この神社の祠は修験者が登る山の岩場に彫り込まれた中にあります。それと海辺には普通の本社があります。
海辺から鳥居を潜るといきなり急な石段があり、登り切ると二番目の鳥居と祠があります。
その右横を少し登ると沢に降りて梯子を登り反対側に出ると、また葛折りの急な山道が続きます。やがて第三の鳥居と祠に出て、裏に回ると沢山の地蔵菩薩が転々と鎮座していました。この辺から神域にいる実感が湧いてきました。やがて最後の鳥居と祠がありその後は岸壁沿いにつけられた階段を上り垂直に垂れ下がった輪鎖をの登れば祠のある岩穴に辿り着きます。
最後の鳥居の手前の岩場の下にに今回、描いた地蔵様達がおりました。
この神社自体は神仏混合の名残でしょう、お地蔵がありますので。
中央にある木像はおそらく海辺に流れ着いたのを何時の時かここに置くようになったのでしょう。立像のようですから、菩薩像かと思われます。どんな思いを込めて海に流したのかまたは流れたものか分かるすべはありませんがきっと思いが叶ったと考えます。
役目を無事終えて満足しているのでしょうかひっそりと佇む姿から安らぎを戴いた気がしました。
海辺から鳥居を潜るといきなり急な石段があり、登り切ると二番目の鳥居と祠があります。
その右横を少し登ると沢に降りて梯子を登り反対側に出ると、また葛折りの急な山道が続きます。やがて第三の鳥居と祠に出て、裏に回ると沢山の地蔵菩薩が転々と鎮座していました。この辺から神域にいる実感が湧いてきました。やがて最後の鳥居と祠がありその後は岸壁沿いにつけられた階段を上り垂直に垂れ下がった輪鎖をの登れば祠のある岩穴に辿り着きます。
最後の鳥居の手前の岩場の下にに今回、描いた地蔵様達がおりました。
この神社自体は神仏混合の名残でしょう、お地蔵がありますので。
中央にある木像はおそらく海辺に流れ着いたのを何時の時かここに置くようになったのでしょう。立像のようですから、菩薩像かと思われます。どんな思いを込めて海に流したのかまたは流れたものか分かるすべはありませんがきっと思いが叶ったと考えます。
役目を無事終えて満足しているのでしょうかひっそりと佇む姿から安らぎを戴いた気がしました。