秋田犬お婆さんの足の上で眠くなる【akita dog】
廃線の動画をいくつか見ながらふと思い出したのは、小学生のころの夏休み。当時の我が家は小学校は家のすぐそばにあったものの、もともとが畑の中に人家が2、3軒しかなかったような、ど田舎で小学校に入学するまで年の近い子供とはほとんど遊ぶ機会がなかったような状況。だから夏休みに船橋の母の実家にいくと、いとこのの女の子たちはいるし、お盆のときだったから親類一同が集まってにぎやかで子供心にも楽しく面白い毎日だったわけだ。
しかし送り火も消えると、普段の生活に戻るために親と一緒に叔父の運転する車に乗って我が家に帰るのだった。しかし4年生か、5年生のころだったかと思うが、毎年繰り返すその儀式に逆らってみたくなった。家には帰りたくない、楽しかった昨日に戻りたい。と本気で考えた。まあ無理なのはわかっていても、もしかしたら一家を家に送り届けてまた戻っていく叔父の車を追いかけて追いつけたらv昨日に戻れるのではないかと思い、本気で車の後を追って走ったが、さすがに追いつくわけもなく、それ以来、絶対終わりのないものがほしいという気持ちをいだくようになったのだ。
どんな喜びも楽しみも終わってしまうというなんともいえない悲しみ、寂しさ、去年まで自分を可愛がってくれた人が今はお墓の中だし、こんなのいやだ、終わりのないもの、尽きることのないものでなければいやだ、と思ったのが、小学生の女の子が宗教的なものに関心をもったはじまりだったのだ。
そこから幾星霜、いまや大台もいいところにきてしまった。でもこの気持ちは今も消えていないのさ。
しかし送り火も消えると、普段の生活に戻るために親と一緒に叔父の運転する車に乗って我が家に帰るのだった。しかし4年生か、5年生のころだったかと思うが、毎年繰り返すその儀式に逆らってみたくなった。家には帰りたくない、楽しかった昨日に戻りたい。と本気で考えた。まあ無理なのはわかっていても、もしかしたら一家を家に送り届けてまた戻っていく叔父の車を追いかけて追いつけたらv昨日に戻れるのではないかと思い、本気で車の後を追って走ったが、さすがに追いつくわけもなく、それ以来、絶対終わりのないものがほしいという気持ちをいだくようになったのだ。
どんな喜びも楽しみも終わってしまうというなんともいえない悲しみ、寂しさ、去年まで自分を可愛がってくれた人が今はお墓の中だし、こんなのいやだ、終わりのないもの、尽きることのないものでなければいやだ、と思ったのが、小学生の女の子が宗教的なものに関心をもったはじまりだったのだ。
そこから幾星霜、いまや大台もいいところにきてしまった。でもこの気持ちは今も消えていないのさ。
廃線探訪 西武安比奈線② Disused line explore Seibu Ahina-line Vol.2
廃線探訪 西武安比奈線① Disused line explore Seibu Ahina-line Vol.1