肉食ねえ

2015-06-08 18:56:22 | Weblog
今見直したところ、なんと書いた後、確定をしなかったらしい。ちゃんとコピーと、エキサイトブログのほうには残っていたのでもう一度アップすることにした。


最近、骨付きラムが全然手に入らなくなっている。マトンさえ見かけないのだがどこの地域でもこんななのだろうか。牛肉は輸入量が増え値段もとても安くなっているが、それほど食べたいと思えない。たまに急いでいるときに牛丼くらいは食べるが牛よりは豚になじみの深い関東人だ。

さらに豚より鶏の肉の味に慣れている。子供の頃、庭には放し飼いの鶏がいるのが当たり前だった田舎の人間だ。とはいっても、その昔は鶏を食べるために殺すのも親たちがしていたから強烈な場面を見て、それ以来二十歳過ぎて外で勤めるまで、鶏が食べられなかった時期があった。

頭のない鶏の首から噴水のように高く血が吹き上げている場面、実は今でも忘れられない。だから中東の事件で斬首などと聞くと、ぱっとあの場面が目に浮かんでもう駄目だ。いや、実はもうひとつある。父が癌で入院していたとき、同室にいた方が手術がうまくいかなくて再発し再入院して今度は父とは別々に個室に入っていたとき、癌の患部が開いてしまい頚動脈が切れて部屋も廊下も血の海で亡くなってしまった。

そのとき、こちらはこちらで父が危なくなって大慌てしていたので廊下の血の海もそれどころではなく、その血だらけの廊下を走り回っていて、後からその話を聞いて、じゃあ、あの血の海は父と同室にいた顔見知りの方だったのかとわかり、なんともいえない気持ちだった。そして子供のときに見た鶏の首から噴水のように噴出す血を思い出して、人間も同じなのだとつくづくわかったものだ。

生と死、この世とあの世は本当に紙一重なのだと思った。でもそれでお肉が食べられなくなったかというとぜんぜんそうではない。もともと肉より魚のほうが好きだったのと、若い頃は肉はスープやカレーの出しを取る程度にしか使っていなかったからだ。

それよりお肉を意識して食べるようになったのは、阿佐ヶ谷に住んでいたとき当時のかかりつけ医だった阿佐ヶ谷クリニックの先生が一人暮らしで食もめちゃくちゃだった当方の食生活にこれはまずいと、ちゃんとした指導をしてくださったおかげだ。お肉はあまり好きでなくてもちゃんと食べておかないと傷の直りが悪かったり、必要な体力がなくなるといわれて、それ以来、食べ物は薬と同じなのだと気がついてからだだった。

いずれにしても、今も本当言うと肉は無ければ無いでかまわない。代わりのたんぱく質をさがすだけだ。やわらかいラムが好きだったのだがこう高騰してはしかたがない。フランスのようにウサギもれっきとした食肉に入れている国の肉食と違い、日本の肉食はただのまねっこだからたいしたことはない。そのうちにまねっこの皮がはがれて本物が残ったとき、日本の肉食も本物になるのだろうな。