昨日の名言にDOGはGODを逆さにつづったもの、、なんてのを上げましたが、昨日はそれを実感する出来事が。
ロッキーの命日、そして亡くなった時間の夜8時22分(これは息子が記録していた)になって、再び涙の波が押し寄せてきたとき、そばにいたこたろうが膝にすり寄り、手でぽんぽんと優しく膝を叩きました。
え?と思ってその顔を見ると、生まれつきやさしい顔立ちのこたろうが、慈愛に満ちた目で見上げていました。
その目を見て、ロッキーにやさしくできなかった日々をまた思い出し、ロッキーはママを許してくれるかな、ってこたろうに聞くと、だいじょうぶだいじょうぶとでも伝えるように、ぺろぺろと手をなめてきました。
言葉での会話のない数分間、童話の一ページのような、一人暮らしのおばあちゃんとわんこの静かな時間が流れました。
笑
わんこは神だと、心底思いました。
言葉を選び、それでも色々に受け止められてしまう人間の世界。
動物や植物にだって、コミュニケーションの手段はあるけど、すべて命をつなぐためだけにあるものでしょう。
警戒、親やパートナーを呼ぶ声など。
ロッキーと暮らしたころとは、全く環境が違いますが、この日があることをわかってて、ロッキーがこたろうとめぐり合わせてくれたのだ、と感じました。
それは、人間様の都合のいい解釈ではなくて、常識を超えた何かの計らいだと。
もちろん、こたろうはロッキーの代わりではありません。
そんなこたろうくんは、お散歩のときに、以前よりいろんなところをクンクンするようになりました。
しかし、マーキングする気持ちは一切ないようで、クンクンした後で、自分のお尻の匂いを確認して終わりです。
何故か、わんこたちの大好きな電信柱には近づきません。
電信柱の周りはとても汚いので、私が避けて通るせいもあるでしょうけど。
家に帰って足を洗って、ご褒美もらったら、トイレにまっしぐら。
そこはロッキーとは大違いですが、こたろうがお散歩嫌いなことも、今の状況の私としては本当にありがたいことなんです。
ロッキーは、レインコートが必要なくらい、雨でも雪でもお外にいかないといけませんでしたから。
こたろうには、雨だからお散歩行けないねえ、ですみます。
ところで、ロッキーのお骨はいまだにおうちにありますが、そんな人は結構多いみたいですね。
火葬を頼んだ時、終わったら共同の納骨場に納めてもらうオプションがあって、最初はそれに申し込んだのです。
骨に執着などなかったのですが、ぎりぎりになって手放したくなくなり、そのまま自宅に置きました。
そういうところにクールな私としては、自分自身で意外な行動でした。
火葬が終わったばかりの小さな骨壺が熱かったこと、忘れられません。
命が終わり、魂が抜けたものに何にも未練はないと思っていたのに、これも私の煩悩のひとつでした。
そんな昨日は、涙に明け暮れたわけでもなく、おとといから四苦八苦して下描きをしていた猛禽に、水彩で色を付け始めました。
全体像を描きたいときは水彩を使うことが多いのですが、水彩はやっぱり難しい。
背景を迷っています。拝啓おふくろさま。
画竜点睛という言葉もありますが、いつからか、鳥は目から描くようになりました。
でも、最後の細かい仕上げも目、です。
仕上げた瞬間、大空へ、なんて程素晴らしい絵が描いてみたいものですが、一生自己満でしょう。
今日も日記を書くように絵を描きます。
今日の名言
犬があなたの膝に飛び込むなら、それはあなたが好きだからだ。
猫が同じことをするなら、それはあなたの膝が暖かいからだ。
If a dog jumps into your lap, it is because he is fond of you. But if a cat does the same thing, it is because your lap is warmer.
イギリスの数学者、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド
イヌ派ネコ派の言い分はあるでしょうが、これは的確な表現だと思います。
そういえば、独身の時飼っていた猫のマイケルは、私が出かけようとすると膝に入ってきた。
あれは、私が好きだからじゃなくて、一人になるのがいやだったからかな。
笑
それもまたねこのかわいいとこですよね。
そんな私はもとネコ派。
もとふゆきじゃないよ。
ご訪問頂きありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫
*ここに書いたことはあくまでも私個人の見解です。