先日記事にさせていただいた「先生」の随筆を読んで、何十年ぶりかに詩を読んでみようとおもったつる姫。
近くの図書館で北原白秋を探したのですが見当たらなく
たまたま在ったゲーテとヘッセの詩集を借りて読んでおります。
高校の時は、数多くの海外の詩人の詩を読んだような記憶があるのですが
その時には感じなかったことを、いま感じています。
それは「和訳」してあるという事。
もちろん私なんぞに原文を読み取る力などない事はわかっているのです。
詩に限らず、最近は外国の作者の作品をほとんど読まなくなっている私。
最近読んだのは1年半ほど前の「嵐が丘」です(爆)いまさらか~~~っ。
かの有名なバルテュスの絵を観に行って、私には彼の絵が全く理解できず
もやもやして帰ってきました。しかし、転んでタダで起きるのが嫌いな私は
彼が名作嵐が丘の挿絵を描いていた事を思い出し、その本を買って読んだんです。
しか~し、嵐が丘も、なぜにこれが名作なのかと思うようなストーリー。
どこにも救いのないように見える、おどろおどろしい愛憎劇。。
よい子には読んでほしくない本だと思った訳で(爆)
話が逸れたけど
今、ゲーテやヘッセを読んでいて、日本語に訳された言葉をみて
作者はこの言葉を伝えたかったのだろうか、という方に頭が行ってしまう。
不思議な事です。言葉ってなんで国によって違うんだろう(笑)
とはいえ詩の世界はすばらしい。
「ことば」の持つ力。
同じ言葉に触れても人それぞれ感じ方は違うのだろうと思いますが
脳の眠っていた部分をツンツンつつかれるような感覚です。
そして、ともすれば引き籠りになりそうだった高校時代へ、記憶が戻るのです。
そう言えば、あの頃キェルケゴールに嵌った事もある。
変なやつでした、わたし(汗)
そして、もう何十年も忘れ去られた感覚・・「恋」
そう「恋」の感覚が甦るような気がします。
それは、私が数年前初めて「シャンソン」をライブで聴いた時の感覚に似ています。
詩とシャンソンがどうつながっているのかわかりませんが
忘れていた何かの感情を思い出させてくれるような。
シャンソンを聞いたとき「あ~恋がしたい」と思ったものです(爆)
もっと素直に人を好きになってもよかったんだな~と、何十年もの後悔を思いました(謎)
よい子の皆さんは、若いうちに素敵な恋を沢山しましょう。
オバサンの私は鯉で盛り上がるくらいです。
はまると嵌りまくるつる姫。しばらくは詩に嵌りそうです。
そして、「言葉」「言語」の大切さを、アメリカ留学以来30年ぶりにしみじみと感じるこの頃。
美しい言葉を使わなきゃあな~と思いました。
このところ朝起きると鶯の声が聞こえます。
6時半から7時過ぎ位まで裏の空き地のどれかの木にとまって
ホケキョ、キョキェキョ、ピヨピヨ、ホケホケ、ケキョケ・・・
色んな声で♪
彼らもその声で何かを伝えているのでしょうね。
愛の詩を歌っているのでしょうか。
しかしあの鶯というのは、決して美しい鳥ではないですね。
めっちゃちょろちょろするし、鶯色と申しますが、華やかな感じの鳥ではないです。
梅にはメジロ、と言った方が絵になりそう。
取り込み画像です。さすがに鶯は撮影できたことはないです。
昨日は汗ばむくらいでしたが、今日の東京はまたも曇り空。
寒ももどるとか。
ご自愛ください。
ありがとう
つる姫