2015年9月4日(金)
スリッパも買ったのでいよいよ本格的な街歩きの開始。コースは、マイナーだけれど面白そうな見どころが沢山紹介されている「ベルリンガイドブック」という本(中村真人著, ダイヤモンド社)から「プレンツラウアーベルク地区」を選んだ。コースの起点、さっきトラムを降りたRosenthaler Platz駅まで戻り、そこから歩き始めた通りの名前はWeinbergsweg。訳せば「ワインの丘」というわけで、以前はブドウ畑が広がる丘だったそうだ。
歩き始めると、落書きにしてはアート過ぎるペイントに覆われた小屋が…
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シオン教会 Zionskirche
丘の途中に建つシオン教会は、1873年に建てられたプロテスタントの教会。第二次大戦の空襲で大きなダメージを受けて閉鎖されていたが、80年代に修復工事が始まり、ようやく2002年に再開したあとも、内部の修復工事が今でも続いているそうだ。
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殺風景な礼拝堂にオルガンが響いていた。教会のオルガニストが練習中? あんまり上手じゃないなぁ。。
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シオン教会は、ドイツの近・現代史に大きく関わることになる。
まず、20世紀を代表するキリスト教神学者の一人であるディートリヒ・ボーンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer)が1931年からこの教会に奉職し、ナチスがドイツの実権を握るや、反ナチス運動を展開した。このためボーンヘッファーは、ナチス政権崩壊のわずか3週間前に、強制収容所で処刑されるという運命を辿ることとなった。
2階では教会の歴史を説明するパネル展示が行われていて、「ナチスの強制労働が奪った人間性」と題されたパネルでは、そんなボーンヘッファーの活動が紹介されていた(んだろうな…、ちゃんと読まなかった。。)。
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戦後の冷戦時代に、シオン教会は再び歴史に名を残すことになる。80年代半ばから教会の地下は反体制グループの秘密の活動拠点となり、禁書とされていた環境問題や人権問題を扱う本を集めた図書館も作られた。Stasi(東独秘密警察)による手入れが入って、一部の活動家が捕らわれるが、これが西側にも広く知られることになり、壁崩壊へ向けた市民活動の原動力になったという。ナチスと東独、2つの独裁への抵抗の記憶が、この教会には刻まれているというわけだ。
カスターニエン通り Kastanienallee
シオン教会を後にして、Kastanienalleeを行く。緑豊かな並木道を抜けると…
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ポップアート風な雑然とした雰囲気が漂う界隈に入って来た。「ベルリンガイドブック」によれば、この辺りは東独時代からの空家が多く、そこにアーティストが住み着き、独特の文化が育まれたという。
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何やら怪しげな通路に入ってみた。
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ジョン・レノンの古びたポスターに誘われて更に奥へ入って行くと…
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ここはDOCK 11というダンスシアターで、HPによれば、ダンスを中心に、演劇、映画、朗読、アート展示、パフォーマンス等々、ボーダーレスの新しい芸術活動の発信の場なんだとか。
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これはアートか、それとも単なる廃墟か? ここの住所 "Kastanienallee 86" でググると
「同性愛者の共同住宅だったが、今は管理者不在で荒れてしまっている」なんて出てきた。
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歩道に放置されたバスタブ。これも何か意味がありそう…
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このKastanienalleeは「栗の木並木通り」という意味だが、するとこの街路樹は栗の木?
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そこからOderberger Straßeへ入ると、急に落ち着いた雰囲気になった。建物もキレイ。
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壁公園 Mauerpark
通りを300mも歩けば、広大な壁公園が現れる。ベルリンで「壁」と云えば、もちろん冷戦時代の東西分断の象徴である「ベルリンの壁」だ。この公園は、ベルリンの壁の跡地を利用して、壁崩壊の日からちょうど5年後の1994年11月9日にオープンした。
ベルリンの壁は東西ベルリンの境界に2重に築かれ、壁と壁の間には広い緩衝地帯が設けられた。東ベルリンから西側に逃亡するには2つの壁を乗り越えなければならない。1つ目の壁を越えても、更地の向こうの2つ目の壁に行くのは命がけだった。なぜなら、更地は隠れるところがなく、要所に築かれた監視塔(Wachturm)で常時見張っている東独秘密警察(Stasi)の監視員から丸見え。見つかれば即座に射殺される危険を孕んでいた。
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そんな身の毛もよだつ恐怖の緩衝地帯が、今では市民がお弁当を持って遊びにくる広大な芝生広場に生まれ変わった。日曜日には蚤の市が立ち、カラオケ大会が行われるほか、様々なイベントが行われるそうだ。
そして芝生の斜面をのぼると…
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「ベルリンの壁」が現れる。
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ベルリンが東西に分断されていた時代には総延長160キロメートルもあったベルリンの壁も、今ではごく一部が残されているのみ。その代表格はイーストサイドギャラリーで何度か訪れたことがあり、ブログでもレポートしているが、他にこんなにまとまって壁が残っているところがあったなんて知らなかった。
ここも、イーストサイドギャラリー同様に、「壁アーティスト」による壁画が描かれていて、制作が進行中。
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色とりどりのスプレー缶を並べて構想を練る壁アーティスト。
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自由に「落書き」しているように見えるが、もちろん許可をもらってやっているはず…
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壁が残る一番奥まで行ってみた。全長は300メートルぐらい。
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ベルリンの壁をバックにかつての緩衝地帯でぶらんこするなんて、壁が崩壊する前は想像もできなかっただろう。確かに平和の有難さをつくづく感じるが、これが当たり前なのだ。罪もない一般市民の命を壁を越えただけで国家が奪うことの異常さ、理不尽さを忘れてはいけない。戦争だってそうだ。戦争が終わって平和の有難さを噛みしめるなんて言うけど、一体誰への感謝?国家が勝手に戦争起こして、国民をどん底に陥れたうえに無数の命が失われたことを絶対に許してはいけない。
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壁公園からEberswalder通りに入ると、トラムの軌道近くに、見事なペイントアートが施された小屋があった。すごくリアル!
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通りの反対側に建つ建物の壁にもカラフルな広告の絵。でもこの建物、壁ばかりで窓がなくてヘンだ。もしかしたらこれは東独時代に建てられたものかも。ベルリンの壁はかつてこのすぐ近くにあって、建物の上層から西ベルリン側が見えないように壁で覆われた名残?東独時代は絵もなにもない灰色の寒々とした壁だったに違いない。ファンタのアートは、その壁をぶち壊したように縁どられていた。
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「Eberswalder通り駅」は地下鉄、トラム、バスの複数の路線が交わる要衝。
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クルトゥア=ブラウエライ Kulturbrauerei
そこから数十メートル行くと、"Kulturbrauerei"の看板のある大きな施設へと導かれる。
"Kultur"はカルチャー、"Brauerei"はビール醸造所、ということで、直訳すれば「文化ビール醸造所」となるが、何だかヘンなので「クルトゥア=ブラウエライ」とそのままカタカナ読みしておこう。
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中へ入ると、石畳の通りに赤レンガ造りの建物が並ぶ、ベルリンとは思えないような旧市街風の街並みがあった。ここはその名のごとく、かつてビール工場だったところを改装したマルチカルチャースポットだ。20もの建物が残っていて、映画館、劇場、ナイトクラブ、ディスコ、レストラン、スーパー、イベント会場、ミュージアム等々、多彩な文化とレジャーを楽しめる。
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ここでは、ベルリンを代表する歴史あるビールメーカーの一つ、シュルトハイス(Schultheiss)が19世紀半ばから1967年まで操業していた。
その後、ベルリナー・ピルスナー(Berliner Pilsner)とベルリナー・キンドル(Berliner Kindl)という、やはりベルリンの有名なビールメーカーと合併して工場は移転したが、今でもこれら3つの銘柄は、それぞれの工法を守ってそれぞれの名前でビールを造っているので、それぞれの銘柄名が残っている。 伝統と歴史を重んじるドイツらしい話だ。
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この突起は何だろう… 工場の名残のようだけど。
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"Maschinenhaus"(機械棟)というのも当時の名前かな。
今は劇場、ライブハウスとして使われている。
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後の煙突が工場っぽい。
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12月にはここでクリスマスマーケットも立つ
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お散歩に役に立った「ベルリンガイドブック」
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「あっ、レーヴェ(大型スーパー)がある!」と、娘は喜んで駆け込んで行った。
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出口にそびえる煙突にも古き時代の意匠が感じられた
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昔の工場跡をリノベしたマルチカルチャースポットと云えば、日本統治時代に建設された工場をリノベして観光資源として活用している台湾を思い出す。ドイツでも首都のど真ん中にこんな場所があるんだー、と感心しきりだった。
コルヴィッツ広場界隈 rund um den Kollwitzplatz
クルトゥア=ブラウエライをあとにして、次はコルヴィッツ広場(Kollwitzplatz)目指してシュレートツキ通り(Sredzkistraße)を歩き始めたけど、かなり疲れてきた。もう相当歩いている。疲れたときはやっぱり冷たくて甘いアイスがいい!ということで、アイス屋さんで一休み。
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この辺りは雰囲気が一段とアカ抜けて、東京で言えば青山とか表参道のようにシャレている。
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緑も多くてリラックスできる感じ…
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こんな「図書館」に出会えると、町がますますステキに見えてくる。
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絵に描いたようなファミリーとすれ違った。
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おじさんもなんだかおしゃれに見える。
コルヴィッツ地区は、遊びに来るにも、生活するにも居心地が良さそうなところだ。
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コルヴィッツ広場給水塔 Wasserturm am Kollwitzplatz
コルヴィッツ地区の外れ、緑の丘の上にレンガ色の太い塔が建っている。これは日本で「水道タンク」と呼ばれている給水塔(Wasserturm)だ。1877年、当時この地域の労働人口が急増したことの飲料水対策で建てられた。塔の下部は住居になっていて、給水塔としての役割は1952年に終えたが、住居部分は今でも人が住んでいて、居住希望者が多いそうだ。
週末にはピクニックに訪れる人も多い緑ゆたかな公園内に建つこの給水塔は、人々から親しみを込めて「でぶちんヘルマン "Dicker Herrmann"」と呼ばれ、コルヴィッツ地区のランドマーク的存在となっている。しかし、ナチ時代には初期の強制収容所として使われ、共産主義者やユダヤ人など、いわゆる「好ましくない者」が裁判を経ることなく収容され、殺害されたという。こんな暗い歴史も持っているというのが、ベルリンの別の顔でもある。
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給水塔のすぐ隣には、こんなノッポの塔が建っていた。後から調べてもこれが何だかはわからなかったが、デブとノッポの塔が、生い茂る木々のなかに並んでいる様子は印象的だ。
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やっとのことでコースのゴール、地下鉄駅の「ゼーネフェルダ―広場」にやって来た。どのぐらい歩いただろうか。かなりくたびれたが、歴史的な遺産や今のベルリンを象徴するスポット、人々の暮らしぶりを感じられるスポットなど、楽しく興味深く、考えさせられることも多い散策だった。
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カルトッフェルケラー Kaltoffelkeller
晩ご飯はフリードリヒシュトラーセ駅近くのポテト料理レストランへ行くことにしていた。その前に、フリードリヒシュトラーセと云えば是非寄りたいミュージックショップDussmannでCDを選んでからやって来たポテト料理レストラン「カルトッフェルケラー」。ここは、ドイツ語学校の先生が「ここのジャガイモ料理は最高に美味い!」と一押しのお店。
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地下の店内は、内装、椅子、テーブルなどなど、いかにもドイツっぽい雰囲気で統一され、メニューは全てジャガイモ料理。ドイツと云えばジャガイモ!ではあるが、ここまでイモ尽くしのメニューに出くわすのは初めてだ。何と100種類以上のジャガイモ料理がある。
僕が注文したのはポテトパンケーキ(Kartoffelpuffer)。
ずっと前、ドイツの友人宅でご馳走になった手の込んだ一品。
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娘はポテトグラタン(Kartoffelauflauf)。
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これにサラダとスープを添え、もちろんビールも!
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どれも美味しかった…
けれどなかなかのボリュームで、ジャガイモばかり食べているとちょっと飽きてきた。
娘は多すぎて食べきれず、僕もさすがに娘の分まで食べる胃袋はなかった!
午前中の図書館訪問から始まった盛りだくさんの今日のプランはこれで全てこなし、充実の1日を終えた。
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スリッパも買ったのでいよいよ本格的な街歩きの開始。コースは、マイナーだけれど面白そうな見どころが沢山紹介されている「ベルリンガイドブック」という本(中村真人著, ダイヤモンド社)から「プレンツラウアーベルク地区」を選んだ。コースの起点、さっきトラムを降りたRosenthaler Platz駅まで戻り、そこから歩き始めた通りの名前はWeinbergsweg。訳せば「ワインの丘」というわけで、以前はブドウ畑が広がる丘だったそうだ。
歩き始めると、落書きにしてはアート過ぎるペイントに覆われた小屋が…
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シオン教会 Zionskirche
丘の途中に建つシオン教会は、1873年に建てられたプロテスタントの教会。第二次大戦の空襲で大きなダメージを受けて閉鎖されていたが、80年代に修復工事が始まり、ようやく2002年に再開したあとも、内部の修復工事が今でも続いているそうだ。
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殺風景な礼拝堂にオルガンが響いていた。教会のオルガニストが練習中? あんまり上手じゃないなぁ。。
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シオン教会は、ドイツの近・現代史に大きく関わることになる。
まず、20世紀を代表するキリスト教神学者の一人であるディートリヒ・ボーンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer)が1931年からこの教会に奉職し、ナチスがドイツの実権を握るや、反ナチス運動を展開した。このためボーンヘッファーは、ナチス政権崩壊のわずか3週間前に、強制収容所で処刑されるという運命を辿ることとなった。
2階では教会の歴史を説明するパネル展示が行われていて、「ナチスの強制労働が奪った人間性」と題されたパネルでは、そんなボーンヘッファーの活動が紹介されていた(んだろうな…、ちゃんと読まなかった。。)。
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戦後の冷戦時代に、シオン教会は再び歴史に名を残すことになる。80年代半ばから教会の地下は反体制グループの秘密の活動拠点となり、禁書とされていた環境問題や人権問題を扱う本を集めた図書館も作られた。Stasi(東独秘密警察)による手入れが入って、一部の活動家が捕らわれるが、これが西側にも広く知られることになり、壁崩壊へ向けた市民活動の原動力になったという。ナチスと東独、2つの独裁への抵抗の記憶が、この教会には刻まれているというわけだ。
カスターニエン通り Kastanienallee
シオン教会を後にして、Kastanienalleeを行く。緑豊かな並木道を抜けると…
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ポップアート風な雑然とした雰囲気が漂う界隈に入って来た。「ベルリンガイドブック」によれば、この辺りは東独時代からの空家が多く、そこにアーティストが住み着き、独特の文化が育まれたという。
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何やら怪しげな通路に入ってみた。
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ジョン・レノンの古びたポスターに誘われて更に奥へ入って行くと…
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ここはDOCK 11というダンスシアターで、HPによれば、ダンスを中心に、演劇、映画、朗読、アート展示、パフォーマンス等々、ボーダーレスの新しい芸術活動の発信の場なんだとか。
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これはアートか、それとも単なる廃墟か? ここの住所 "Kastanienallee 86" でググると
「同性愛者の共同住宅だったが、今は管理者不在で荒れてしまっている」なんて出てきた。
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歩道に放置されたバスタブ。これも何か意味がありそう…
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道に佇む少年の石膏像は何を思う?
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このKastanienalleeは「栗の木並木通り」という意味だが、するとこの街路樹は栗の木?
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そこからOderberger Straßeへ入ると、急に落ち着いた雰囲気になった。建物もキレイ。
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壁公園 Mauerpark
通りを300mも歩けば、広大な壁公園が現れる。ベルリンで「壁」と云えば、もちろん冷戦時代の東西分断の象徴である「ベルリンの壁」だ。この公園は、ベルリンの壁の跡地を利用して、壁崩壊の日からちょうど5年後の1994年11月9日にオープンした。
ベルリンの壁は東西ベルリンの境界に2重に築かれ、壁と壁の間には広い緩衝地帯が設けられた。東ベルリンから西側に逃亡するには2つの壁を乗り越えなければならない。1つ目の壁を越えても、更地の向こうの2つ目の壁に行くのは命がけだった。なぜなら、更地は隠れるところがなく、要所に築かれた監視塔(Wachturm)で常時見張っている東独秘密警察(Stasi)の監視員から丸見え。見つかれば即座に射殺される危険を孕んでいた。
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そんな身の毛もよだつ恐怖の緩衝地帯が、今では市民がお弁当を持って遊びにくる広大な芝生広場に生まれ変わった。日曜日には蚤の市が立ち、カラオケ大会が行われるほか、様々なイベントが行われるそうだ。
そして芝生の斜面をのぼると…
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「ベルリンの壁」が現れる。
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ベルリンが東西に分断されていた時代には総延長160キロメートルもあったベルリンの壁も、今ではごく一部が残されているのみ。その代表格はイーストサイドギャラリーで何度か訪れたことがあり、ブログでもレポートしているが、他にこんなにまとまって壁が残っているところがあったなんて知らなかった。
ここも、イーストサイドギャラリー同様に、「壁アーティスト」による壁画が描かれていて、制作が進行中。
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色とりどりのスプレー缶を並べて構想を練る壁アーティスト。
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自由に「落書き」しているように見えるが、もちろん許可をもらってやっているはず…
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壁が残る一番奥まで行ってみた。全長は300メートルぐらい。
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ベルリンの壁をバックにかつての緩衝地帯でぶらんこするなんて、壁が崩壊する前は想像もできなかっただろう。確かに平和の有難さをつくづく感じるが、これが当たり前なのだ。罪もない一般市民の命を壁を越えただけで国家が奪うことの異常さ、理不尽さを忘れてはいけない。戦争だってそうだ。戦争が終わって平和の有難さを噛みしめるなんて言うけど、一体誰への感謝?国家が勝手に戦争起こして、国民をどん底に陥れたうえに無数の命が失われたことを絶対に許してはいけない。
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壁公園からEberswalder通りに入ると、トラムの軌道近くに、見事なペイントアートが施された小屋があった。すごくリアル!
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通りの反対側に建つ建物の壁にもカラフルな広告の絵。でもこの建物、壁ばかりで窓がなくてヘンだ。もしかしたらこれは東独時代に建てられたものかも。ベルリンの壁はかつてこのすぐ近くにあって、建物の上層から西ベルリン側が見えないように壁で覆われた名残?東独時代は絵もなにもない灰色の寒々とした壁だったに違いない。ファンタのアートは、その壁をぶち壊したように縁どられていた。
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「Eberswalder通り駅」は地下鉄、トラム、バスの複数の路線が交わる要衝。
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クルトゥア=ブラウエライ Kulturbrauerei
そこから数十メートル行くと、"Kulturbrauerei"の看板のある大きな施設へと導かれる。
"Kultur"はカルチャー、"Brauerei"はビール醸造所、ということで、直訳すれば「文化ビール醸造所」となるが、何だかヘンなので「クルトゥア=ブラウエライ」とそのままカタカナ読みしておこう。
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中へ入ると、石畳の通りに赤レンガ造りの建物が並ぶ、ベルリンとは思えないような旧市街風の街並みがあった。ここはその名のごとく、かつてビール工場だったところを改装したマルチカルチャースポットだ。20もの建物が残っていて、映画館、劇場、ナイトクラブ、ディスコ、レストラン、スーパー、イベント会場、ミュージアム等々、多彩な文化とレジャーを楽しめる。
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ここでは、ベルリンを代表する歴史あるビールメーカーの一つ、シュルトハイス(Schultheiss)が19世紀半ばから1967年まで操業していた。
その後、ベルリナー・ピルスナー(Berliner Pilsner)とベルリナー・キンドル(Berliner Kindl)という、やはりベルリンの有名なビールメーカーと合併して工場は移転したが、今でもこれら3つの銘柄は、それぞれの工法を守ってそれぞれの名前でビールを造っているので、それぞれの銘柄名が残っている。 伝統と歴史を重んじるドイツらしい話だ。
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この突起は何だろう… 工場の名残のようだけど。
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"Maschinenhaus"(機械棟)というのも当時の名前かな。
今は劇場、ライブハウスとして使われている。
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後の煙突が工場っぽい。
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ここはマルチカルチャースポットであると同時に、第2次大戦の空襲による被害も少なく、19世紀末の工業建築物がよく保存された大規模で貴重な産業遺産でもある。それだけではなく、ナチス時代はナチスの模範企業に指定され、その後は武器産業にも関わったという。 様々な目的にリフォームされた建物のなかにはミュージアムもある。ビール工場にちなんで、ビールの醸造の歴史なんかを紹介するミュージアムを期待してしまうが、常設されているテーマは"Alltag in der DDR"(東独時代の日常)。東独時代を懐かしむ人も少なくないそうだが、ここではそんな時代の日常が紹介されているそうだ。 ミュージアムのことも、ここの歴史のことも、ブログを書くために調べて知った。入場無料だそうだし、行ってみればよかったな… | ![]() |
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12月にはここでクリスマスマーケットも立つ
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お散歩に役に立った「ベルリンガイドブック」
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「あっ、レーヴェ(大型スーパー)がある!」と、娘は喜んで駆け込んで行った。
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出口にそびえる煙突にも古き時代の意匠が感じられた
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昔の工場跡をリノベしたマルチカルチャースポットと云えば、日本統治時代に建設された工場をリノベして観光資源として活用している台湾を思い出す。ドイツでも首都のど真ん中にこんな場所があるんだー、と感心しきりだった。
コルヴィッツ広場界隈 rund um den Kollwitzplatz
クルトゥア=ブラウエライをあとにして、次はコルヴィッツ広場(Kollwitzplatz)目指してシュレートツキ通り(Sredzkistraße)を歩き始めたけど、かなり疲れてきた。もう相当歩いている。疲れたときはやっぱり冷たくて甘いアイスがいい!ということで、アイス屋さんで一休み。
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緑も多くてリラックスできる感じ…
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![]() | シュレートツキ通りのコーナーに本棚が作り込まれた樹木を発見。これ、NHKの「世界街歩き」で見たぞ。誰でも自由に本を借りていける屋外図書館とかって紹介されていた。 あとから現地のウェブサイトを調べたら、これはその名も「本の森 Bücherwald」と云い、見習い中の若い林務官、家具職人、本屋さんなどが協働で造った樹木の図書館とのこと。 5本の木に全部で100冊以上の本が入っていて、お互いの信頼の下、監視もなく誰でも自由に本を借りているそうだ。約束は一つだけ。1冊本を持って行ったら、最低1冊の本を返すこと。そうすれば「蔵書」は減ることなく増えていく。 日本の無人野菜販売所とか、きっとドイツ人はビックリすると思っていたけど、ドイツにもこんな人間の善意を前提にした試みが続けられているなんてステキだ。これも、この辺りの良心ある人たちが暮らすエリアだからこそ成り立っているんだろうな。 |
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絵に描いたようなファミリーとすれ違った。
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おじさんもなんだかおしゃれに見える。
コルヴィッツ地区は、遊びに来るにも、生活するにも居心地が良さそうなところだ。
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コルヴィッツ広場給水塔 Wasserturm am Kollwitzplatz
コルヴィッツ地区の外れ、緑の丘の上にレンガ色の太い塔が建っている。これは日本で「水道タンク」と呼ばれている給水塔(Wasserturm)だ。1877年、当時この地域の労働人口が急増したことの飲料水対策で建てられた。塔の下部は住居になっていて、給水塔としての役割は1952年に終えたが、住居部分は今でも人が住んでいて、居住希望者が多いそうだ。
週末にはピクニックに訪れる人も多い緑ゆたかな公園内に建つこの給水塔は、人々から親しみを込めて「でぶちんヘルマン "Dicker Herrmann"」と呼ばれ、コルヴィッツ地区のランドマーク的存在となっている。しかし、ナチ時代には初期の強制収容所として使われ、共産主義者やユダヤ人など、いわゆる「好ましくない者」が裁判を経ることなく収容され、殺害されたという。こんな暗い歴史も持っているというのが、ベルリンの別の顔でもある。
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給水塔のすぐ隣には、こんなノッポの塔が建っていた。後から調べてもこれが何だかはわからなかったが、デブとノッポの塔が、生い茂る木々のなかに並んでいる様子は印象的だ。
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やっとのことでコースのゴール、地下鉄駅の「ゼーネフェルダ―広場」にやって来た。どのぐらい歩いただろうか。かなりくたびれたが、歴史的な遺産や今のベルリンを象徴するスポット、人々の暮らしぶりを感じられるスポットなど、楽しく興味深く、考えさせられることも多い散策だった。
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カルトッフェルケラー Kaltoffelkeller
晩ご飯はフリードリヒシュトラーセ駅近くのポテト料理レストランへ行くことにしていた。その前に、フリードリヒシュトラーセと云えば是非寄りたいミュージックショップDussmannでCDを選んでからやって来たポテト料理レストラン「カルトッフェルケラー」。ここは、ドイツ語学校の先生が「ここのジャガイモ料理は最高に美味い!」と一押しのお店。
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地下の店内は、内装、椅子、テーブルなどなど、いかにもドイツっぽい雰囲気で統一され、メニューは全てジャガイモ料理。ドイツと云えばジャガイモ!ではあるが、ここまでイモ尽くしのメニューに出くわすのは初めてだ。何と100種類以上のジャガイモ料理がある。
ずっと前、ドイツの友人宅でご馳走になった手の込んだ一品。
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娘はポテトグラタン(Kartoffelauflauf)。
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これにサラダとスープを添え、もちろんビールも!
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どれも美味しかった…
けれどなかなかのボリュームで、ジャガイモばかり食べているとちょっと飽きてきた。
娘は多すぎて食べきれず、僕もさすがに娘の分まで食べる胃袋はなかった!
午前中の図書館訪問から始まった盛りだくさんの今日のプランはこれで全てこなし、充実の1日を終えた。
ベルリン町中探訪 その7 クロイツベルク(ユダヤ博物館、ヴィクトリア公園、シャミッソー広場他)、ベルリン地下世界
ベルリン町中探訪 その6(6月17日通り蚤の市、ティーアガルテン、ハッケシェヘーフェ・・・)
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