現在時間2012/12/22 7:40
どうやら地球滅亡は免れたようですね。
マヤ暦、とんだ騒ぎでしたが改めて人類が滅亡騒ぎが好きな事を知りました。
何故なんでしょうか?
どの宗教も地球の滅亡を称えて助かる為には祈りさいといいます。
これって利己主義ではないかなんて思ったりして(^_^;)
本来、宗教は科学でして哲学ですから真面目研究しているとこんな考えには成りませんよね。
マヤも科学を良く理解していた民族であるらしく例えば車輪の原理を知っていた様子があるのに
造った形跡がありません。これは無い方が良いと判断したからと思われています。
同じく武器の類も棍棒だけとの事実も発展する必要を感じなかったものと思われます。
何れにしても科学者がむやみに滅亡を唱えるようなことはしません。
当然、マヤもそうでありました。
マヤ暦には第一から第五の世代まで書いてあり今が第五の世代になります。
それからは次の世代が始まるという考え方でのようです。
その時代をどうやって人類が乗り越えていくかは人類の問題であります。
人類は過去に自然が起こす滅亡の危機を何度も乗り越えてきました。
マヤ人は新しい暦は新しい人類が造っていくべきと考えたのでしょうね。
どうやら地球滅亡は免れたようですね。
マヤ暦、とんだ騒ぎでしたが改めて人類が滅亡騒ぎが好きな事を知りました。
何故なんでしょうか?
どの宗教も地球の滅亡を称えて助かる為には祈りさいといいます。
これって利己主義ではないかなんて思ったりして(^_^;)
本来、宗教は科学でして哲学ですから真面目研究しているとこんな考えには成りませんよね。
マヤも科学を良く理解していた民族であるらしく例えば車輪の原理を知っていた様子があるのに
造った形跡がありません。これは無い方が良いと判断したからと思われています。
同じく武器の類も棍棒だけとの事実も発展する必要を感じなかったものと思われます。
何れにしても科学者がむやみに滅亡を唱えるようなことはしません。
当然、マヤもそうでありました。
マヤ暦には第一から第五の世代まで書いてあり今が第五の世代になります。
それからは次の世代が始まるという考え方でのようです。
その時代をどうやって人類が乗り越えていくかは人類の問題であります。
人類は過去に自然が起こす滅亡の危機を何度も乗り越えてきました。
マヤ人は新しい暦は新しい人類が造っていくべきと考えたのでしょうね。
人には怖い物見たさがあると思います。そして現在の自分の幸せを感じたいのかと。安心という幸せ感。