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ウィーン・フォルクスオーパーの「魔笛」

2015年09月13日 | pocknのコンサート感想録2015
9月12日(土)ウィーン・フォルクスオーパー公演
ウィーン・フォルクスオーパー

【演目】
モーツァルト「魔笛」K.620

【配役】
ザラストロ:シュテファン・チェルニー/弁者:ギュンター・ハウマー/第2の僧侶:ダヴィド・ジトカ/夜の女王:ベアーテ・リッター/タミーノ:イェルク・シュナイダー/パミーナ:ユリア・コチ/パパゲーノ:ミヒャエル・ハヴリチェク/パパゲーナ:エリーザベト・シュヴァルツ/モノスタトス:クリスチャン・ドレシャー/第1の侍女:エリーザベト・フレヒル/第2の侍女:エファ・マリア・リードル/第3の侍女:スリー・ジラルディ/第1の武士:ダニエル・レケス/第2の武士:タマス・パトロヴィクス/3人の童子:ウィーン少年合唱団員

【演出】ヘルムート・ローナー 【美術】ヨハン・エンゲルス 【衣装】マリー=ジャネ・レッカ 【照明】フリードリヒ・ロルン
【演奏】
ロレンツ・クリストフ・アイヒナー 指揮
ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団/
ウィーン・フォルクスオーパー合唱団

フォルクスオーパーの上演を観るのは26年ぶりだが、今回のウィーン滞在中にここで「魔笛」を観ることができることには特別な期待があった。それは、このオペラというより「歌芝居」と呼ばれる作品は、モーツァルトが旅芸人のシカネーダーの依頼で書き、庶民が気軽に訪れる芝居小屋で上演されたのが元の姿だったから。格式あるシュターツオーパーに比べればずっと敷居の低いフォルクスオーパーでの上演なら、モーツァルトが本来イメージしたであろう姿に近い「魔笛」を体験できるのでは、という期待があった。

会場ではちょっとおめかしした、日本でいえば小学校低学年ぐらいのちびっこ達をとてもたくさん見かけた。僕の席の隣りにもおじいちゃん、おばあちゃんに連れられた小さな子供が2人。反対隣りはウィーン在住風の日本人の親子連れ。ちゃんと大人しくしていてくれるだろうか…



休憩時にはこうして外で過ごす人達が多い

オケは滑らかでスマートに序曲を進めて行く。序曲の後半開始を告げる2度目の変ホ長調のファンフーレをバンダでやるのも心憎い。序曲が終わって幕が上がると、舞台を埋め尽くすほど大きな大蛇が出てきてタミーノを威嚇する。「助けて!」と歌うタミーノ役のイェルク・シュナイダーの歌が、艶のある声と行き届いたコントロールでまた素晴らしい。そう、オケといい、歌手といい、舞台といい、オペラの要素の全てが本格的で、芝居小屋的なアバウトさはない。

というわけで、僕がフォルクスオーパーの「魔笛」に期待したローカル性は殆ど感じることはなかった。オケの歌い回しにもクセのようなものはなく、むしろ上品に何でもこなす。こんなに上手い演奏で聴けたことに文句はないが、スタンダードをわきまえた演奏より、本当はもっと、「こんなのもありなんだ!」的な演奏を聴きたかった。オケの団員も今やインターナショナルだろうし、ウィーンといえども、いや多くの音楽家が世界から集まるウィーンとなればなおさら、「標準化」の波には抗えないのかも知れない。

そうした意味での特殊な期待は満たされなかったが、演奏内容、特にソリスト達の歌には十分に満足の行く公演だった。歌手陣の力量で言えば、名のあるオペラハウスで行われる上演でのタイトルロール級の歌い手が勢揃いと言えるほどに凄い。とりわけこれまで何度も体験した国内外の「魔笛」のなかでも文句なしにトップに挙げたいのが、夜の女王を歌ったベアーテ・リッターと、ザラストロ役のシュテファン・チェルニー。

夜の女王のアリアでは、有名な2幕の「復讐の炎は…」の方は健闘する歌手は多い一方で、1幕の「若者よ、恐れるな」のアリアはイマイチで終わってしまうことが多いが、リッターはこちらのアリアでも素晴らしい歌唱を聴かせてくれた。ふくよかで濃密な声で切々と訴える前半、そして毅然とタミーノに使命を言い渡す後半のコロラトゥーラは完璧な音程と歌い回しで聴き手を完全に魅了した。前半では杖を突き、今にも倒れそうなヨボヨボの婆さんの姿だったのが、後半では大晦日の「紅白」みたいに魅惑的な女性の姿に変身する演出は、夜の女王の本心がよくわかって面白かった。2幕のアリアは、コロラトゥーラで歌われる一つ一つが夜空に耀く星々のように宝石の輝きを放っていた。

ザラストロを歌ったチェルニーは、長身な容姿からして威厳と風格を備え、そのバスの声は最低音に至るまで厳かに朗々と響き渡った。徳の高さ、叡知、厳しさと温情を具えたザラストロ像を見事に表現していた。

その他、どの役の歌手にもそれぞれの誉め言葉を送りたいが、ここでは割愛。とにかく、ちょこちょこ出てきては悪さをするモノスタトスや2人の兵士に至るまで、ハズレは一人としていなかった。これはオペラを楽しむ上で、とても重要な要件が満たされたことになる。

それに加えて舞台の素晴らしかったこと。舞台装置は本格的で、中央のせり上がり式円形ステージや、左右と後方の壁も可動式で、場面に応じて、例えばタミーノの前に立ちはだかる3つの扉になったり、間もなくタミーノとパミーナを迎え入れることになる堅牢な門になったり(この門の左右上方に2人の兵士が「貼り付いて」いたのは見ものだった)、様々な役目を担う。暗い色が基調だった壁が、最後の大団円の場面では金色の背景となって輝いた。

「魔笛」は、メルヘンの要素にも富み、とりわけパパゲーノと婆さんのやり取りや、「パパパ・・・」のデュエットなどでは子供たちに大受けだったが、ローナーの演出ではそうしたメルヘンチックな要素はあまり前面に出さず、ちょっと妖気の漂う世界を描いていて、登場する動物たちも妖怪のような姿をしていた。

演出で特に際立った読み替えや謎かけのようなものはなく、夜の女王の変身や、パミーナの絵姿を、背後の壁に大きく投影するなど、「なるほど!」と思わせる分かりやすい工夫が多く見られた。そして、このオペラの揺るぎないテーマとも言える「愛」、「思いやり」、「寛容」は、この演出でも常に強いメッセージとして伝わってきた。その大きな担い役はウィーン少年合唱団員による3人の童子。歌やセリフがないところでも、彼らは何かにつけてタミーノ、パミーナ、パパゲーノを進むべき方へ導いていた。

カーテンコールでは、やはり夜の女王、ザラストロ、パパゲーノに一際大きな拍手と歓声が飛んでいた。このお客の反応だが、フォルクスオーパーならではと思っていた上演中の大爆笑はなかった。そもそも、たくさん入るだろうなと思っていたアドリブのセリフは殆どなし。こんなところからも、この上演が芝居小屋的でなく、フォーマルなオペラ公演と感じた由縁。

とは言え、お客のマナーはシュターツオーパーとは明らかに違う。あちこちで話し声が聞こえ、大きな音で鼻をかむ人も。隣の子供が演奏中にしょっちゅうしゃべるのには閉口した。一緒にいたおばあちゃんは、それを制止するどころか、受け答えしている。オベラの内容についてならまだしも、「あーくたびれた、、休憩まだー?」なんてしゃべってるのには参ってしまう。休憩後は空いていた一席分離れ、日本で鼻息などが気になる時にやるように、パンフレットを耳元にかざして衝立代わりにした。これでほとんど気にならなくなった。この行為、何と思われようが仕方ない。子供のお喋りを聞きに来たわけではないのだから!


ウィーン・シュターツオーパーの「さまよえるオランダ人」(2015.9.11)

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