Pixysのポジティブライフ

困難に立ち向かうアラフィフの日常
働いて働いて働いて働いて、たまに旅に出る

友へ~落ち込まない方法~

2007-03-31 23:56:52 | 仕事や生活の話
会社の仕事はきれいに引き継ぎ円満に退職した。自宅での仕事も休みをとる。洗濯、掃除、留守の間の買い物を済ます。必要箇所に電話を入れ小屋入りの準備をする。準備は整った。あとは子供の稽古をつけながら本番をイメージする。
「あっ!!」すっかり忘れてたことがあった。私も受付やるんだった・・・。そっちの準備がまったくできてないじゃん・・・。はっはっは・・・。(^_^;)
慌てて事務用品やら時計やら、なにやら持ち出してきてはかばんに整理し、メイク用品も揃えた。「うーん。あと足りないのは軍資金だけだな・・・。」

主人が私と並んだように本日付で退職した。「・・・???」ちょっとは時期をずらせよ、おーい!!!!!というわけで、うちの固定収入は0となる。もともとダンナの収入などあてにして生きてきてはいないので、だからってどうってこともない。自分の力で生きていく。ただ子供の健康保険を主人の扶養に入れようと思っていたのが、宙ぶらりんではまずいだろ。来週国保にでもしてこよっか。こっちもあてにはできないな。自分でやろっと。

次々に起こる災難と普通の主婦はきっと落ち込むのだろうな~。私は落ち込まないから殆んどの人は何があっても気づかない。私が自分で話した人しか知らない事が多い。でも自分で命を立たない限り、何があっても生きていく事はできるものだ。不思議だけどいつも助けてくれる人がそばにいる。なぜだか苦難を乗り越えてしまっている。これは私達家族だけの特技か?そんな事はないと思う。そんなに悪いこともせずに普通に生活していたら、たいがいピンチの時に助けてくれる人がいるもんである。どうしようもなくなったら周りを見回してみてほしい。

私は「主人を愛しているか?」って聞かれたら「NO」と答えるけれど、「幸せ?」って聞かれたら「YES」と答える。子供に関しても同じように答えるだろう。愛してても幸せじゃなければ家族でいる意味がない。家族は家族で私にとっては生活を共にする一つの仲間である。その中の誰か一人でも幸せでなければ崩壊するものなのである。だからその幸せは自分の心の中で作り上げている。自分が「幸せ」だと思えば幸せだし、「不幸」だと思えば不幸だという事だ。どんな苦難にあったとしてもそれは状況に応じて変わるものではない。不幸に落ちたい人だけが不幸に落ちていくもんだ。苦難や災難でも後で振りかえると思い出になる。その時に嫌な思い出とならないように生きていくのが、私の今の生き方だ。そうやって歳を重ねていけばもっと幸せになっていける。

若い頃の自分はダメダメ人間だった。よく落ち込み、他人をうらやみ、腹をたて、潰していた。人のせいにして自分から不幸になっていった。あの頃にもっと違う考え方ができていたら、もう少しいい思い出が残っていたのかもしれない。
落ち込んでいるよりは、無理にでも笑っているほうがきっと幸せになれると思うよ。

インフルエンザで。

2007-03-30 22:17:56 | 病気や健康の話
子供の急な発熱で学童から電話が入る。迎えにいって再度びっくり。大熱出して冷えピタ貼ってるわが子の隣に寝そべる指導員、その周りに群がる子供達。「へっ・・・・?」なんでカゼひいてるかも、インフルエンザかもわからない子供の周りに子供達近づける?ふつう、離すだろォー、うつるだろォーよ・・・・・。
「こんな環境の中にいたら、間違いなくみんなインフルエンザだよ。」とかなりムカつく。先週まで学童内でインフルエンザが大流行していた。指導員もだ。
舞台本番前だから子供にはセキしている子には近づかないように話していた。今倒れたら大変だ。でもこんな状況ならうつっても仕方ないな・・・と半ばあきらめる。
家に戻ると39度超えている。「これってマジやばい・・・。」病院にいくと案の定、インフルエンザとの診断だった。家に戻り窓を開け放ち、換気扇をかけっぱなしマスクをして主人や自分への二次感染を防ぐ。それがあたりまえだがね・・・。
そしてタミフル。その晩に飲んだら次の朝、はやくも平熱に戻る。あんな熱が一晩で下がるなんて恐ろしやタミフル。

今、副作用で大問題になっている。そのせいかどうかはわからないが、おっきなドラえもんの目がぴかっと光った夢を見て怖かったそうだ。9歳だからギリギリ処方されたのだが、なんで10歳からなのかは疑問だ。たぶん少し大きくなると、夜なども一人にしてしまうのではないかと思う。彼は体は小さいが、精神的にはかなり大人のほうだ。タミフル飲むんだから、異常行動がでるかもしれない・・・そういう覚悟で飲ませるべきだ。だから普段使っている2段ベッドの上に寝かせず、和室の床に布団を敷く。窓、ドアには二重の鍵、鏡など危ないものを移動し、電気をつけたまま夜を過ごす。そして飲んでいる間は寝ずにそばについていた。
それでも今回はすぐにでも治さなければいけない状況なのだ。副作用の出方は人それぞれだと思うが、インフルエンザの特効薬であることには間違いない効き目だった。熱が下がって3日たった。もう殆んどセキもでない。完璧だ。

本人はもう稽古もできるが、他人への感染があるといけないので、念のためまだ外にはでないでいる。家で稽古をするがちょっと不安そうだ。小屋入り3日前となった。ギリギリセーフといった感じだろうか。彼はもう早く稽古場にいきたくてしょうがない。インフルエンザにかかる前よりも絶好調の様子。そろそろ大丈夫かな。






命日

2007-03-20 00:07:30 | 変な話
「ねむいなあ。濃いーコーヒー入れてくれる?」といいながら、先輩は私の頭をなでた。「こいーのね!OK!」それが20年前に交わした先輩との最後の会話だった。そうなんだ、あれからもう20年もたつのか。私にとってその当時の先輩達はすごい憧れ的な存在で、コーヒーいれてって言われるだけでめちゃ嬉しかった。あの時いつもより濃い目のブラックコーヒーを入れながら、先輩の顔を見あげた時、なんというか背中をすっと不安のようなものが走っていった。ひやっとしたその一瞬を思い出す。「なんであの時に気がつかなかったんだろう・・・。」お墓参りにいくたびにそう考えるようになっていた。
あの日、「夕方には戻る」そういった先輩がなかなかやってこないので、別の先輩と一緒に公衆電話まで電話をかけに行った。自宅に電話を入れた先輩は、今はもう見ない赤電話の受話器を握ったまま、ブルブル震えその場に座り込んでしまった。「どうしたの。」先輩は何もしゃべらなかった。何か大変な事が起きている事をまた背中で感じていた。先輩を抱え起こすと今度はとっとと歩いていってしまった。その電話での会話から大体の状況は把握できていたが「まさか、まさか。」と心の中で繰り返しながら稽古場に戻った。

亡くなったあとすぐに小屋入りで、くしくも追悼公演となってしまった。私は仕込み中のセット裏と本番カーテンコールの時に客席の一番後ろで先輩を目撃していた。今考えると一緒に舞台を作りたいと願った先輩の残留意識だったのかもしれない。「いいな、見られてうらやましい。」そんな事を言われたのも初めてだった。その後、先輩の姿は見えなくなった。夢に一度出てきた事があったがその後はすっかり姿を消してしまった。もしかしたらもう誰かに生れ変わっているのかもしれない。これからその人に会える時が来たら気がつくだろうか。そしたらあのコーヒーを入れていた時に気がつかなかったことを、もう後悔する事もなくなるのだろう。そんな根も葉もないことを考えながら、今日は一日ぼんやり過ごしていた。


素敵な人達

2007-03-17 02:41:08 | 笑える話
忙しい・・忙しい・・・忙しい!・・・とか言ってると、余計にパニックになるから最近言わないことにしている。3月末で会社退職なのに、次から次へと突発仕事が入ってきて引継ぎなんてしてる場合ではなく、かといって引き継がないわけにはいかないだろ・・・。必死こいて片付けている。それでも会社の同僚たちはやさしくあたたかい。なんでだ、もうすぐやめていくのになんでそんなに君達はおもしろおかしいの?だから最後まで必死こいていようと思うんだ。なんて良いやめ方。誰かに教えてあげたい。(笑)

子供の舞台が近いから衣装縫ったり、チケット売るのにDM作ったり電話したりね、もちろん家に帰ってからの仕事も山済みだし、稽古つけてやらにゃーいかんし、学童のほうでも年度末で引継ぎか?お彼岸だね、お墓参りにもいかなきゃね。
学校のお当番で登校指導のお手紙、さよなら遠足?弁当だね・・・。明日は朝から消防点検が入るようだ。もう頭パニック。どうでもいいことが間に挟まってえらくめんどうだ・・・。

バタバタと走り回る私の姿を、ぽつんと一人、こたつに座って眺めているお父さん。「プリン食べれば?」・・・食ってる場合じゃないだろ。お風呂沸かして洗濯してご飯作って分刻みに主婦仕事を片付けていく。小屋入り前までにやらなきゃいけないこと全部きれいさっぱり終わらせて、本番はめいっぱい楽しむのです。

こんなにパニックなのにちっとも切羽詰ってなくてすごく楽しい毎日。久しぶりなこの感覚。このワクワク感、若い頃にはたまにあった感覚だけど本当に久しぶりだな。たぶんそれだけ今回のお芝居が素敵だって事なんだろうな。夢に見そう。寝てなくても筋肉痛でもまったく辛くない。それどころか自分が出演するわけじゃないのに稽古に行くのが楽しみで仕方ない。ダンサーさん達や役者さんたちのまっすぐな躍動感に完全に飲み込まれている。彼ら、彼女らから情熱を浴びるとそれだけでクラクラ、感動して涙が出てくる。君達、すごく素敵だ!誰だ?「最近の若者は・・・」なんて言う奴は。若者にもいろいろあるんじゃ!
こんな所にいられて幸せだなぁ。わたし。

心の中のセリフ

2007-03-06 22:47:41 | 舞台やダンスの話
なんか書くの久しぶりだけど、実は3月に入ってから書いた記事、ばーん!とかきおわったとたんに飛んだ。それ以来、しばらく書く気もおきなかったのだ。

芝居の稽古はずいぶん進み、もうすぐ通しができる。子供は毎日ワクワクドキドキしながら、夜布団に入りコソコソと他の役者の真似をする。ああ、本番に近づいてくると他の役者さんたちのモノマネを始めるんだった・・・。そしていつの間にか脚本の全てのセリフを一人で30分かけてしゃべりはじめるようになる。自分のセリフはなかなか入らないくせに、良くまあ、あれだけの長いセリフを覚えるものだなー。子供の頭とはいったいどうなっているんだか。

それが彼にとって『目で見る』『音で聞く』芝居であって、それが客の目線でもある。彼が面白くて何度もそのセリフを言う時は、そのセリフは彼のツボに入るセリフであるわけで自分で言ってみて「けっけっけっ・・・」と自分でウケている。けれど自分が演じている役は、自分では見れないから覚えが悪いのかな。

日曜の稽古の次の日、彼は自分の役について疑問を持ち始めた。「お母さん、ぼくはどうしてあそこまで歩くのかな?何を考えながら立ち位置まで歩いていくんだろう。」演出に動きをつけられたからだ。自分の動線に対して何か意味がないといけないと思ったらしい。ああ、確かにそういった稽古が行なわれていたっけ。しかも歩く距離は結構長い。ただ立っている時間も結構長い。その後、また来た方向へ戻っていく。その間、何者でもないわけにはいかない。「それを考えるのが役者の仕事だって言ってたじゃん。」「教えてよ。ケチ。」「ふん、自分で考えなっ!」「ふむ・・・。」
一年前はただセリフをしゃべるだけで精一杯だった。今回は少し頭を使えるようになったようだ。セリフとセリフの間、どんな事を考えながら待っていると次のセリフが出てくるのか、言葉にでない「心の中のセリフ」を彼は考え始めたようだ。ヒントは教えてあげたけれど、彼がどうするかは知らない。

それはダンスでも鍛えられたのかもしれない。フリとフリの間の微妙な時間、彼は練習の時に「それっ!」や「おらおらおらおら!」っとリズムを刻みながら、同時にサビヘ向ってテンションを上げていく方法を覚えた。自分で自分の体や気持ちを持ち上げていく気持ちの良さに気がついたのだ。彼が急にうまくなったと言われるのはダンスのうまさよりも、そっちのセンスによるものだと思う。とにかく次のフリにうまく入れると楽しいだけなのだ。

このまま真直ぐ、本番までテンションあげていけよ!