スペインの彫刻の修復が素人の手によって行われ、残念な結果になってしまった、というニュースをみました。
以前にも二度ほど、キリストの壁画、聖ジョージの彫刻が台無しになった、という話がありましたが、ちょっと調べたところによると、スペインにはこのようなものを修復できる職人のようなものが、ほとんどいない、とか?
で、今回の件は、近所のオバサンに頼んだとか言ってますが、修復前と後では、色とかの問題じゃない、全く別物のように見えます。
これは絵なので、塗り重ねればわかりませんが
これも
これも、明らかに形が違います。色を塗っただけではない感じ。
もしかして、すり替えられたんじゃないのかなって思う。
ずぶの素人に任せること自体、とても変な話だと思うけど。日本なら絶対にありえないですよね。
また、一番上のキリストの絵に関しては、これが話題となって観光客が殺到し、大きな経済効果があったとか。
あまりにひどいので元に戻そうという話も、そのままにしておいてくれという多数の嘆願書がでて、そのままになったとか?
もしや、客寄せを目的に、違うものを置いたのか、なんて思ったりします。
どうも訳の分からない方向に行ったようですが、そもそも価値ある文化財、遠い未来にこれらのとんでもない修復物が、歴史的価値のあるものとして、あがめられるのかと思うと、イワシの頭。
世の中にはおかしなことが沢山あるものです。
あくまでも、私の個人的見解なのでよろしくね。
真実がどうであれ、私には全く遠い世界の話ですし。
さて、タイトルですが、大坂なおみ選手の事をみていて、思い浮かんだ言葉です。
私はテニスは全くわかりませんが、失敗した時とかに大声を出したり、ラケットをぶちまけたりする選手がいますよね。
まあ野球でもバットを叩きつける人がいますけど。
ああいうような気持ちがないと、トップに立つことはできないのか、と思っていましたが、どうもそうではなかったですね。
大坂選手は、気持ちをコントロールする事を学んだのでしょう。
悔しさや怒り、とこころの強さとは、まったく別物なんですよね。当たり前ですが。
試合後にまず発した、自分が勝った事よりも観客の皆さんへの謝罪。対戦した憧れだった選手への感謝。
彼女の謙虚でまっすぐな気持ちには感動しかないです。
私がこれまで観てきたスポーツ選手の中で、もしかしたら一番感動をくれた選手かも知れません。
応援してくださった皆さん、家族に感謝。。とか言うのが定番です。
経済効果の方も半端なさそうですが、ほんと何かにつけてお金が関わってきますね。
仕方のない事ですが、物より何より、トップアスリートを目指す子もそうでない子も、彼女から沢山の事を学んでほしいものです。
私も、Be patient 座右の銘に加えなくてはいけません。腹が立つことが多いです。
実は先日、スーパーの入り口でおばあちゃんが立ち止まり、雨が降っていたので傘をどうにかしようとしていたようなのですが、後の人が中に入れない。
相手はおばあちゃん。
行動がスムーズにいかないのは仕方ないので、気長に待っていたら、後ろから来たじいさんが、私を押しのけて中に入って行った。
押しのけるというより、身体をがっちり掴まれて、脇によけられたんです。想像できます?
ようするにしっかりと触られたんです。腕で押しのけられたのではない。
しかも鼻歌を歌ってたんです、その人。70代以上のおじいさんですよ。
思わず舌打ちをして、なんてことするの!と、小さな声ですが、言ってしまいました。
恥ずかしい行動です。後ろにいたおじさんが私をじろじろ見ました。
半端なく怒りが込み上げて、買い物しないで帰りました。
触られた身体の場所(わき腹辺り)が気持ち悪くて、身震いしました。
私はそのじいさんと年の変わらない位のおばあちゃんに気を遣って、待っていたのです。
しかし舌打ちって最低ですよね。自分が恥ずかしい。
なんでそんな人のせいで自分を責めなきゃいけないのか、と嫌になって悪循環。
まあ世の中は、そんなもん。物質的にじゃなくても人を押しのけても平気な人は沢山いて、何も気にしないで元気で長生きしたりする。
私はそんな人にはなれないです。
不愉快な話でごめんなさい。
怒り、悲しみ、喜び、苦しみ、すべて人間が生きていくためには必要な感情なんでしょうが、なかなかそうは受け止められないような事が多いものです。
さて今日は指の件で医者に行ってきます。これで通院は終わりだと思いますが、指はまだ時々痛いです。
傷は深かったし、年のせいで治りが遅いのです。ハイ。
痛みも人間が生きていくのに必要な感覚です。ハイ。
生き~ているから痛いんだ~~♪
涼しくなったので、こたろうくんには少し遠出をさせてみましょう。
腹の立つことのない一日になりますように。
感謝をこめて
つる姫
(ブログ開設から2613日)