facciamo la musica! & Studium in Deutschland

足繁く通う演奏会の感想等でクラシック音楽を追求/面白すぎる台湾/イタリアやドイツの旅日記/「ドイツ留学相談室」併設

留学体験記 Uni-DUE(~SS2004)

2022年08月26日 | ドイツ留学相談室
ドイツ留学体験記

ここではドイツ留学(オーストリア、スイスのドイツ語圏を含む)をした獨協大学の学生の体験記を中心に紹介しています。体験記には、現地での手続き、授業の様子や寮生活、街の様子、これから留学する方々へのアドバイスなどが記されています。情報としては新しくありませんが、いつになっても決して色あせることない先輩達からの貴重なメッセージがたくさん綴られています。ご自身の留学に是非役立ててください。そして、あなた自身の留学体験をお寄せください。

このページでは、獨協大学のサーバー上で公開していた体験記のうち、著作者からこちらのサイトへの掲載に許諾を頂いた方の体験記のみ掲載しています。新たに体験記を掲載したい方(ドイツ語圏の大学で正規の授業の受講で留学した方であればどなたでも)、旧サイトに掲載されていた体験記をこちらでも掲載して構わないという方は、是非お知らせください。この記事下の「コメントを投稿する」から連絡ください。投稿されたコメントは公開せず、個別にお返事を差し上げます。

 デュースブルク=エッセン大学

(~SS2004)
WS 2003/2004 bis SS 2004 與那嶺 愛さんからの体験記
時間というものは本当に瞬く間に過ぎていくもので、もう一年が経ってしまいました。この留学生活では様々なことが起こり、良い事も悪い事も全てひっくるめていい経験だったなと思います。

デュースブルグ
デュースブルグは日本人が思い描いているようなドイツの町並みではありませんが、デュッセルドルフやエッセン、少し足を伸ばせばケルンなどの大きな街にも近くて生活しやすくとても便利で私は結構気に入っていました。大学の後ろには散歩やジョギングに適した森が広がっていて、夏の時期には授業の終わった午後や天気の良い週末にそこをアイスを食ながら散歩したり、一時間ほどジョギングをしたりしました。また大学の近くには動物園があって、そこも休日を過ごすのにいい場所でした。(イルカショーは結構面白かったです。猿コーナーにいる手のひらサイズの猿は檻に入っていないので自由に歩き回ってます。)


大学裏の森

大学生活
私は大学で併設されている語学コースと歴史のゼミを中心に授業を組んでいました。ゼミでは映画を媒体とした戦後ドイツと日本の比較がテーマでした。日本でも似たようなテーマのゼミにいたのですが、内容は正直言ってドイツのゼミのほうが格段に深かったです。発表をする生徒は事前に渡された映画分析論に則った分析をし、映画の撮られた時代や扱われている時代の背景を十分に調べて映画にこめられた監督のメッセージを読み解き、それが歴史的にどのような意味を持っていたのかを探る、というようなことをしなければなりませんでした。ゼミの先生にも発表の事前準備の段階から色々手伝っていただきましたが、自分自身の語学力の不足と準備不足で満足のいくようなものにはなりませんでした。

ゼミのほかには日本文化に関係したいくつかの授業に出ました。日本に関することだから結構余裕だろうと高をくくっていたのですが、知らないことや初めて知ったことが多く、逆にドイツ人の学生たちが詳しかったりして日本人として少しへこんでしまいました。

半年たった夏学期にはゼミの中でも発言できるようになったり、先生の言っていることが半分以上分かるようになったり、ドイツ語力がついたと実感できたことは嬉しかったです。


イベント終了後

生活
寮は日本で経験したものとは違い男女が一緒に生活するという形でした。それもはじめての経験だったので面白かったです。同居人同士結構オープンな感じではあるのですが必要以上に干渉はしない感じでした。部屋に戻ればプライベートはあるし、リビングで友達とゆっくりお茶も飲めるし、結構心地よい生活が出来ました。

生活していくうちに友達も増えて(デュースブルク大学には東アジア研究学科があるので日本に興味を持っている子が結構います)週末には大学のパーティーに一緒に行ったり、夏には寮の裏でバーベキューをしたり、デュッセルドルフの大きな映画館でイベントがあればみんなで乗り込んだりしました。(一番すごかったのは「ロード・オブ・ザ・リング」三部作を一気に上映するイベントで、休憩時間を含めた総イベント時間約10時間!夕方5時から翌朝3時まで)

一年が終わって
日々は本当にあっという間に過ぎていきました。私は今までに三回ほどドイツで生活をしてきました。高校生の時の最初の留学では反省と"もっとこうすればよかった"という思いばかりが残る一年でした。そして大学に入って一ヶ月の短期留学をした時は楽しくて、今回の留学をするきっかけになりました。そして三度目の今回はこれまでの反省や経験を思い出し、臆病にならずになんにでもチャレンジするように心掛けました。それがいい結果をもたらしたと思っています。ドイツに来て日本にいては知り合えなかった人たちと話すことで、考え方の違いや習慣の違い、全く新しいものの見方を知ることが出来ました。また、友達の大切さというものも実感できたのも今回の留学の一つの収穫だと思います。行き詰った時やつまずいた時にゆっくり話を聞いてくれた友達に本当に感謝しています。今回の経験をこれからにつなげていきたいと思います。


バーベキューパーティーにて

これから留学する人たちへ
海外では十分な準備をしていても何かしら思いがけないことが起こります。それに対応できるような柔軟な考えと度胸が必要です。帰国生や現在留学している人たちとコンタクトを取るのも良い手だと思います。

留学中は常に積極的な態度と努力を惜しまないことが成功のカギだと思います。日本で語学の準備をすれば準備をした分だけドイツ語になれるのは早くなりますが、さらに磨きをかけるには現地の人達とのコミュニケーションが大切です。だから受身であることはやめましょう。

ずうずうしさも時には必要です。自分のやりたい事やしてもらいたい事はハッキリ言うのが一番です。ドイツの人は日本人に比べて察しが悪いので、何も言わないと"あの子は何を考えているのか分からない"って事になります。(さすがに"これぐらいは察せよ!"と思う時もありますが)それに、スーパーでの買い物やカフェでのサービス、電話会社、インターネット会社等との契約の際に不都合があると日本の場合は小さなことだと許容してしまうことがありますがドイツでそうしてしまうと後々自分が大きく損をしてしまうことがあります。不当なことにはちゃんとクレームをつけましょう。

何より自分自身が留学を楽しむことが一番大切です。日本では経験できないこともいっぱいあるのでいろんな事にドンドン挑戦することをお勧めします。

WS 2003/2004 bis SS 2004 宮田和美さんからの体験記
私が、ドイツへの留学を決めたのは留学と就職の間で迷いながらも就職活動をし始めた時でした。就職活動をする中で、留学できるのは今しかないと思い立ち、今思えば、留学準備にかける時間も十分ではないまま、三ヶ月語学学校に通い、半年デュースブルク大学で勉強する予定で、日本を発ちました。

しかし、半年経ったところでようやく生活に慣れ、語学力も伸びていない状態で、中途半端なまま日本には帰れないと思い、半年延長しました。その結果、手続きの関係上、五年間で卒業するためには、獨協大学での一年分の単位をドイツで取って帰らなければいけないという課題が残りました。卒業というプレッシャーを感じながらの留学は、人にお薦めできるものではありません・・が刺激のある留学生活は送れました。


Abschiedsparty

事務手続き
実際大学が始まってみると、語学学校の時のようにはうまくいかず、生活に慣れるので精一杯という感じでした。一番苦労したのは、事務手続きでした。まず初めに、寮を決める際に痛感したのが、口約束を契約と勘違いしてはいけないということです。担当者が変わると、話がうまく中で伝わっておらず、一から説明し直しということを何度か繰り返しました。二週間ほど事務所に通い、やっと部屋を手に入れることができました。デュースブルク大学は獨協大学と提携をしているので、交換留学生でなくとも、根気よく通って、獨協生であるということをアピールすればなんとかなります。

また書類があって問題は発生しました。初めにシュベービッシュハル、ボンと語学学校を転々とした際に住民登録をしたことが後々問題になりました。デュースブルクの外国人登録局で学生ビザを申請する際、きちんと住民票を抜く手続き「Abmeldung」をして、その書類を持っていたにもかかわらず、役所のミスでそれがうまくいかず、他の町に同姓同名の「ドッペルゲンガー」がいるという理由で、半年間、正式なビザが発行されませんでした。

授業
授業に関しては、Germanistikを中心に履修しました。冬学期の授業では、語学コースといくつかゼミをとっていました。また、ビジネスシミュレーションというドイツ企業と日本企業のベンチャー企業を作り、業績を競うというプログラムに参加し、現実の企業間の競争の厳しさと、日本企業の弱い点などを痛感しました。夏学期は、言語分野においてもレファラートを行い、レポートを提出しました。

こういったレポートを書く際に、分からないことがあると、タンデムパートナーに尋ねていました。彼女とはお互いに日本語ドイツ語を教えあっていて、夏などは、カフェのテラスや芝生の上などでお互いに勉強していました。授業に関して、日本で中心に学んでいた文化や芸術に関してはあまり授業がなかったのが残念でしたが、言語に関しては充実していたので、新しい分野に触れられたことは良かったです。しかし、芸術の面では、今まで日本で知識として学んできた芸術作品や、文学作品の舞台を旅行という形で直接見ることができました。

また、Hiroshima Nagasaki ,Asianismusというアジア関係の授業も受講していました。これは私が語学学校にいた時に、アジア諸国の人たちと多く出会い、その中でも、同じ留学生であった台湾人女性と、様々な歴史や政治ついての討論をしてきたことが受講のきっかけになりました。彼女の方も、日本に興味を持ち、帰国するときには、日本語を学ぶようになり、お互いに刺激になった気がします。

治安
ドイツは比較的良いですが、デュッセルドルフには日本人をターゲットにしたスリが多発していました。力ずくで取ることはあまりないようですが、かばんを後ろに持っていたりすると盗られます。それによって、私はドイツ警察のお世話になるという貴重な体験もできましたが、日本ほど平和な国はないと反省させられました。

一年を振り返って…
私はこの一年で、ドイツ人のみならず、様々な国の人と出会い、感じたことは、自分がいかに日本について興味がなかったのかということです。自分の国の選挙結果を嬉しそうに報告してくる友人が、又、真剣に政治に対して討論しているドイツ人が初めは理解できませんでした。ただ、日本について聞かれた時にきちんと答えられるようにと調べていくうちに、私自身も自然と日本人とも討論するようになっていました。海外へ出たことで、一人の日本人としてどう対応すればいいのかということを考えるようになりました。海外でコミュニケーションをとるというのは、日本人としての自分を捨て、その国に合わせるのではなく、日本人として、どのように海外の人たちとうまくコミュニケーションしていくかということが大切なのだと感じました。

最後に、このような貴重な体験ができ、単位を取って帰るという目的を達成できたのは、先生方や職員の方々、両親や友人に助けられてのことだと思います。ありがとうございました。

WS 2003/2004 bis SS 2004 白鳥由希子さんからの体験記
「まだ一年」
「もう一年」

これが留学開始時と終了時の率直な感想だった。
最初は何もかもが「初体験」だった為、不安と焦りに満ちていた。しかし、今ではそんな苦労も笑って話せるようになってしまった。時の経過と記憶の変動に只々驚かされてばかりだ。
留学の目的は正直言って「興味本位」からであった。この「興味本位」はただ単に学業のみに留まらず、生活等のあらゆる面における「ドイツへの興味本位」である。

専攻はドイツ近現代史。だから、ドイツでもその専攻分野に適した授業のみ受けるつもりだったが、そういった講義が残念な事に中々見つからなかった。数少ない講義の中で、「ヒロシマ原爆投下」に関するゼミはとても興味深かった。広島原爆投下を日本以外の国々でどう捉えられているか、が主なテーマであった。このゼミを通し、一つの(歴史的)出来事が国・地域・文化・歴史的背景等によって異なる事を改めて実感した。同時にその認識の相違を受け入れる事の重要性にも気づいた。
その他にも中世文学研究にも手を付けた。この方面の専門知識が全く無かった為、「中高ドイツ語」を学びながら、その土台となる基礎知識を整理しなければならなかった。この分野では、新しい知識を得る事が出来た。また、文学作品に込められた皮肉等から垣間見るドイツ人の内面性の複雑さを痛感した。しかし、後者についてはまだまだ知識不十分故今でも理解に苦しむ事多々なり。

留学中は一人暮らしの若者並みの生活を送っていた:「食べたい時に食べる」、「眠くなったら寝る」等々。その為、体内時計と言った生体機能が著しく狂ったのは言うまでも無い。それにも拘らず、一年ずっと健康でいられたのは幸運だった。

自分は出不精である。よって、周りの人に比べ旅行が少ない。ドイツでもそれは変わらなかった。しかし、冬はクリスマス市巡り、夏は各地週末日帰り、と稀に旅行した。また、遠出せずに、近場の緑豊富な公園の中を散策したりもした。

ドイツの「風」は心地よかった。日本のぎすぎすした「風」に比べ、ドイツのそれは大変おおらかで自由だった:ドイツでは、日本の様に(他人の)人生に 「レール」や「勝敗」を付けたりしない。むしろお互いに尊重しあう。人間生きて行く上で大切なことである。…本当に日本は悪い意味でアメリカナイズされている。

意思疎通、留学中これに最も苦労した。殊に外国語、ここではドイツ語、による誤解・摩擦は頻繁に起こった:自分を上手く伝えられない、相手を良く理解出来ないなど。今は日本語・外国語に限らず、そういった衝突を極力避ける為に、言葉使いに気を配る事を心掛けている。
また、自分が如何に多くの人に支えられているか、を同時に痛感した。今まで一人善がりで自己中心的過ぎた自分が恥ずかしい。今後は、人様への気配りも忘れずに、(人様とも)接して行こうと思っている。

この留学を通して、良かれ悪かれ様々な体験をした。そして、これらの体験は今の自分の思考・姿勢・人生を形成している。
留学は何も語学上達だけがすべてではない。この言葉の意味を少しずつではあるが、理解出来るようになった。

最後にこの様な貴重な機会を下さった先生方・関係者の方々、支えてくださった家族・友人達にはとても感謝しています。有難う御座いました。

WS 2003/2004 bis SS 2004 (匿名希望)さんからの体験記
帰国して、本当に自分は一年間ドイツにいたのか不思議に感じることがあります。「この一年は特別」と夢のように扱わず、その先にこれからをつなげていきたいと思っています。ドイツで、日本ではきっと考える機会がなかったかもしれないことを考えた。ドイツで、日本に居るより多くの大切なことを学んだ。これからの励みにしていきたいです。

事前語学研修
私のドイツ留学は、夏休みを使った語学研修から始まります。Frankfurtから電車で1時間弱のGiessenという小さな町で大学の語学コースに通いました。そこでは、人生初のカルチャーショックを受けます。ワンフロアーに16人で住んでいたのですが、Mitbewohnerはほとんど男の子で、お風呂上りはタオル一枚で廊下をぶらぶら。トイレもシャワーも16人で共有。日本ではない環境に、始めは「ドイツの寮ってこうなの?!」と寮生活に不安を感じると同時に、かなりの抵抗がありました。


研修が終わり、Duisburgへ。私が入寮したのは10月の半ばでしたが同居人が帰省していた事もあり(みんな授業が始まるまで帰ってきません!)、誰もいないWGでなんとなく寂しく寮生活をスタートしました。でも、大学が始まると寮にも活気が出てきます。私の住んでいたWGは、他の寮と比較してみると、開かれている感じで、人が訪ねやすく集まりやすい寮だったと思います。学校からも一番近く、すぐ近くにスーパーもあり、何よりバス停が寮の目の前だったのでとても便利でした。私が住んでいた建物には、ベランダ状になっている通路が中庭に面してあり、とても雰囲気が良かったと思います。私が寮にいたときは、同居人の出入りが激しく、6~7人が出て行ったり入ってきたりしていました。私はこの一年間で、ドイツ人、ロシア人、中国人、フランス人、日本人との生活をしました。外国人同士で住むことに特に問題はありませんでしたが、文化や考え方の違いと言葉の不自由さで気持ちがうまく伝わらないなどストレスを感じることもありました。いろいろな国から来た人たち同士で生活して学んだことは、「人をまず理解しようとするよりも、自分をまず理解してもらう」です。すると意外に物事がスムーズに行ったりします。


Duisburg im Herbst

大学
大学では、私は日本で専攻していた言語学を中心に授業を取りました。Proseminar・Einführung・Vorlesungを取るほかに、併設の語学コースに参加しました。初めは予習するのも間に合わず、90分間聞いているのが精一杯でした。やはりドイツ人と一緒に並んで受ける授業は大変ではありましたが、でも学生のぽんぽん出てくる発言で、どんどんテーマが発展していくのがとても面白かったです。それから、私の場合は卒業論文のテーマと関わるゼミが開講されていたので、卒業論文の準備も留学中にすることができました。

生活
 日常生活では、生きることに困ったことはありませんが、いろいろな手続きが一回では済まず何度も足を運ばなければならないということがよくありました。銀行口座を作るときは予約を取ってからとか(普通は要らないそうです)、バイトのためArbeitserlaubnisを取るとき前回とまったく逆のことを言われ帰らされたり、電話のプランを勝手に変更されたり・・・。ドイツ人でもおかしいと思うことがよく起きたりしました・・・。

 成田空港を出発した時には、想像もしなかった様々なことを体験し、それまでもやのかかっていた視界がはっきりしました。自分がどんな人間なのか、本当は何をしたいのか、自分を客観的に、そして冷静に見ることができるようになりました。本当に貴重な経験となりました。自分に与えられた環境に感謝しています。

WS 2002/2003 bis SS 2003 吉永弘美さんからの体験記
私の留学生活は苦あり楽あり、様々な思いで過ごした一年でした。

最初のころは、無愛想な店員に悩まされたり、学生寮での薄い壁で騒音に悩まされたり、ゼミや講義などの授業についていくのに必死だったり、訳も分からずがむしゃらに突き進んでいたのを思い出します。一週間に一回のペースで読まなければならなかった自然主義時代の文献に悩まされたこと、投げ出したい思いを堪えて必死に書いた論文をやっと完成させた喜び、そんな私をそばで支えてくれた友人の温かさ。様々な感情で胸がいっぱいになって、その時は分からなかったことが、今、日本に帰ってしみじみと心に沁みわたります。

年間を通して行った日本語教育実習も、大きな思い出の一つです。休暇はきちんと取るドイツ人。日本のように長期休暇を利用することなどできず、ゼミや講義などの授業と同時進行。まずは授業を見学したり小テストを添削することから始めました。日本で学んだ、「日本語で教える日本語」。ドイツで学んだ「ドイツ語で教える日本語」。二つは全く別のものでした。「子供だましのようなお遊びは好まず、理解していようといまいと、理詰めで説明すると納得する。」そう教えてくださった日本語学科の先生。国独自の思想・文化を踏まえた「教え方」があり、日本語の知識と同じくらい、土地の人になりきることが必要なんだと感じた瞬間でした。

教育実習を通じて、一つの大きな出会いがありました。日本語を教えて欲しいと言ってきた彼女は、フランスのご婦人。もちろんドイツ語はペラペラで、家庭教師のアルバイトを探していたようでした。免許取得中とはいえ、まだ日本語教師の卵である私。とっさに私は「お金はいらない。日本語教えるから、ドイツ語を教えて!」と頼んだのを覚えています。親と同じくらい年の差があった彼女に、それも出会った最初の日に、こんな大胆発言をした私。しかし、逆にこの言葉が彼女の胸に深く突き刺さったようで、毎日のように勉強し、いろいろな美術館に連れて行ってもらったり、街を散策したり、ドイツの「根」の文化にたくさん触れることができました。勉強の合間の他愛のない話が盛り上がり、言語・文化・グローバル社会など様々なテーマで話し合って時間が過ぎることもありました。

時には辛いこともあった一年間、乗り越えたときの喜びと達成感があるからこそ、頑張れた一年間。留学生活で手に入れた、試練、経験、努力、友情、強い意志、そして希望、全てが今、私の宝物になっています。

WS 2002/2003 bis SS 2003 平井健太郎さんからの体験記
ドイツへの興味(ドイツ音楽との出会い)
私がもともとドイツに興味をもったきっかけは、ドイツのクラシック音楽に出会ったことです。重厚な音色、熱情的旋律、やや不器用で頑固な音楽。このドイツ音楽に触れてから、時にドイツ音楽と同じような描写をされるドイツの国民性にも惹かれるようになりました。幾度も暗黒の時代を乗り越えて、文化や経済を発展させてきた、まさに"苦悩をつきぬけて歓喜に至れ"というベートーベンの生涯のような、ドイツの歴史にも興味を抱きました。

討論好きなドイツ人
特に戦後処理問題や現在の社会福祉制度など、ドイツと日本を比べると、決して日本は褒められたものではないと私は考えていました。同じ第二次大戦敗戦国でありながら、なぜ両国の差はここまで大きいのだろうか。そんな疑問を解決する糸口を探りたいと感じ、それがドイツ留学の目的でした。ドイツ人は真面目だとよく言われますが、確かに政治討論が好きだし、歴史のターニングポイントを熱く語るなどする人も多かったように思いました。日本人からすると、"政治は政治家が行うもの"といった感じがするのですが、ドイツ人は"政治は国民が行うもの"といった考えがあるように思い、確かに政治家が一人歩きしているどこかの国とは大違いだなと納得してしまいました。

こんなまじめなドイツ人ですが、デュースブルクにいるドイツ人学生も真面目な人がとても多いなと思いました。一般的には日本人学生よりドイツ人の方が勉強しているなというのが私の率直な感想でした。ただ、遊ぶときは遊ぶ、飲むときは飲む、勉強するときはする、といったけじめのつけ方が彼らの最も感心するところでした。

大学での勉強
肝心の勉強の方ですが、私の場合は苦痛だったとしかいいようがありませんでした。もともと勉強が大嫌いだったので、継続的に学習すると言うのが苦手で、投げ出したくなるときも多々ありました。もしドイツ留学を考えているのでしたら、獨協大学のゼミや授業の課題で嘆いているようでは、ドイツではやっていけないと思っておいた方が良いです。"此れ見よがし"という言葉がありますが、まさにその言葉がぴったりと当てはまるほど課題を出されました。

私の中間報告でも書きましたが、読まなくてはいけない資料が多くて、1つの授業で夏ゼメは最高100ページ以上を一週間で読んでこいと言われたことがあります。日本語なら1日で簡単に読めますが、難しいドイツ語で書かれた難しいテーマを一週間で読むのは大変なことです。とても辛かったですが、通し読みをするということが意外に役に立つことも分かり、読解能力は上がったと思います。

夏ゼメは、ほとんど興味ある講義が無かったので、Vorlesungをいくつか受講しただけでした。なので、余った時間、自分でやりたいことを勉強しようと思い、『Die Zweite Schuld oder von der Last Deutscher zu sein(第二の罪 ドイツ人であることの重荷)』という"過去の克服"について書かれた本を一つひとつ丁寧に訳していくという勉強をしました。かなり分厚い本だったのですが、1ヶ月もあれば余裕をもって訳せると思っていた私が浅はかでした。結局1ヶ月まるまる頑張っても三分の一程度しか訳せませんでした。この本を読んでいるときはいつも朝から晩まで大学の図書館にこもっていました。私の場合、家にいるとゴロゴロしてしまい、様々な誘惑に負けてしまうので…。図書館は朝9時から夜9時までやっているので、とても便利でした。カフェや食堂がいつもやっていたので、お腹が空いたり、喉が渇いたりしたときにいつも利用していました。その時に利用していたカフェはU-Cafeという名で、図書館のすぐ横にあったのですが、知り合いが必ずといってよいほどいたので、休憩中はよく話をしたものです。

イラク戦争と熱波
私生活についてですが、私がドイツにいるときに、二つの大きな出来事がありました。それは、イラク戦争とヨーロッパを襲った歴史的大熱波です。イラク戦争については、さまざまな国の人々と討論しました。時々過熱しすぎて喧嘩になりそうなときもありました。私は日本にいなかったので、推測でしかないのですけど、このイラク問題は、日本よりドイツ国内の方が大きな議論になっていたと思います。韓国や台湾、中国の人とも大いに議論しました。イラク問題がいつのまにか靖国神社参拝問題になったりして、かなり肩身が狭い思いをしたこともあります。いろいろな意見を総合すると、やはり「何で日本はアメリカの言うことばかり聞くんだ!」という意見が100%でした。ショー・ザ・なんとかって言われたそうですが、日本は見せ方間違えたみたいですね。とにかく、寮に住むと外国人がたくさんいて、議論なり遊ぶなりすることがとても楽しかったです。

熱波についてですが、最近は日本と同じくヨーロッパでも夏は異常な暑さになることが多くなったようです。私がいたときは気温が40度まで上がりました。ドイツではエアコンのような気の利いた物はあまりないので、本当に辛かったです。図書館だけが辛うじて少しエアコンが効いていたので、猛暑のなかで勉強するには図書館が一番です。寮も直射日光が当たってとても暑かったので、うちわか扇子をもっていくことをおすすめします。本当に重宝しますよ。

ドイツ人の友人
ドイツ人ともとても仲良くすることができました。日本語学科があるので、心配しなくても向こうから寄って来てくれます。ほとんど日本語を話せない人から、私より文法を知っている人など様々ですが、日本語学科の学生との思い出が一番でした。皆さんが、ドイツにいったら是非ともお互い日本語とドイツ語を教えあうタンデムパートナーを作ってほしいと思います。相手の分からない日本語をドイツ語で言う、分かりやすい日本語で言い直す、といった敷衍するという行為が、とても勉強になったと思います。

休みの過し方
私が、計画しておくべきだったと思うことは、"夏・冬休みの過し方"です。学生の大半は実家(国内外を問わず)に帰ってしまうので、まさに"寮は蛻けの殻"状態です。なので、休みはどこかに旅行に行くとか、資料を漁っておいて勉強に没頭するとか、計画しておかないと、本当にやることが無くて困ってしまいます。

ドイツへの必携品(パソコンと耳栓)
私がドイツに持っていって良かったなと思ったのはパソコンと耳栓です。パソコンは出来ればDVD付きパソコンが良いと思います。ドイツ語の映画を見てドイツ語の勉強ができるので、おすすめです。場合によっては、帰国してすぐに就職活動という方もいると思います。ですから、ドイツからもインターネットで情報収集することをおすすめします。皆さんもご存知のリクナビには、海外大学生用の欄もあります。少々出遅れても(3月帰国の場合など)、海外で勉強していたことを生かすことが出来るかもしれません。あと、日本にいる知人とWebcamチャットをしました。MSNなどが提供しているサービスで、要するにパソコンでテレビ電話です。国内でもWebcamチャット用のカメラが安いのだと3千円くらいで売っているので、これも私にとっては重宝しました。

次に耳栓。特に外国人学生が毎晩のように騒ぎ、騒がずとも寮の壁が薄いので、どうしてもうるさくて眠れないときがあります。ですから安眠を願う人には絶対に必要です。ドイツでも耳栓は売っていますが、性能が悪いので日本で複数買っていくと良いです。

留学はゼロからの出発
留学することの魅力は、なんと言ってもゼロから始められるということです。自分の性格を誰も知る人はいない。自分の肩書きを知る人もいない。自分も誰も知らない。恐らく人間というのは、社会的殻をいくつかもっていて、状況にあわせてその殻をつけかえているのだと思います。そんな殻をすべて捨てて新天地で自分を見つめなおす良い機会にもなるのではないかと思います。

留学生活充実の如何は、計画的に実行できるかどうかで決まると思います。勉強をするなら、日本で必ずその分野の事前学習をすることをおすすめします。その他、旅行するにも遊ぶにも、それなりに計画的に実行すれば、長いようでとても短い留学生活を充実させることが出来ると思います。

WS 2001/2002 bis SS 2002  永田洋平さんからの体験記
初めてのドイツ長期滞在、デュースブルクでの留学が終了した今、長期留学がこんなにもおもしろく、いい経験になるとは思っていませんでした。デュースブルクという街はお世辞にもいい街、とは言えず、有名な「ルール工業」の栄えた地で、今は工業の跡地が目に付く言うならばドイツらしくない「汚め」な都市です。それでも思い出に残る日々を過ごせたのは、ひとえにいい友達に恵まれたからです。

最初のころはわからないことも多く、生活も慣れるまでは不都合の連続で、言葉も足りずコミュニケーションに苦労し、さらに文化も違う、それで社会になじみにくいところもありました。 特にドイツの店のサービスの悪さなんか超一級で、日本の一流のサービスに慣れてたおかげで、テレコムで、保険で、郵便局で、と嫌な思いをよくしました。しかし住めば都、そんな店員との言い合いもまったくないと少し淋しかったりするもの・・。だんだんと自己主張をはっきりせねば、と刺激にもなっていました。そう、言いたいことの言える文化、言わなければ意思の通じないところで生活した経験はとても刺激になり、それだけではなく、日本に帰った今、少し嫌なやつになってしまったかも・・。 とにかく馴染みたかった。ルームメイトにも恵まれて、わからないことはどんどん聞いて、言葉も文化も勉強しました。

何よりもためになったのは、文化、これはいろんな学者がいろんな定義をしているけれど、僕が気がついた範囲では、考え方の違い、慣習の違い、これを通して、他人ではなく自分が見えてくることです。魚は海を知らない、と言いますが、その通りだと思います。陸に出て初めて海と言う存在を知ることができます。異文化理解とは異文化を知る、異文化で暮らす人々を知る、意外にも自分を見つめなおす機会を与えてくれます。そして結局は、人種も国籍も信じる宗教が違っていても、人は人として何も変わらない、という当たり前のことを気づかせてくれます。

デュースブルクにはヨーロッパ、アジアやアフリカ等から多くの留学生が来ていて、ドイツ語に自信のなかった最初のころ、ドイツ語のコースを通じて知り合った友達との何気ない会話も多くのことを気付かせてくれました。日本では出来なかった経験です。

留学の1番のメリットは、生きた言葉、文化に触れられることにあると思います。毎週末行われる大学でのパーティーや、ルームメイトとの外出、旅行を通して教科書からでは勉強できないな、と思うことを多く学ぶことが出来ました。

SS 2001 bis WS 2001/2002  RKさんからの体験記
1年間の留学生活が終わって最初の感想は、長いようで本当に短かったということです。私にとってのこの1年間は、ありきたりの言葉ですが、十二分に内容の濃いものでした。

留学期間、1年間。この限られた時間の中で自分は何をすべきか、そして何をやりたいのか。この2つを自分自身で考え、やり遂げられたのではないかと思っています。私の大学以外での一番の目標は、友達をたくさん作ること、そちて自動車の免許を取ることでした。友達には幸い恵まれ、Goethe-Institutや寮、大学など色々なところでかけがえのない人々に出会うことができました。今はE-Mailなどで連絡を取り合っています。

自動車の免許は、私がまだ免許を持っていなかったこととドイツでは日本の約半分の値段で免許を取ることができるということを考え、やってみようと思い、秋から自動車学校に通い始めました。ドイツの自動車学校は個人経営で、先生は1人、教習は初めから路上です。結局帰国寸前の2月終わりまでかかってしまいましたが、なんとか実技試験も通り、ユーロ免許を獲得することができました。

大学ではドイツ語コースのほかゼミや入門、講義を選択し、ドイツ語そのものの他に自分の研究テーマだったことに近い内容の勉強をしました。授業内容はもちろんですが、単位のしくみやドイツの学生と教授との関係など、日本とは違う点を発見し興味深かったです。

その他にも、何種類かのアルバイトをしたり、寮の友達とご飯を作ってみんなで食べたりパーティーをしたり、盛りだくさんの1年でした。日本にいた頃は、時間は永遠に続くもののように感じ、その大切さに気づかないまま、あくせくと、休みを知らず毎日を走りつづけてしまっていたように思います。今は、時間を自分で感じ、自分で作り出していくものだと思っています。これからはドイツでの経験を生かし、自分の時間を、自分と大切な人達のために使っていこうと思います。

SS 2000 bis WS 2000/2001  YHさんからの体験記
約1年に渡るドイツでの生活を終え帰国した今、たくさんの思い出が次から次へと蘇ります。大学でのゼミでの専門分野の習得、様々な人種が集まった寮生活、3ヶ月の休暇、かけがえのない友との出会い等とても貴重な体験が出来たと改めて実感しています。願わくばあと数年ドイツで勉強が出来たらなと思いました。

まず、大学の授業での体験談から始めます。私の専攻は言語学で1年間アモン教授のゼミに参加しました。少人数制であった事もあり、毎回数十ページに及ぶ資料を読み、少なくとも1回は発言をしなければならないというのは、初めはとてもプレッシャーがかかり辛いものでした。テキストの内容も決して簡単ではなく難しいものでした。毎回必ず日本ではどうかと質問され、私が日本人代表として話す機会を多く与えられました。私は「スイスのドイツ語」「ハンガリーの言語教育とドイツ語の位置付け」についてはReferat(研究発表)に挑戦し、それにより40分程度の発言もできるようになり、ドイツ語で大勢の人の前で話をする自信がつきました。

次に寮に関しては、大学からバスで5-10分の所にあり、ドイツ人、イタリア人、フランス人、スペイン人、インド人、モロッコ人またアジア、アメリカからの学生で構成されていました。13人で一つの台所を共有していた為に、特に一緒に料理をしたり、お互いの国について、又、大学での勉強などについて話をするなど、常に新しい発見があり良い経験でした。

夏の休暇はハンガリーのブダペスト、イタリア(ローマ、フィレンツェ、ミラノ)、スイス(ルツェルン、ベルン)への旅行の他に、約1ヶ月間、日独協会主催のインターンシップに参加し、私はワイマールのテレビ局での仕事を経験しました。編集室でビデオテキスト制作の他には日本人に通訳、兼インタビューをする仕事があり、これは練習なしでカメラの前ですぐ本番、それが放送されてしまうだけにとっても厳しかったです。でもこれは本当に貴重な体験でした。

文化や生活習慣の違いもあり、またゼミでの課題もボリュームがあり大変ハードで決して全てが楽しいことばかりではなかったけれど、私は常に目標を持ち、前向きに努力していくことが出来ました。ドイツ語の習得に関しては語学学校の試験に挑戦し、その為に毎日作文を書いたりラジオでのヒアリング練習を続けました。また多くの人や異文化との出会いにより、柔軟な思考を持つこと、斬新な考えを吸収していく姿勢を心掛けました。一期一会の出会い、友人達の協力もあったお蔭で、より充実した生活ができました。また、自分の将来について真剣に考える時期でもありとても有意義に過ごすことができ、22年の人生の中でたった1年ではあったけれど、かなり多くの影響を受けたということに気付きます。現在、就職活動中で、さらに自分の人生の選択に迫られつつある中、私は、この留学で得たものを大切にし、国際人としてグローバルな視野を持ち続けられるよう、前向きに歩んでいきたいと思います。

SS 2000 bis WS 2000/2001  江塚照美さんからの体験記
ルール工業地帯の一角、街自体は大きいが決して活気のあるわけではない、デュースブルクはそんな都市です。

こんなネガティブなことを書きますが、決して私がこの1年間住んだこの街に不満足なわけではありません。勉強するにはむしろ良い状況にあると思いますし、遊びたくなったら近くの都市まで行けばいいのです。ドイツには日本の東京のような大都市はなく、中小都市が国中に点々としているのでとなりの市へ行くのにも電車で行けばすぐです。勉強面では東アジア研究科があるので、日本もしくはアジアに興味を持った学生が多く、日本人としてとても居心地よく勉強できる環境にあると思います。

自転車で行ける範囲のところにいくつか湖があり、サイクリング、ボートや夏は比較的天気が良く夜9時、10時頃まで明るいので、バーベキューなどをして夜遅くまで外で夏を満喫できます。

ドイツ国内で1番日本人人口が多いデュッセルドルフの近くでもあり、いざというときには日本の物がほとんど揃うという点でも便利なところに位置していると思います。ドイツのサービスの悪さと天気の悪いことにはいまだに慣れませんが社会福祉制度の整った、特に学生にとって住みやすい国だと思います。

SS 2000 bis WS 2000/2001  MSさんからの体験記
デュースブルクで過ごした約一年間は、私にとってとても有意義で、また充実していました。一年間という期間で、これほどいろいろなことを経験し、考え、多くの人と出会ったことは恐らく今までなかったでしょう。

大学での授業は、初めは特に大変でしたが、自分の前向きの努力と友達の援助のおかげで、徐々に慣れていきました。特に、教授の講義を聞き取ることより、ドイツ人学生の早口な発表を聞き取ることの方が難しかったように思います。授業によっては進め方が異なったり、内容も難易度も違うので、第一回目の授業には数多く出席し、その中から自分が特に興味を持ったもの、ついていけそうな授業を取りました。発表や試験も、積極的に参加しました。

生活面においては、ドイツ人を始め、様々な国の人と知り合い、交流しました。デュースブルク大学には、東アジア研究をしている学生が多くいるので、日本語を学んでいる学生もいます。週末には日本食パーティーをしたり、映画や観劇、小旅行にも出かけました。週末はお店が閉まりますが、その分、ゆっくりと友達と一緒に過ごしていました。

この一年間、真面目な学生だったとは決して言えませんが、何でも話せる良き友達にめぐり会い、様々な場所を見学することで視野を広げることができたなど、この留学生活がこれからの人生においても大きな意味をもたらしたことは、言うまでもありません。あっという間の一年でしたが、とても楽しい充実した時間でした。

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