リヨンのオペラ座 L'opera de Lyon
フランス中部: 4)ローヌーアルプ地方(La Region de Rhone-Alpes)
a. リヨンLyon (1) ( ローヌ県Dep de Rhone)
リヨンと言えば、近郊を含めると約165万人が住んでおり、都市圏としてはフランス第二の規模を誇ります。この町にやって来たのは2度目ですが、前回は10年以上も前のことだったので、その時の記憶は幻の様に霞んでいました。したがって、ユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されている旧市街(Vieux Lyon)地区などを再訪するのが楽しみです。ところで、私は横浜市民ですが、リヨンは横浜市に姉妹都市となっているので、親近感を覚えます。
今回は、フランスの南西部フィジャックの街から国鉄のSNCFに乗って、クレルモン・フェランで乗り換えてリヨンにやって来ました。訪問の主な目的は、この町に住んでいるジルと言うフランス人の友人と数年ぶりに会うことでした。
リヨンに到着したのは夜の10時頃だったので、駅に近いホテルを予約していました。翌朝9時頃、ジルさんがホテルまで迎えに来てくれました。彼の案内でリヨン観光を楽しみましたが、本稿ではローヌ川(la Rhone)とソーヌ川(la Saone)に挟まれた地区の訪問記を記します。
先ず地下鉄に乗り、最初に出かけたのはテロー広場(Place des tereaux)でした。この広場の中央には、中央に彫像の群像が置かれた噴水がありました。
テロー広場の噴水
広場の周囲には、オペラ座(記事冒頭の写真参照)、リヨン市庁舎、リヨン美術館などがあります。
テロー広場から見たリヨン市庁舎
ジルさんの案内で、オペラ座の前にある東門に向かいました。その門を通って中庭にまでは入れますが、更に奥に入ることはできません。しかし、ジルさんは守衛さんと交渉して、その奥に入る許可を得てくれました。入ってみて驚いたのは、そこはまるで宮殿の様な佇まいでした。大理石で造られた円形の泉があり、中央には台座の上に女神の座像があり、周囲にも騎士や美女の立像が配置されていて、きらびやかな空間でした。*後日調べると、この泉は”アンフィトリテの泉”と名付けられていることが分りました。因みに、アンフィトリテはギリシャ神で、ポセイドンの妻であり、海の女王だそうです。
リヨン市庁舎東側の入り口 市庁舎の中庭
中庭の奥の景観
その後、すぐ隣にあるリヨン美術館に入りました。ここには、ドラクロワ、マネー、モネー、シスレー、ドガ、ギーギャン、ゴッホなどを始め、一流画家のコレクションが豊富でした。
美術館の中庭
美術館見学を終えてから、リヨン料理のレストラン(Bouchon Lyonnnais)にて昼食を取ることにしました。
リヨン料理のレストラン
前菜は、牛の舌とか臓物の燻製、メインディッシュはカツレツだったような気がします。
このレストランの会話の中で、私がこれからポーランドのアウシュビッツを訪れる予定を話したところ、ジルさんは“ナチスの残虐さ”については誇大に喧伝していると言い出しました。この話は長くなりますので、改めて別の記事で執筆します。
さて、昼食を終えると、市内観光の再開です。地下鉄に乗って北側の二つ目の駅で降りて、教会を訪れました。それは、サン・マルタン・デネ教会(Basilique Saint-Martin d'Ainay)と言い、リヨンで唯一のロマネスク教会です。建造時期は11世紀ですが、9世紀のカロリン朝時代に創建された教会が建替えられたとのこと。
サン・マルタン・デネ教会
教会内部には、聖ジャンヌ・ダルクの像が祀られていました。ジャンヌ・ダルクは百年戦争においてフランスの救ったと言われる英雄ですが、1920年に聖人に列せられ、聖ジャンヌ・ダルクと呼ばれるようになりました。
教会内部の聖ジャンヌ・ダルクの像
その後、ベルクール広場(Place Bellacour)に向かいました。この広場は、ボルドーのカンコンス広場、パリのコンコルド広場に次いで、フランスで3番目の広さを誇る広場です。
広場の中央には、馬上に跨るルイ14世のモニュメントが設置されていした。
ルイ14世の騎馬像
次回は、ソーヌ川を渡って、旧市街を散策した時の観光記を綴ります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます