有馬記念が終わってその足で久々の長旅に出た。
東京大好き野郎な私にとって、一泊以上は長旅である。
しかも、ラップトップを忘れた。携帯を駆使できないオヤジだから、
宿泊先に帰っても、まったくネット環境にになかった。
浦島太郎感覚である。
チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」の第30曲「フィナル」は、
1)マズルカ
2)アポテオズ
の2つから構成されてる。その
2)Apotheose(アポテオズ=大詰め)はまた、
a)変ロ長調のファンファーレ
b)ト短調の「アンリ4世讃歌」
から成る。そのb)にチャイコフスキーが引用したのが、
"Vive Henri IV(ヴィヴ、アンリ・キャトル=万歳、アンリ4世)"
[Vive Henri quatre, (ヴィヴ・アンリ・キャトル=万歳、アンリ・4世)
Vive ce roi vaillant, (ヴィヴ・ス・ルワ・ヴァイヤン=万歳、勇敢なる王)
Vive Henri quatre,
Vive ce roi villant!
Ce diable a quatre, (ス・ディヤーブル・ア・キャトル=こいつときたら、そのちんけな四肢に)
A le triple talent, (ア・ル・トリプル・タラン=三つの甲斐性(=飲む打つ買う)、)
De boire et de battre, (ドゥ・ブワル・エ・ドゥ・バトル・タラン=大酒飲みで勝負事が好きで)
Et d'etre vert galant. (エ・デトル・ヴェル・ギャラン=そして女好き)]
という"民謡"である。その、
王をおちょくったような、よく言えば親しみを込めた歌詞からは、
現在日本の常識では想像しがたいかもしれないが、
アンリ4世の生前にすでに流布してた歌だという。そして、
革命までは非公式なフランス国歌のような位置づけだったらしい。
革命で"現在も国歌の"「ラ・マルセイエズ」が国歌になるが、
ナポレオン1世の帝政を経て、王政復古の1814年に、今度は
正式にこの「アンリ4世界讃歌」がフランス国歌となった。
コレはまた、
17世紀から翌世紀にかけて、フランスの作曲家によって
いくつか引用されてるようである。チャイコフスキーが
オペラ「スペイドの女王」で引いたグレトリも、この
「アンリ4世讃歌」を"Le Magnifique(ル・マニフィク)"
(Il Magnifico=イル・マンニーフィコ=(フィレンツェの)偉大なる人物=戦闘の英雄)
という、ボッカッチョの「デカメロン」3日め第5話をモトネタにした
ラ・フォンテヌの詩を脚色したオペラで使ってる。
****♪ラーーー・ラーラー│>ソーーー・ソー<ドー│>シー>ラー・>♯ソー<ラー│>ミーーー・●●●●│
<ラーーー・ラーラー│>ソーーー・ソー<ドー│>シー>ラー・>♯ソー<ラー│>ミーーー・●●●●│
<ドーーー・>シー>ラー│<シーーー・シーシー│>ラーラー・>♯ソー<ラー│>ミーミ<ファ・<ソーソー│
>ドーーー・ドードー│<レーレー・<ミーミー│>ラーーー・ーーーー♪
前半8小節、後半7小節、という、後半が寸足らずな節構成になってる。
AFP(山路徹がこれに紛らわしく似せて作ったAPFとは無関係)が
今月半ばに伝えたところによると、
http://actu.orange.fr/france/authentifier-la-tete-d-henri-iv-une-enquete-digne-d-
une-affaire-criminelle_82562.html
[【流転200年……仏国王アンリ4世の頭部、本物と断定】
パリ市内の退役税務署員宅の屋根裏で見つかった
アンリ4世(1553-1610)のものではないかとされる半ばミイラ状の頭部が、
フランス政府が組織した法医学チームによって本物だと鑑定された]
らしい。
狂信的なカトリック教徒に刺殺されたアンリ4世の遺体は、
革命のさなかにサン・ドニ大聖堂のフランス王家墓所から引きづり出されて
バラバラにされ、どこかに埋められてしまった、とされてた。
そのうち、頭部は転々と所有されてた。このたびは、
サンドニ一度の確率で本物が見つかったということである。
紛失から200年。ナントの勅令は87年しかもたなかったが、
オロル姫らの眠れる森は100年経っても大丈夫だったし、
アンリ4世の頭部は死後400年経っても大丈夫だったのである。
東京大好き野郎な私にとって、一泊以上は長旅である。
しかも、ラップトップを忘れた。携帯を駆使できないオヤジだから、
宿泊先に帰っても、まったくネット環境にになかった。
浦島太郎感覚である。
チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」の第30曲「フィナル」は、
1)マズルカ
2)アポテオズ
の2つから構成されてる。その
2)Apotheose(アポテオズ=大詰め)はまた、
a)変ロ長調のファンファーレ
b)ト短調の「アンリ4世讃歌」
から成る。そのb)にチャイコフスキーが引用したのが、
"Vive Henri IV(ヴィヴ、アンリ・キャトル=万歳、アンリ4世)"
[Vive Henri quatre, (ヴィヴ・アンリ・キャトル=万歳、アンリ・4世)
Vive ce roi vaillant, (ヴィヴ・ス・ルワ・ヴァイヤン=万歳、勇敢なる王)
Vive Henri quatre,
Vive ce roi villant!
Ce diable a quatre, (ス・ディヤーブル・ア・キャトル=こいつときたら、そのちんけな四肢に)
A le triple talent, (ア・ル・トリプル・タラン=三つの甲斐性(=飲む打つ買う)、)
De boire et de battre, (ドゥ・ブワル・エ・ドゥ・バトル・タラン=大酒飲みで勝負事が好きで)
Et d'etre vert galant. (エ・デトル・ヴェル・ギャラン=そして女好き)]
という"民謡"である。その、
王をおちょくったような、よく言えば親しみを込めた歌詞からは、
現在日本の常識では想像しがたいかもしれないが、
アンリ4世の生前にすでに流布してた歌だという。そして、
革命までは非公式なフランス国歌のような位置づけだったらしい。
革命で"現在も国歌の"「ラ・マルセイエズ」が国歌になるが、
ナポレオン1世の帝政を経て、王政復古の1814年に、今度は
正式にこの「アンリ4世界讃歌」がフランス国歌となった。
コレはまた、
17世紀から翌世紀にかけて、フランスの作曲家によって
いくつか引用されてるようである。チャイコフスキーが
オペラ「スペイドの女王」で引いたグレトリも、この
「アンリ4世讃歌」を"Le Magnifique(ル・マニフィク)"
(Il Magnifico=イル・マンニーフィコ=(フィレンツェの)偉大なる人物=戦闘の英雄)
という、ボッカッチョの「デカメロン」3日め第5話をモトネタにした
ラ・フォンテヌの詩を脚色したオペラで使ってる。
****♪ラーーー・ラーラー│>ソーーー・ソー<ドー│>シー>ラー・>♯ソー<ラー│>ミーーー・●●●●│
<ラーーー・ラーラー│>ソーーー・ソー<ドー│>シー>ラー・>♯ソー<ラー│>ミーーー・●●●●│
<ドーーー・>シー>ラー│<シーーー・シーシー│>ラーラー・>♯ソー<ラー│>ミーミ<ファ・<ソーソー│
>ドーーー・ドードー│<レーレー・<ミーミー│>ラーーー・ーーーー♪
前半8小節、後半7小節、という、後半が寸足らずな節構成になってる。
AFP(山路徹がこれに紛らわしく似せて作ったAPFとは無関係)が
今月半ばに伝えたところによると、
http://actu.orange.fr/france/authentifier-la-tete-d-henri-iv-une-enquete-digne-d-
une-affaire-criminelle_82562.html
[【流転200年……仏国王アンリ4世の頭部、本物と断定】
パリ市内の退役税務署員宅の屋根裏で見つかった
アンリ4世(1553-1610)のものではないかとされる半ばミイラ状の頭部が、
フランス政府が組織した法医学チームによって本物だと鑑定された]
らしい。
狂信的なカトリック教徒に刺殺されたアンリ4世の遺体は、
革命のさなかにサン・ドニ大聖堂のフランス王家墓所から引きづり出されて
バラバラにされ、どこかに埋められてしまった、とされてた。
そのうち、頭部は転々と所有されてた。このたびは、
サンドニ一度の確率で本物が見つかったということである。
紛失から200年。ナントの勅令は87年しかもたなかったが、
オロル姫らの眠れる森は100年経っても大丈夫だったし、
アンリ4世の頭部は死後400年経っても大丈夫だったのである。
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