Pixysのポジティブライフ

困難に立ち向かうアラフィフの日常
働いて働いて働いて働いて、たまに旅に出る

土曜日の事

2009-07-01 22:35:40 | 笑える話
午後から葬儀屋で打合せがあるため、実家に向かう。父と弟と共に近くの定食屋に入り食事をとるが、ノドが痛くてあまり食べれない。
昼食の後、葬儀屋へ向かう。母に3回目のお線香をあげる。隣にはその日通夜予定の知らないおじさんが眠ってる。母の耳元で「おじさんと一緒でやじゃない?」と聞いてみる。もちろん返事はない、けど「あっははは!」と笑ってるような気がした。

会場へ移動して本格的な打ち合せがあった。細かい内容について決めていく。
返礼品のエコバックは私が選んだ。中身は大したものではないが、時代にあっていて使い勝手がいい。葬儀の返礼品とは思えないおしゃれなバッグだ。きっと母なら、母の友人達が喜ぶだろう、これを選ぶと思った。
話を聞きながら、マイクロバス代が高いな、写真代がムダだな・・・自分で出来るじゃん・・・などと思いながら、黙って聞いていた。私は他の家に嫁いだ身、だから席も一般の親族の席でいい、父と弟の好きなようにすればいい。
その後、実家に戻って、親戚や会社や友人や自分の関係者、母を知っている人たちにFAX流したり電話したり・・・いろいろ連絡をした。子供は学校に電話を入れて先生を呼び出す。「あのね、おばあちゃん死んじゃったから、月曜、学校休むよ。」
忌引きの連絡を自分でする小学生はうちの子くらいなものだろう。よく先生も親に変わってとか言わないよな・・・大した担任だ。

父が遺影用の写真を自宅に忘れてたので、再度、私だけ数枚の写真を持って葬儀屋に戻る。その中から、母らしさが一番出ている笑顔の写真を選ぶ。
額はベージュ。背景はオレンジ系のグラデーション、太陽のように明るく暖かい母にピッタリの色をチョイスする。父に任せたらきっと暗い葬式写真になるに違いない、こういう所は私のうでの見せ所だな。
まあそうは思っていたけれど、実際に遺影となったら、予想以上に生前の母を思わせる良い仕上がりとなった。キレイでかわいい母だった。

自宅に戻った後は、喪服出したりメール送ったり、葬式の準備をする。忙しいようでいて仕事してないから、いつもに比べると大して忙しくもない。
その頃からか、熱が37.5度を超え始めた。ノドはもうあまり痛くない、体がだるくて少しベッドに横になる。額にひえぴたを貼って夕食を済ませ、早めに床についた。
その夜、仕事でトラぶってる夢を見る。「こんな時に・・・悪夢だな。」夜中に目が覚めたので薬を飲んだら、咳き込んで飲んだばかりの薬を吐きだしてしまった・・・。

金曜日の事

2009-07-01 01:57:52 | おもしろくない話
短期間にいろいろありすぎて、書くのがめんどくさい数日間だった。
いや、まだ書く気になれないだけかもしれない。どう整理したらいいのかわからずにいて、頭の中で文章化できてない。だから少しずつ書いていくことにします。
とりあえず、葬儀にきてくれた皆様に御礼申し上げます。

先週の金曜日、朝からノドがひどく痛かった。どうやらカゼをひいたらしい。何とか起きて仕事へ向かおうとしていた朝9時半ごろ、病院から呼ばれ到着した時にはすでに心肺停止。「ついさっきですが呼吸が止まり心臓も止まりました。」と医者は簡単に説明し、父が到着するのを待って宣告という形だった。
母の顔は生きている時よりもはるかに穏やかで、眉間にシワひとつみえない、肌もまだあたたかかった。ほんとに死んでるの?と疑いたくなるような直後でその時には悲しみも沸いてはこなかった。父が来るまでベッドの横で、ぼーっとしていた。
隣のナースステーションから若い看護師達の笑い声がし、病院はいつもと変わらない風景。日の光は明るく部屋を照らし「ああ、天国にいくんだな。」と思えるような感じだった。
その後、母は解剖のため霊安室へ運ばれる。私は病室の荷物を整理し、ナースステーションに風呂敷に包まれた浴衣を届ける。パジャマから着替えるためだ。
母は入院生活が長いから、死後は浴衣が必要だという事をしっていて用意してあった。そりゃそうだ。いままで何人も見送ってきたのだから。そういえば、無菌室で一緒だった人のお葬式にもいったな、二週間位前にも隣の病室の人が夜中に亡くなり、その話をしながら泣いていたっけ。人の事気にしている場合でもないのに・・。浴衣を用意してあった話を聞いて、看護婦さんがたまらず顔を覆い涙を流す。本人はずっと前から覚悟が出来ていた。
そして母は解剖され、この世での最期の社会貢献の役割を果した。

私は一旦自宅に戻るため病院を出る。横断歩道を渡り振り返ると、いつものクセで病院を見上げて「また来るね。」と言いそうになる。「違った。もうこの病院に来る事はないんだった。これが最後だった。」と思ったら、なんだかとても病院や先生や生前の母の姿が懐かしく思いだされた。

母は病院から葬儀屋の霊安室に運ばれるとお線香を立てられ、いきなり「ご遺体」となる。親戚や家の家族がやってきて、葬儀屋との簡単な打ち合わせをする。本格的な打ち合わせは翌日行なった。
弟も駆けつけたし、喪主は当然父だから、私はほとんど黙って聞いていた。
人が死ぬってもっとドラマチックなものだろうと予想してたけど、お金の話やら日程の話でしらっとしていて、普段仕事している時と変わらない時間が流れる。父がいて弟がいて、お茶が出てくる。ただそこに母がいないだけだった。