Pixysのポジティブライフ

困難に立ち向かうアラフィフの日常
働いて働いて働いて働いて、たまに旅に出る

考える休日

2008-04-14 22:55:12 | どうでもいい話
今日はひさしぶりに「休む日」と決めていた。私の仕事には純粋に休日という日がない。主婦ならばある程度みんなそうだけど。だからいつも自分で決めた日を休みとしている。
朝はいつもよりゆっくり起床する。私は朝が好きではない。朝、目が覚めたとき最初に考えることは「ああ、また今日も一日生きなきゃならないんだ。」と思う。生きていることが一番面倒に感じるのがこの時間。特にいやなことがあるわけでもないし、悩んでいるわけでもない。けど、毎朝、そう思っている。今日一日がまた始まるかと思うと面倒で起きあがりたくない。歳をとって夢を見ながら死ねたらどんなにいいだろうと思う。目が覚めても起き上がらずに10分ほど布団の中で考えごとをする。「おきたくないな、今日は何をしよう?」
休みの日でもやらなければならない最低限のことをこなし自由の時間を作る。コーヒーを入れてまた考える。「何をしよう?」そのまま30分ほどなんの音もない部屋の中でコーヒーを飲みながら考える。「これってボーっとしているって事なのかな。」と思いだんだんおかしくなってくる。「私、ボーっとしてる・・・くっくっく・・・。」
結局、休みだからって別段やりたいこともないのだ。休みなのだけど仕事の用事で外へ出る。自転車で駅のほうへ向かうが、思っていたより暑い。まだ冬コート着ている自分に哀れみを感じる。そんなに冬が好き・・・・?
以前はこうではなかった。外へ出て人を観察したり景色を楽しんだり、お店の品物を欲しいと思ったりできたのに、今は何を見ても興味がわかない。これは生活環境のせいか、はたまた歳のせいか、そんな事を考えながらまっすぐ自宅に戻ってまたコーヒーを入れる。パソコンを立ち上げ休みだけど必要なメールだけする。その間に子供が帰宅してしまう。ああ、もう帰ってきちゃった・・・。そこで私の自由な時間は一旦終了する。彼はおやつを食べおわるとまた外へ遊びに出かけた。自由な時間が再度やってきた・・・かと思ったら、入れ違いに旦那が帰宅する。旦那は帰ってくるなりしゃべりまくる。聞いてるふりしながら本当は半分も聞いていない。自分にはあまり関係のないことばかり。他人事だから。「ほんと、よくしゃべるなぁ。」と心の中で思っている。
子供が帰宅し、出かける準備をしている旦那に「お父さんどこ行くの?」と詰め寄る。「大人の付き合い。へへへ。」と笑い出かけていく。子供と二人で焼きそば食べて「名探偵コナン」を見て今、やっと子供は眠った。今日もそんな普通の一日だった。
そして今、私はまた考えている。「今日は何したんだっけ?」結局何もしてなかったことに気づく。欲しいものもない、やりたいこともない、寂しくもない、かといってすごい幸せでもない、不満もない、これで人生良いのか・・・?なんかいけない気がする。いけないというかもったいないような気がする。私には欲求とか欲望とかそういったものがないみたい。若いときには確かにあった。「寂しい」「きれいになりたい」「許せない」「愛してほしい」「認めてほしい」「ちくしょー!」等、その時々に何かあった。あの感情はいったいどこへ行っちゃったのだろう?何を悟ってしまったのだろう?最近は自分のことなどどーでもいい感じになっちゃってる。
母の病も、父の錯乱も、大きく膨らんだ借金返済も何があっても私の心はちっとも揺らぐことさえしない。なんとなく淡々と処理してしまう。勝手に自己完結してしまえるようになった。

手相を見た。すると利き手の生命線が途中で消えている。神に召される日が近いのか?やり残したことはないか?と考えてみた。「割と満足だな。」とやっぱり思ってしまう。もっと生きたいなどとは全然思わない。それはきっと病気の人や周りの人が思うことなのである。いつかは肉体が滅びて死んでいくのだけど、私は健康すぎるからか、もし死んでも死ねる気がしない。生きていても死んでいてもあまり変わりはないと思うのだ。だからこそ自殺願望もない。それも困った考え方な気がするが・・・。私ってぬるい・・・。(熱くないってこと)
そんな事をだらだらと考えながら、今日はEnding~。