こんばんは~、マリーで~す。もう、うちのおばはんときたら、今日はもうくたくただから書くのは勘弁してくれって、またあたしに押し付けてきたのよ。そんなのずるいと思わない?ひどいわ。
今日はお昼過ぎからずっとあのひとと一緒にお外に出かけてたのよ。世間ではちょうどお盆が近い時期じゃない。あたしは詳しいことはよく知らないんだけど、カトリック教会じゃ毎年この時期は、広島・長崎の原爆投下の日も含めて日本では終戦記念日でもあり、教会ではマリア様の大きなお祝い日でもある8月15日までを平和旬間て呼んで、戦争の思い出を忘れないように、そして世界の平和を祈り願うように勧められているみたいよ。
それで、今日は東京教区では、聖イグナチオ教会のヨセフホールで講演会があったり、平和を祈って四ツ谷からカテドラルまで信者の人たちがミニ巡礼みたいに歩いて行ってミサに与かったりしたわけよ。
それでね、うちのおばはん、講演会でルーテル教会の内藤先生って言う牧師さんの講演を聞いて、はっと昔のことを思い出したの。今の若い人はもうあまり知らないかもしれないけど、アメリカのピート・シーガーっていうフォークソングの歌い手がいたの。まだ生きてたと思うけど相当のお年でしょうね。
それでこの方の歌っていた有名な歌に、「戦争の親玉」って言うのがあるのよ。今確かめて見たら、おばはんが聞いたのはピート・シーガーの歌でだったけど、本家はボブ・ディランのうただったみたい。ごめんなさい。でも聞いたことあるかしら。うちのおばはんは今日の講演を聞いて40数年ぶりにあの歌を思い出したの。なんかさあ、人間のやってることっていつの時代も全然変わってないみたい。 だけど今の時代は、下手をするとその結果は人類自体が全滅しかねない怖さがあるんだわさ。
でも、何の力も無い一般人としては何が出来るかって考えると、頭が痛くなるばかり。今年2012年の平和のための祈りの中には、「人間の限界をわきまえ、単純質素な生き方を選ぶことが出来ますように」、っていう言葉があって、うちのおばはんなんかはその言葉に惹かれるらしいんだけど、昔の日本を知らない若い人たちにそれが理解できるかどうかって言うと、怪しい物だって思うのよね。
今日、あの人、すごく久しぶりに昔の知り合いのシスターを見かけたの。30数年前のそのシスターの会は、夏でも扇風機もなかったのよ。蚊取り線香も一番原始的な蚊燻しなんかを使っていたし、すごい生活をしてたの。実を言うと、あれを見てたから、うちのおばはんが、今の状況に追いやられてもそれなりにあるものでやっていけるのよね。昔のシスターたちみたいなことは到底無理でも、なければないでなんとかなるのもよくわかってるのよ。でも、今の人たちでそういうことができるのかしら?
それを可能にするにはよっぽど内面を豊かにしていかないと難しいと思うんだけど、果たして今の日本でどうなのかしらとか考えちゃうのよね。美しい自然に囲まれた地方の風土もいまや放射能が心配な時代でよ。
今はとにかく祈るしかないのよね。人間同士は一人一人、感じ方、考え方が違うから、つまんないことでお互いに行き違ったりするんだけど、それでも、何とか身近なところから平和を求めていくしかないみたいね。うちのおばはんなんか変なとこで短気になるんだけどあれじゃいけないんだわ。戦争の親玉を育てる土台を作っちゃだめなんだわさ。
今日はやたら、考えさせられる一日だったけどこの辺でとりあえずおしまいよ。ほんじゃまたね。
今日はお昼過ぎからずっとあのひとと一緒にお外に出かけてたのよ。世間ではちょうどお盆が近い時期じゃない。あたしは詳しいことはよく知らないんだけど、カトリック教会じゃ毎年この時期は、広島・長崎の原爆投下の日も含めて日本では終戦記念日でもあり、教会ではマリア様の大きなお祝い日でもある8月15日までを平和旬間て呼んで、戦争の思い出を忘れないように、そして世界の平和を祈り願うように勧められているみたいよ。
それで、今日は東京教区では、聖イグナチオ教会のヨセフホールで講演会があったり、平和を祈って四ツ谷からカテドラルまで信者の人たちがミニ巡礼みたいに歩いて行ってミサに与かったりしたわけよ。
それでね、うちのおばはん、講演会でルーテル教会の内藤先生って言う牧師さんの講演を聞いて、はっと昔のことを思い出したの。今の若い人はもうあまり知らないかもしれないけど、アメリカのピート・シーガーっていうフォークソングの歌い手がいたの。まだ生きてたと思うけど相当のお年でしょうね。
それでこの方の歌っていた有名な歌に、「戦争の親玉」って言うのがあるのよ。今確かめて見たら、おばはんが聞いたのはピート・シーガーの歌でだったけど、本家はボブ・ディランのうただったみたい。ごめんなさい。でも聞いたことあるかしら。うちのおばはんは今日の講演を聞いて40数年ぶりにあの歌を思い出したの。なんかさあ、人間のやってることっていつの時代も全然変わってないみたい。 だけど今の時代は、下手をするとその結果は人類自体が全滅しかねない怖さがあるんだわさ。
でも、何の力も無い一般人としては何が出来るかって考えると、頭が痛くなるばかり。今年2012年の平和のための祈りの中には、「人間の限界をわきまえ、単純質素な生き方を選ぶことが出来ますように」、っていう言葉があって、うちのおばはんなんかはその言葉に惹かれるらしいんだけど、昔の日本を知らない若い人たちにそれが理解できるかどうかって言うと、怪しい物だって思うのよね。
今日、あの人、すごく久しぶりに昔の知り合いのシスターを見かけたの。30数年前のそのシスターの会は、夏でも扇風機もなかったのよ。蚊取り線香も一番原始的な蚊燻しなんかを使っていたし、すごい生活をしてたの。実を言うと、あれを見てたから、うちのおばはんが、今の状況に追いやられてもそれなりにあるものでやっていけるのよね。昔のシスターたちみたいなことは到底無理でも、なければないでなんとかなるのもよくわかってるのよ。でも、今の人たちでそういうことができるのかしら?
それを可能にするにはよっぽど内面を豊かにしていかないと難しいと思うんだけど、果たして今の日本でどうなのかしらとか考えちゃうのよね。美しい自然に囲まれた地方の風土もいまや放射能が心配な時代でよ。
今はとにかく祈るしかないのよね。人間同士は一人一人、感じ方、考え方が違うから、つまんないことでお互いに行き違ったりするんだけど、それでも、何とか身近なところから平和を求めていくしかないみたいね。うちのおばはんなんか変なとこで短気になるんだけどあれじゃいけないんだわ。戦争の親玉を育てる土台を作っちゃだめなんだわさ。
今日はやたら、考えさせられる一日だったけどこの辺でとりあえずおしまいよ。ほんじゃまたね。