ノートルダム・デュ・ポール・バジリカ聖堂にある黒い聖母の像
Statue de la Vierge noire a Basilique Notre-Dame du Port a Clermont Ferrand
フランス中部 3) オーベルニュ地方(La region d'Aubergne)
- a. クレルモン・フェラン Clermont Ferrand (ピュイ・ド・ドーム県 Dep. de Puy-de-Dome)
クレルモン・フェラン(Clermont Ferrand)は、フランス中部にあるオーベルニュ(Auvergne)地方の首都であり、同時にピュイ・ド・ドーム(Puy-de-Dome)県の県庁所在地ともなっている都市です。
クレルモン・フェランについて、私は殆ど知識を持っていませんした。でも、この町は有名な哲学者であるパスカルの聖地であると同時に、世界で有数のタイヤ・メーカーであるミシュランの本社がある町でもあります。
ここを訪れることにしたのは、この都市を経由して、フランスの聖地のひとつ、ル・ピュイ・アン・ヴレ(Le Puy-en-Velay) を起点とするサンティアゴ巡礼の旅をするためでした。
クレルモン・フェランを訪れたのは、2103年9月下旬のことです。パリのベルシー(Bercy)駅を9:03にIntercities5955 と言う急行で出発し、クレルモン・フェランには12:28に到着しました。
クレルモン・フェランの駅舎
駅からホテルに向かう途中で、その大通りの一角に、第2次大戦でレジスタンス活動を行い、クレルモン・フェランの解放に貢献した人々の記念碑を見かけました。
レジスタンスの功績を讃える記念碑
ホテルに到着した時に、ビックリするハップンニングがありました。ホテルの入り口ドアーには鍵がかかっていて、内部に入れないのです。フランスでは全国各地を旅行して100回以上もホテルを利用していますが、この様な体験は初めてです。
ドアーの横には張り紙があり、到着した客は張り紙に示された電話番号に電話をしなさいと書いてありました。電話を掛けて自分の名前を名乗ると、隣接する小箱が自動で開き、ホテルに入るカギと部屋に入るカギが置いてありました。こうして、自分の部屋に入ることができましたが、フランス語で電話のやり取りをするのは苦手なので、一苦労しました。
当日は日曜日だったので、このホテルでは省力化で昼間は受付が不在となっていたのでした。
私が泊まったホテル
ホテルにチェックインして暫くしてから、フクレルモン・フェランの近くに住むフランスの友人が迎えに来てくれました。その友人に案内されて、市街の観光名所を巡りました。
この街で最も目立つのは、小高い丘の中央部に立つクレルモン・フェラン被昇天聖母大聖堂(Notre-Dame de l’Assomption à Clermont-Ferrand)です。大部分が、13世紀に建造された、ゴシック様式の教会です。
タンパンで飾られた大聖堂の入り口 大聖堂の祭壇
大聖堂から少し歩いたところには、もう一つの古い教会であるノートルダム・デュ・ポール・バジリカ聖堂 (Basilique Notre-Dame du Port) があります。6世紀に創建されておりますが、建物はノルマン人に焼き払われてしまいましたので11-12世紀に再建され、その歴史的価値が評価されて、ユネスコの世界遺産に指定されています。
この教会の後陣はオーベルニュ風ロマネスク様式で、モザイク造りとなっており、エキゾチックな雰囲気を湛えています。
聖堂の全景
タンパンのある南門 聖堂の内部
地下室(Crypt)に入って行くと、黒人の顔をした聖母マリア像が納められていました(記事冒頭の写真参照)。
この大聖堂やバジリカ聖堂の周辺には、旧市街が広がっていました。
一通り市内観光を終えた後、友人のガール・フレンドのご自宅で夕食をご馳走になりました。ガール・フレンドと言っても、クレルモン・フェランの大学で生物学を教えている学者さんです。趣味は、哲学の本を読むことと言うから、ビックリです。
友人は既に企業を定年引退した身でありますが、10年程前に奥さんを亡くし一人暮らしをしています。又、そのガール・フレンドもご主人に他界され、意気投合するところがあってガール・フレンドの関係になっているとのことでした。お互いに別々の一軒家に住んでいて、週末になるとどちらかの家で一緒に過ごしたり、近郊にハイキング出かけたりいているのだと言っていました。
いかにも、フランスらしい一面を感じながら、楽しい語らいのひとときを過ごしました。
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