先日、山の奥の田舎に帰省した時に感じたことです。
タイトルで勝手に読みを変えてみましたが、今日はそのように読んでいただきたいと思います
実家を離れて、はやうん十年。
幼い頃は山や川で遊び、四季折々の草花や虫や鳥を見て過ごしました。
当時は季節の移り変わりを特別に意識することもありませんでした。
写生大会や、夏休み、冬休みの宿題の絵を描くときに使う絵の具やクレヨンは
季節ごとに使う色が違っていたのだろうと、今にして思うのです。
帰省は、お盆やお正月。
混み合う列車から降りて、車で向かう田舎の山は緑から枯れ葉色。
再び、グレーの中に人口の色をまき散らした都会に戻る繰り返し。
先日、黄金色の田んぼの風景を見た時に感じた田舎の「彩」。
自然の「彩」の控えめな美しさを、殊更に感じたのは
大好きな人の「死」という流れに直面していたからかもしれません。
東京に戻り数日後に
用事があって久しぶりに原宿というところに(笑)一人で出かけました。
そして、不思議な衝動に襲われました。
「写真が撮りたい」カメラを持ってくるんだった。。と。
街には色んな色があり、様々な人が歩いたり
ガードレールに鳥がとまるように等間隔で座ったりしていました。
どこを見ても物珍しく、どこを切り取っても面白い写真が撮れそうでした。
そこで、よく考えてみると
そう、私は海外というか異文化の世界に足を踏み入れた気持になっていたのです。
海外に行くと些細な光景や風景が珍しくて、写真を取りまくる的な。
もともと田舎者ですから、東京さに出てきたときもきっと何かを感じたのでしょうが
田舎と原宿のギャップ(GAPではござらん)を感じた瞬間でした。
色とりどりの街は、華やかで楽しそうでした。
でも私は
彩がある郷に生まれてよかった。。と思います。
日本には四季があり、それは都会でも田舎でも感じることが出来ます。
どちらが良くてどちらが悪いという事もありません。
心の中には沢山の色のクレヨンや絵の具があるのでしょう。
これから私は、自分の人生にどんな色を重ねどんな形に作り上げていくのかと。
運命や宿命というものが存在するのか、年を重ねた今は却って考えもしなくなりました。
でも人間は選択することが出来る。
さて朝っぱらから、こんな記事を書いているわけですが
これから仕事に行き、その後お墓参りに行ってきます。
私は死んでもお墓に入りたいとは思っていませんが(宇宙に飛ばしてほしい)
生きている限り、ご先祖様のお墓がある限りは出向いて手を合わせたいと思っております
今日はどんな色に出会い、どんな彩で心の中に絵を描くことになるのでしょうか。
楽しみです。
今日も取り留めもない話で申し訳なかったです
そうそう、明け方夢にお婆ちゃんが出てきたわ!
母とバスに乗っているんです。
降りるバス停がわからないな、と思って後部の座席の方から前の方に歩いていたら
途中の席にお婆ちゃんらしき人が乗っていて(はっきり顔は見えなかったけど)
「次が〇〇だよ」と教えてくれたのです。
そのバス停は、まさにお婆ちゃんが以前住んでいたところのバス停の名前でした。
何のメッセージなのか、考えています。
49日までは、その辺をうろついているようですから(笑)
悪い事は出来ませんな(爆)
素敵な一日になりますように。
感謝をこめて
つる姫