20数年前、父と弟とこの場所を訪れた時に、
自分がこのような形で再びここを訪れる事など、考えもしませんでした。
今回山門をくぐって感じたような感覚さえなかった気がします。
恐山と言えば、イタコを思い浮かべる方が多いと思いますが
あの頃は普段でも時間になるとイタコが来て、口寄せをしていたはずです。
今は大祭の時にしかいないそうです。
その時私たちは早朝に訪れたので、イタコに会う事は出来ませんでしたが
その頃の私には口寄せしてもらいたい人がいました。
一緒に行った父のお父さん。私と弟のおじいちゃんです。
幼い頃の私にとっておじいちゃんはただ怖いだけの存在でした。
そのおじいちゃんは、私が東京の短大に入学して間もなく亡くなってしまいました。
上京する前、もう長くはないだろうという事で孫たちが集まり、おじいちゃんのお見舞いに行き
最後におじいちゃんと握手をして別れました。
記憶にある限り初めて触れたおじいちゃんの手は白く細く、
そして驚くほどあたたかかったのを今でも覚えています。
それが最後になるとは思いもせず上京して大学の寮に入りました。
ある夜、夢を見ました。
おじいちゃんはお茶を飲んで笑っていました。おじいちゃんの笑顔など実際にはほとんどみた事がありませんでした。
気になった私は、10円玉を集めて大学の寮の近くのタバコ屋さんの前にあった赤い公衆電話から
広島の実家に電話をかけました。
「おじいちゃんどうした?」と尋ねる私に、電話に出た母が言葉を探しています。
電話機に積み上げた10円玉が次々に落ちて行きます。
「死んじゃった。お葬式も終わった」と聞いたとき、これまで一度も感じた事のないおじいちゃんへの想いが溢れました。
「どうして、教えてくれんかったん?」と母に聞くと
「最後の別れは出来たし、そっちに行ってすぐだから、呼ぶなということになったんよ」
すっきりしないまま受話器を置くと、2,3枚の10円玉が落ちてきました。
それから数年後、短大を卒業しておじいちゃんの事もすっかり忘れ、東京の人になった私は
毎日を必死で生きていました。
おじいちゃんの3回忌にも7回忌にも出席するタイミングを失いながら時が流れました。
ある夜、炬燵で転寝していました。
ふと、目が覚めた瞬間、こたつの向こう側におじいちゃんがいました。
それはちょうど、おじいちゃんの命日の頃でした。
それからは、毎年のように命日の頃になるとおじいちゃんが来ました。
不思議な事に、幼い頃から怖いと思っていたおじいちゃんの霊を、怖ろしいとは一度も思いませんでした。
13回忌。
私は初めておじいちゃんの法事に出席しました。
おじいちゃんはそれからは二度と、私の所に現れる事はありませんでした。
やっときてくれたのう・・というおじいちゃんの想いが叶ったからか
やっとおじいちゃんの法要に行く事が出来た、という私の想いが叶ったからか、それはわかりません。
この日恐山に来て思ったのです。
あの時口寄せなんてしてもらわなくてよかったな、と。
イタコの事を信じるとか信じないとかではありません。
おじいちゃんもおばあちゃんもマイケルもロッキーも、痛みや苦しみ喜びや怒りというようなもののないところにいる、と
感じたのです。彼から何かを聞きたいならば、自分の心に聞けばいいのだと。
彼らは何処か遠い場所ではなく、いつも私の心の中にいる、と思いました。
ここは死者が集まる場所ではない。
生きている者が集まってきて、亡くなったものを思う特別な場所なのだ。
薄い風一枚隔てたところに死者の世界がある。
言葉になど到底できない様々な想いが湧いてきました。
そんな私の周りには、風が吹いているだけでした。
人の残した気配も、霊の気配も全く感じる事のなかったこの場所で
この世で拘っているすべては、実は空でありまた無であり、それらは自分自身が創り上げている世界なのだと感じました。
もう二度とここを訪れる事はないだろう。そう思って山門を出ました。
来た時に山門をくぐって感じたものは、「何もない」という特別な空間の感触だったのかも知れません。
こころを無にすることほど難しい事はなく
私たちは苦しみや喜びや痛みにこころを煩わされて生きているのです。
それが生きるという事なのでしょう。
つづく
*スマホでみてもPCでみても、文章が変な所で改行されている事がありますが
スマホやPC版の都合だと思うのでご了承ください。
合掌
つる姫