昨日の事。
こたんぽ後半立ち寄る公園に座っておりますと、数名のご高齢のグループが、スケッチブックを持って集まってきました。
カルチャー教室のお絵描き部門で、写生でもしに来られたのでしょう。
辺りの景色をデジカメに収めたりしながら、場所を選んでいる様子でした。
すると、一人の受講生のご婦人が、講師らしきこれも高齢の男性に何か質問をされています。
どうやら、講師の男性がすでに説明したことを、質問されたみたいでした。
講師は、「・・・・・それ、さっきも言いましたよね。‥‥自分の家に帰ってからやってください・・・・」。
とか、部分的に聞こえてきたのですが、講師はとてもいらだった様子でした。
質問に行ったご婦人は、振り向きざまに舌を出しておられました。
恥ずかしかったのと、腹が立ったのと、入り混じった表情で。
実は、私も以前こういう風なものに参加してみようかなって思ったこともあるのです。
区のカルチャー講座にも、色々なジャンルがあり、割安に趣味が習える。
ただ、曜日や時間帯が私に向かないものが多かったりして、独学を貫いてきた感じでもあります。
習えばもっと上手になるだろうなあと思いつつ、しかしながら講師の路線や考えに振り回されるのも嫌だったし。
それでも、昨日は、こういうところで描けば、好きなことが同じの人たちとの交流もできるし・・・なんて、私にしては珍しいことを思い、講師らしき方に話を聞いてみようかと、心が動いたのです。
が、その光景を見て、一気に興ざめしました。
講師の男性の偉そうな態度。
きっと素晴らしい絵を描き続けて来て、老後にアルバイト的にそのような教室の講師をされている。
感じた限りでは、その講師は、その講座で皆さんを指導?することを、楽しんではおられないみたいでした。
芸術家にはこだわりが強かったりプライドの高い方、気難しい方も多いかとは思いますが、少なくとも私は、あのような先生から、指導は受けたくないなあ、と思いました。
将来画家を目指しているわけでもない、単に老後を楽しむ皆さんが、好きな絵をもっと上手に描きたいなあと思って参加されている教室。まあ、将来画家を目指してもいいと思いますが。
その気持ちを分かって、自分のとは違うなあと思っても受け入れて、適切なアドバイスをくださるのが、よいせんせではないでしょうか。
私がほんの数ヶ月通ったアトリエの先生は、一人一人の個性を大切にしてくださる方でした。
技術的な事は教えても、その人の感性をつぶすようなことはしない。
先生から教えてもらった技術的なことは、一言たりとも忘れずにいます。
アーティストとしてのこだわりやプライドを失うことなく、生徒さんたちの個性を大切にしてくださる、そんな先生がいたら、講座に通ってもいいなあと思いますが、なかなか出会うのは難しいかなって。
生徒さんとのやり取りの瞬間を見ていなかったら、私はその方に話しかけて、そういうことは直接事務局できいてくれとか言われて、違う意味でむかついたかもしれませんが、話してみたら親切だったかも知れず。それはわからんですが、
お試しや見学は必要ですね。好きな絵なら気持ちよく描きたいし、先生との相性とかは大事かなと。
これはまあ、最近の一例ですが、人生このようなことが積み重なり、今の私ができているわけです。
独りの方が楽だなあって思っちゃう。
でも、好きな人や尊敬する人はもちろんいます。
その方たちの、そのレベルにたどり着けないのは私自身の問題。
昨日の場合、ほんのワンシーンを見てその人を判断することでもありませんが、清々しい青空の下で、皆さんが楽しくお絵描き出来たらいいなあ、と他人事ですがそう思いました。
偉い人が偉そうにするのもそれはそれですし、謙虚になりすぎるのもなんか変だし、人間ってやっぱりややこしいです。
勝手に耳に入って、勝手に腹が立った案件、おしまい。
去年の今頃の、毎日頑張った孫のごはん。
今年だったら無理‥って思ったけど、そういう状況なら元気がでたのかも。
今日の言葉
プライドには良いプライドと悪いプライドの2種類がある。
良いプライドは自尊心を表し、悪いプライドはうぬぼれや高慢さを表す。
ジョン・C・マクスウェル
ご訪問頂きありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫