に乗っ取られたロマノフ家を推し抱く
ロシアの屈折した支配者顕示慾が働いてるのである。
チャイコフスキーはその「4番交響曲」の終章でも
「アッレーグロ・コン・フオーコ(燃えさかるようなアッレーグロ)」
という標語を再び与えたが、その「虚勢」を
「勝利の歓喜」と感じる者はさすがにいないことだろう(しかし、
もの凄い速さで指揮してしまうお門違いも少なくない)。
「3番交響曲」も同じことなのである。ところで、主章序部の
**♪【【ドーーー・>♯ソーーー│<ラー●<シ・<ドーーー】】♪
という動機は、「モツレク」冒頭の
**♪【【ラーーー・ーーーー>♯ソーーー│
  <ラーーー・<シーーー・<ドーーー・ーーーー】】♪
の亜種に他ならない。また、
終章ポロネーズの主主題
**♪『ドーード・ドー<レー・<ファ>ミ』>レ>ド**♪
は『ジュピター音型』なのである。いっぽう、
ベートーフェンの「終い」の交響曲が♭1個の「ニ短」であるのに対し、
チャイコフスキーの「終い」の交響曲は♯2つの「ロ短」であるが、
「5楽章」の「ベト6」の調性が♭1個の「ヘ長」であるのに対し、
チャイコフスキーの「5楽章」交響曲は♯2つの「ニ長」なのである。

今年は、白い革に赤い糸の108つの縫い目がある
ボールの球技が大好きだった父が他界した年だった。昨日は、
一人暮らしになった母のマンションを訪ねたが、
すでに周辺の会社が休業に入ってるので、
とても落ち着いた六本木だった。故メイ牛山女史の
自宅マンションもひっそりとしてた。
昼は閑散としてた30年前の六本木の街並み、そして、
今はなき玄碩坂を思い出す。これからまた
母のマンションに出向き、
「ゆく年くる年うるう年」を観ながら年を越す。

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