私がガキだった頃、誕生日の祝いに、何度か
帝国ホテルのレ・セゾンに家族で行った。それから、
家族で行く京都では、都ホテルに泊まることが多かった。いっぽう、
京都の錦市場や新京極のあたりは、
修学旅行専門の旅館が私がガキの頃には多かった。
中学校の修学旅行のときの夜の自由時間に
新京極を走り回って遊んだ。そんな
錦小路の青物問屋の大店の家に生まれたのが、
のちの伊藤若冲(およそ西暦1716-1800)である。
「伊藤若冲ミラクルワールド」の放送がNHKBSプレミアムで
25日から4夜連続で始まった。
絵心があり、若冲の大ファンだという嵐の大野智が司会である。
若沖は明治以降「忘れられた絵師」だった。そして、戦後、
その真価は日本でなく、NYで「発掘」され、その価値があがって
"上・Price"が附けられるようになった。その
Joe Price(ジョウ・プライス)は、オクラホマの
石油パイプライン会社経営者のボンボンだった。NYで、
かつて自社ビル(いわゆるプライス・タワー)の設計を依頼した
フランク・ロイド・ライトに付き合って古美術屋に行き、そこで見た
「葡萄図」にジョウ・プライスは衝撃を受けた。それが、
プライスが若冲に憑かれるきっかけだった。
プライスは来日して、当時は二束三文だった若冲を
買い漁ってった。かくして、若冲は
渡米したのである。85歳の生涯の晩年、若沖は京都を襲った
大火で家を失う。そして、
大阪に転居した若冲は、生まれて初めて、
銭のために絵を描いた。絵1枚の
対価として米を1斗。かくして、
斗米庵(トベイアン)、米斗翁(ベイトオウ)と号した。
さて、
「伊藤若冲ミラクルワールド」の第1回では、若沖の
「裏彩色(ウラザイシキ)」にスポット・ライトをあててた。
絵絹の裏側にも絵の具を塗って色彩に変化をつける技法である。
当然に若冲固有のものではない。が、
その用いかたが絶妙なのである。ところで、
ベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調、
いわゆる「運命」の、あの有名な冒頭の、
♪●ミ・ミミ│>ドー・ーー(フェルマータ)│
●<レ・レレ│>シー・ーー│ーー・ーー(フェルマータ)♪
は、弦楽5部によるユニゾン……
両翼vnの完全ユニゾンに、そのオクターヴ下のヴィオーラ、
そのまたオクターヴ下のチェロとコントラバス、という
「3段構え」……である。
が、
両翼vnの音高に、ベートーヴェンは
B管のクラリネット2管の「裏彩色(ウラザイシキ)」を
塗り重ねてるのである。これは、
オケの楽器が大音量なサウンドおよび編成になってる現在では
想像するのが難儀であるが、当時の擦弦楽器は、
驚くほど音が響かない。弓で擦ってても、
音は減衰してしまうのである。が、
そこに、ベートーヴェンは「フェルマータ」をかけた。ということは、
そこに何らかの……というか、大きな……意味がある。が、
世の中のたいていの人々は、
チャイコフスキーの「悲愴交響曲」のppppppをバス・クラリネットに
取って代わらせて平気な神経の演奏者同様、
ベートーヴェンが低知能で、気まぐれでそうしたとでもいうように、
その「フェルマータ」の意味を考えようともしない。が、
少しでも考える脳がある生物だったら、
そこにクラリネットが裏打ちされてる理由が解るはずである。付け加えれば、
当時のクラリネットは
「音程が悪かった(強奏では下がる)」
ということである。
"プロ"の演奏家の中には、これらのことを勘案して、
ベートーヴェンの意図を再現してみせる真っ当なのは
一人もいないのだろうか。
大盈若冲……頭は使ってこそ価値がある。
帝国ホテルのレ・セゾンに家族で行った。それから、
家族で行く京都では、都ホテルに泊まることが多かった。いっぽう、
京都の錦市場や新京極のあたりは、
修学旅行専門の旅館が私がガキの頃には多かった。
中学校の修学旅行のときの夜の自由時間に
新京極を走り回って遊んだ。そんな
錦小路の青物問屋の大店の家に生まれたのが、
のちの伊藤若冲(およそ西暦1716-1800)である。
「伊藤若冲ミラクルワールド」の放送がNHKBSプレミアムで
25日から4夜連続で始まった。
絵心があり、若冲の大ファンだという嵐の大野智が司会である。
若沖は明治以降「忘れられた絵師」だった。そして、戦後、
その真価は日本でなく、NYで「発掘」され、その価値があがって
"上・Price"が附けられるようになった。その
Joe Price(ジョウ・プライス)は、オクラホマの
石油パイプライン会社経営者のボンボンだった。NYで、
かつて自社ビル(いわゆるプライス・タワー)の設計を依頼した
フランク・ロイド・ライトに付き合って古美術屋に行き、そこで見た
「葡萄図」にジョウ・プライスは衝撃を受けた。それが、
プライスが若冲に憑かれるきっかけだった。
プライスは来日して、当時は二束三文だった若冲を
買い漁ってった。かくして、若冲は
渡米したのである。85歳の生涯の晩年、若沖は京都を襲った
大火で家を失う。そして、
大阪に転居した若冲は、生まれて初めて、
銭のために絵を描いた。絵1枚の
対価として米を1斗。かくして、
斗米庵(トベイアン)、米斗翁(ベイトオウ)と号した。
さて、
「伊藤若冲ミラクルワールド」の第1回では、若沖の
「裏彩色(ウラザイシキ)」にスポット・ライトをあててた。
絵絹の裏側にも絵の具を塗って色彩に変化をつける技法である。
当然に若冲固有のものではない。が、
その用いかたが絶妙なのである。ところで、
ベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調、
いわゆる「運命」の、あの有名な冒頭の、
♪●ミ・ミミ│>ドー・ーー(フェルマータ)│
●<レ・レレ│>シー・ーー│ーー・ーー(フェルマータ)♪
は、弦楽5部によるユニゾン……
両翼vnの完全ユニゾンに、そのオクターヴ下のヴィオーラ、
そのまたオクターヴ下のチェロとコントラバス、という
「3段構え」……である。
が、
両翼vnの音高に、ベートーヴェンは
B管のクラリネット2管の「裏彩色(ウラザイシキ)」を
塗り重ねてるのである。これは、
オケの楽器が大音量なサウンドおよび編成になってる現在では
想像するのが難儀であるが、当時の擦弦楽器は、
驚くほど音が響かない。弓で擦ってても、
音は減衰してしまうのである。が、
そこに、ベートーヴェンは「フェルマータ」をかけた。ということは、
そこに何らかの……というか、大きな……意味がある。が、
世の中のたいていの人々は、
チャイコフスキーの「悲愴交響曲」のppppppをバス・クラリネットに
取って代わらせて平気な神経の演奏者同様、
ベートーヴェンが低知能で、気まぐれでそうしたとでもいうように、
その「フェルマータ」の意味を考えようともしない。が、
少しでも考える脳がある生物だったら、
そこにクラリネットが裏打ちされてる理由が解るはずである。付け加えれば、
当時のクラリネットは
「音程が悪かった(強奏では下がる)」
ということである。
"プロ"の演奏家の中には、これらのことを勘案して、
ベートーヴェンの意図を再現してみせる真っ当なのは
一人もいないのだろうか。
大盈若冲……頭は使ってこそ価値がある。
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