今日はちょっとさみしいお話。ここ最近のサヨナラストーリー。
5年間お届けしていた家の御主人が亡くなった。大きなお宅で屋根や外壁など何度も修理していた。「お金ならいくらでもあるから大丈夫!がっはっはっ!」それが口癖。若い時は寝ずに一所懸命働いてお金を貯めたそうだ。私から見ると理想の上司ってタイプだ。
「いやーまいったよ、肺に影があるって、病院の先生に言われちゃってさ、再検査しないといけない。」そう笑いながらいつもの調子で話した。隠そうとはしながらも目に覚悟が窺えた。それが2ヶ月ほど前。
そして、1ヶ月後一時帰宅。再訪問した時には、娘さんが「おじいちゃんの大好きなお姉さん来たよー」と言うと、よれよれと歩いて出てきた。入院前まではとんでもなく元気なお年寄りだったのに、やつれてしまい、それでも満面の笑顔で手を振っていた。そしてその1週間後、娘さんから「亡くなりました。」と訃報のお知らせが入った。
また別のお宅。年齢は97歳。若いころはきっとかなりのイケメンだったのだと想像できる。背が高く高貴でやさしい瞳。足を痛めてしまい歩くのがやっと、でも頭はしっかりしている。集金を間違えたり忘れた事がない。向かい側に引っ越してきた可愛い子供達をうれしそうに眺めていた。「いい時代だな」そう呟いた。私の倍の人生を生きてきて、倍の世の中を見てきた人。今がいい時代だと感じているなら、良かったと思う。
施設に入ることになった。本人はあまり気がすすまないようだけど1人暮らしは限界だったのだろう。それはもう仕方ない。
最後の日、握手をして「今までありがとさん。」と目に涙を浮かべていた。監獄に入るわけじゃないけれど、外の世界の最後の見送り人・・・?と光栄に思う。「お元気で!」そう言いながら、お互いにもう二度と会えない事を知っていた。
そして先日、つい最近まで一緒に働いていた仲間が逝ってしまった。朝、荷積みの時に箱を落とした。拾ってあげたのが、きっと最後。ずっと強い人だと思っていた。中身の入っている箱を二つ重ねて、運んでいるようないつもパワフルな人だった。バリバリ働き、ガンガンものを言う。思い出せばきりがないけど、なんど助けられただろうか。あまりにも急で、あまりにも若い。
病気、事故、自殺・・・今まで生きてきて、何十人もの死と向かいあってきた。まあ、そんな年齢だから仕方ない。最近になって、やっと自分が死ぬことも現実的に考えられるようになった。そういつかは自分も逝く時がくる。
だからか、最近は誰が亡くなっても「何で死んだのか」はどうでもいいと思うようになった。どうして死んだのかではなく、「どう生きたのか」を思い出すと、その人の存在や生きていた証しを記憶に残せると思うのである。
・・・・よし、今日はいい事言った・・・・・!
5年間お届けしていた家の御主人が亡くなった。大きなお宅で屋根や外壁など何度も修理していた。「お金ならいくらでもあるから大丈夫!がっはっはっ!」それが口癖。若い時は寝ずに一所懸命働いてお金を貯めたそうだ。私から見ると理想の上司ってタイプだ。
「いやーまいったよ、肺に影があるって、病院の先生に言われちゃってさ、再検査しないといけない。」そう笑いながらいつもの調子で話した。隠そうとはしながらも目に覚悟が窺えた。それが2ヶ月ほど前。
そして、1ヶ月後一時帰宅。再訪問した時には、娘さんが「おじいちゃんの大好きなお姉さん来たよー」と言うと、よれよれと歩いて出てきた。入院前まではとんでもなく元気なお年寄りだったのに、やつれてしまい、それでも満面の笑顔で手を振っていた。そしてその1週間後、娘さんから「亡くなりました。」と訃報のお知らせが入った。
また別のお宅。年齢は97歳。若いころはきっとかなりのイケメンだったのだと想像できる。背が高く高貴でやさしい瞳。足を痛めてしまい歩くのがやっと、でも頭はしっかりしている。集金を間違えたり忘れた事がない。向かい側に引っ越してきた可愛い子供達をうれしそうに眺めていた。「いい時代だな」そう呟いた。私の倍の人生を生きてきて、倍の世の中を見てきた人。今がいい時代だと感じているなら、良かったと思う。
施設に入ることになった。本人はあまり気がすすまないようだけど1人暮らしは限界だったのだろう。それはもう仕方ない。
最後の日、握手をして「今までありがとさん。」と目に涙を浮かべていた。監獄に入るわけじゃないけれど、外の世界の最後の見送り人・・・?と光栄に思う。「お元気で!」そう言いながら、お互いにもう二度と会えない事を知っていた。
そして先日、つい最近まで一緒に働いていた仲間が逝ってしまった。朝、荷積みの時に箱を落とした。拾ってあげたのが、きっと最後。ずっと強い人だと思っていた。中身の入っている箱を二つ重ねて、運んでいるようないつもパワフルな人だった。バリバリ働き、ガンガンものを言う。思い出せばきりがないけど、なんど助けられただろうか。あまりにも急で、あまりにも若い。
病気、事故、自殺・・・今まで生きてきて、何十人もの死と向かいあってきた。まあ、そんな年齢だから仕方ない。最近になって、やっと自分が死ぬことも現実的に考えられるようになった。そういつかは自分も逝く時がくる。
だからか、最近は誰が亡くなっても「何で死んだのか」はどうでもいいと思うようになった。どうして死んだのかではなく、「どう生きたのか」を思い出すと、その人の存在や生きていた証しを記憶に残せると思うのである。
・・・・よし、今日はいい事言った・・・・・!