今夜のパリは久しぶりに稲妻を伴った激しい雨。 夜空が明るくなるほどの閃光とドロロローンという轟に胸がワクワク、ソワソワします。 子供の頃はよく部屋を真っ暗にして、まるで花火でも見るかのように窓から夜空を走る稲妻を見るのが好きでした。 季節外れの低気圧で、こちらはこれからしばらく雨模様が続くようです。
さて、今日でブログを始めて10日目 (という表示が編集画面に)。
少しはブログというものを勉強したほうが良いのでは?と、ブログ・ランキング上位の方達を覗かせて頂き、イマドキのセンスとは無縁な自分を痛感。 数年前に時々読んでいて好きだった小説家さんのブログを検索したら、新しいアメブロ版日記をみつけたのでこちらも拝読。 さらっと書いているようで人生の喜怒哀楽を大きな愛情で包み込み、素敵な情報が満載のうえに所々さりげなく宣伝まで挟んであって、流石はプロの文筆家。 余裕の貫禄、そして深い視点に軸のブレない振り幅が違います。
…ビギナーはつたなくとも正直に、大切な基本だけ忘れずに、自分なりに書けばよいのだわ、と今更ながら思いました。
ところで、人生に夢や希望はいっぱいありますが、現実的に自分にできることはソコソコ限られています。 そして何にでも「その時にしかできないコト」という人生のタイミングがあるようです。 逆に言うと、タイミングが合わなければ、どんなに良さそうなコトでも実現は難しいようです。 これが夢と呼ばれるのかも。 夢をつかむ、とか、引き寄せる、なんてこともよく言いますが。
例えば、私の「ブログを書いてみる!」も、いまタイミングの合った、いまだからできるコト、のひとつに違いありません。
思い出してみれば日本にいた頃も、人生の節目で迷った時は「きっと今しかできない率」を自分のプライオリティの基準にしていました。 大学を卒業した時の「新卒で企業に就職」がそれでしたし、職場を辞める決意をした時の「留学」もそれでした。 そうしてフランスに来たのでした。
こちらでは結婚するまでフリーランスで写真の仕事をしていました。 そもそもフランスに来た最初の目的が写真の勉強を続けること。 卒業してから数年勤めていた広告写真の制作会社(と言っても、それはほぼお茶汲みの行でしたが 涙)をサクッと辞めて日本を飛び出したのです。 (ヤッター!) それまでノホホンと実家で暮らしていた私が、 突然、言葉もできず、ほぼ誰も知らない海外での一人暮らし(最初はブザンソンの語学学校が紹介してくれたホームステイ)にジャーンプ!したのです。 毎日が新しいチャレンジの連続。 文化も人種も習慣も違い、習い始めたばかりのフランス語では意思の疎通も難しく(フランス人は意外と英語ができない)、東洋系外国人に冷たいフランス人にカルチャー・ショックを受けて涙することも…(イジワルな人間はどこにでもいる)。 でも行く先々で新しい出会いに助けられて、泣いても笑っても楽しかった! (若いって素晴らしい〜)
当時は怖いもの知らずで、なんでもダメ元で体当たり。 1〜2年ほどフランス語の勉強に集中してから、南仏アルルの国立写真学校(l'Ecole Nationale de la Photographie d'Arles)の留学生枠を受験。 写真の勉強をアルルで再開できることになりました。 アルルの学校では「頭で考える写真」(日本の感性神話や職人気質とは対照的な)に驚き、「何をどう撮るか」だけでなく「なぜ撮るのか」がいかに大切かを教えられて、自分にとっての写真の意味を問い直す機会をもらいました。
その後もパリの国立アール・デコ校(l'Ecole Nationale Supérieure des Arts Décoratifs de Paris)に編入して写真の勉強を続け、作品づくりに熱中。 その頃、夏にはアルル写真祭やペルピニャン報道写真祭を仲間と見て歩き、それまで自分はまったく関心がなかった報道写真を志す友人達ができて、これまた知らなかった別の世界を教えてもらいました。 お金は無くてお家賃払うのもギリギリな時もあったけど、たくさんの人に助けられて、まことに学びも実りも多く、自由で豊かな時代でした。
夜空にキラキラと輝く星々のように、思い出たちは今も私の中で生きています。 あの頃のすべての恩人に限りないありがとう!を伝えたいです。 そしてこれからも、その時々にしか出来ないことを自分なりに精いっぱいできたら幸せです(家庭の主婦修行、続行中)。
さて、先日のぬか床が熟成して、お初のぬか漬け(キュウリ)が美味しく仕上がりました! 一夜漬けでしたが、薄く刻んで生姜のみじん切りと和えました。 私のマドレーヌ、祖母の古漬けにはまだまだ遠いですが、家族も美味しい!と喜んで食べてくれました。
皆さま、どうぞご自愛下さい。