たとえば、東京駅丸の内口から内堀通りに出たとすると、
以前なら必ず東京タワーが見えた。が、
内幸町の飯野ビルが高層で建て直してるので、
ほぼ見えなくなってしまった。以前、
大雨の夜にその経路で車を走らせてたときすでに、
まったく見えなかったことがあった。いっぽう、
そういうこととは関係なく、今年の春から夏は
昨年までの春から夏のときよりも、東京の
空の見晴らしが悪くなってると私は感じる。
大気が白ずんでる。
チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」の第12曲の
d)伯爵令嬢たちの踊り[Alegro non troppo、6/8拍子、無調号(ハ長調)]
チェロのオクターヴのディーヴィズィ+コントラバスの
***♪ドード・ドード♪というジーグ様の律動の持続の上に、
ホルン4管+弦楽3部が、
***♪レー<ミ・>ドー>ラ│<レ<ファ>ミッ・>ドー>ラ│
<シ<ド<レッ・<ミ>レ>ドッ│>シ<ド<レッ・>ド>シ>ラッ♪
と、動機を奏する。
「伯爵」なんて、下賎な身の私には縁があるはずもなく、
池袋の喫茶店くらいしか思い浮かばない。が、
チャイコフスキーマニアではあるので、いわゆるオペラ「スペードの女王」で
「伯爵」夫人がカード賭博の必勝法の奥義を授かったのが
サン・ジェルマン「伯爵」だった、というあらすじ程度は知ってる。
[ジェルマン(=フランス語でゲルマン人の意味)→伯爵夫人→ギェールマン(=ロシア語でゲルマン人の意味)]
と、伯爵夫人を介してドイツからドイツに伝わった、という寓意である。ともあれ、
サン・ジェルマン伯爵といえば、現実には(というのも変な言葉づかいだが)
わけの解らない人物だったそうである。それでなくても、
コロンバン、ポンパドール、サン・ジェルマン、アンデルセン、ペック、ジョアン、神戸屋、
などの味の判別ができず、クロワッサンとクロサワサンを聞き分けれず、
パン(pain)と痛み(pain)の区別がつかない拙脳なる私には、
Count(Comte)とEarlとGrafの違いがわかるわけもない。だから、
この「眠れる森の美女」のプロローグの第3曲「パ・ドゥ・スィス」で、
「上質な小麦粉」=「クーラント」が6/8拍子で、
[タータ・タータ]という律動を基盤にしてる。が、
「相関関係が必ずしも因果関係を意味するものではない」
のである。
"It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied;
better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.
And if the fool, or the pig, are a different opinion,
it is because they only know their own side of the question.
The other party to the comparison know both sides."
(不豚足な人間であるほうが豚足にした豚よりましであり、
不豚足なトンソクラテスであるほうが豚足にしたオバカよりましである。
仮にオバカと豚の意見が違うとしても、
それはオバカと豚は物事の一面しか知らないためである。
それにひきかえ、人間は物事の両面を知ってるのである)
リバーテアリアン(自由主義者、オバタリアンではない)のジョン・スチュアート・Millが、
「ユーティリテアリアニズム(功利主義論)」で書いてることである。
夜なべの煎餅焼きに、気つけ代わりのアール・グレイを淹れるつもりである。
以前なら必ず東京タワーが見えた。が、
内幸町の飯野ビルが高層で建て直してるので、
ほぼ見えなくなってしまった。以前、
大雨の夜にその経路で車を走らせてたときすでに、
まったく見えなかったことがあった。いっぽう、
そういうこととは関係なく、今年の春から夏は
昨年までの春から夏のときよりも、東京の
空の見晴らしが悪くなってると私は感じる。
大気が白ずんでる。
チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」の第12曲の
d)伯爵令嬢たちの踊り[Alegro non troppo、6/8拍子、無調号(ハ長調)]
チェロのオクターヴのディーヴィズィ+コントラバスの
***♪ドード・ドード♪というジーグ様の律動の持続の上に、
ホルン4管+弦楽3部が、
***♪レー<ミ・>ドー>ラ│<レ<ファ>ミッ・>ドー>ラ│
<シ<ド<レッ・<ミ>レ>ドッ│>シ<ド<レッ・>ド>シ>ラッ♪
と、動機を奏する。
「伯爵」なんて、下賎な身の私には縁があるはずもなく、
池袋の喫茶店くらいしか思い浮かばない。が、
チャイコフスキーマニアではあるので、いわゆるオペラ「スペードの女王」で
「伯爵」夫人がカード賭博の必勝法の奥義を授かったのが
サン・ジェルマン「伯爵」だった、というあらすじ程度は知ってる。
[ジェルマン(=フランス語でゲルマン人の意味)→伯爵夫人→ギェールマン(=ロシア語でゲルマン人の意味)]
と、伯爵夫人を介してドイツからドイツに伝わった、という寓意である。ともあれ、
サン・ジェルマン伯爵といえば、現実には(というのも変な言葉づかいだが)
わけの解らない人物だったそうである。それでなくても、
コロンバン、ポンパドール、サン・ジェルマン、アンデルセン、ペック、ジョアン、神戸屋、
などの味の判別ができず、クロワッサンとクロサワサンを聞き分けれず、
パン(pain)と痛み(pain)の区別がつかない拙脳なる私には、
Count(Comte)とEarlとGrafの違いがわかるわけもない。だから、
この「眠れる森の美女」のプロローグの第3曲「パ・ドゥ・スィス」で、
「上質な小麦粉」=「クーラント」が6/8拍子で、
[タータ・タータ]という律動を基盤にしてる。が、
「相関関係が必ずしも因果関係を意味するものではない」
のである。
"It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied;
better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.
And if the fool, or the pig, are a different opinion,
it is because they only know their own side of the question.
The other party to the comparison know both sides."
(不豚足な人間であるほうが豚足にした豚よりましであり、
不豚足なトンソクラテスであるほうが豚足にしたオバカよりましである。
仮にオバカと豚の意見が違うとしても、
それはオバカと豚は物事の一面しか知らないためである。
それにひきかえ、人間は物事の両面を知ってるのである)
リバーテアリアン(自由主義者、オバタリアンではない)のジョン・スチュアート・Millが、
「ユーティリテアリアニズム(功利主義論)」で書いてることである。
夜なべの煎餅焼きに、気つけ代わりのアール・グレイを淹れるつもりである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます