9月13日(日)アダム・フィッシャー指揮 オーストリア=ハンガリー・ハイドン管弦楽団/ウィーン室内合唱団
~第27回 アイゼンシュタット国際ハイドン週間ファイナルコンサート~
エステルハージ宮殿ハイドンザール(アイゼンシュタット)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/82/321f4e12021e2422d3f532038ca5bd7f.jpg)
【曲目】
1. シューベルト/劇付随音楽「ロザムンデ」 D797![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_warai.gif)
1)「魔法の竪琴」序曲
2) 間奏曲第1番
3)バレエ音楽第1番
4)間奏曲第2番
5)ロマンス「満月は輝き」 MS:コルネリア・ゾンライトナー
6)亡霊の合唱 「深みの中に光が」
7)間奏曲 第3番
8)羊飼いのメロディ
9)羊飼いの合唱
10)狩人の合唱「緑の明るい野山に」
11)バレエ音楽第2番
♪ ♪ ♪
2. ハイドン/合唱曲「嵐」Hob.XXIVa:8![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/star.gif)
3. ハイドン/デンマークの合唱 Hob.XXX:5a![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/star.gif)
4.ハイドン/ テ・デウム第2番 Hob.XXIIIc:2![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/star.gif)
【アンコール】
ハイドン/交響曲第45番「告別」~第4楽章![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/0c/7596bab7dda3c7a18d519b58e63c5fbc.jpg)
6年前にウィーンから訪れたハンガリーとの国境に近い町、アイゼンシュタットは、ハイドンが長年楽長として仕えたエステルハージ家お膝元の町。その年はハイドンの没後200周年に当たり、町はハイドンモードでいっぱいだった。エステルハージ宮殿内にあるハイドンザールでは合唱団が何かのミサ(ハイドン?)を練習していたが、ここでハイドンのコンサートを聴けたらいいなと思った。今回は、毎年この町で行われているハイドンフェスティバルの期間中にウィーンに滞在したため、そのファイナルコンサートを聴くことができた。
宮殿にはフェスティバルに訪れた着飾った人達がグラスを片手に歓談していて祝祭ムードいっぱい。ウィーンのオペラハウスではたくさん見かける日本人風の客はいない。ハイドンザールは、壁や天井に装飾や絵が施され、シャンデリアがきらめく美しいホールで、まさに宮殿の大広間。花がたくさん飾られたステージに、合唱団のメンバーは色鮮やかなショールを纏って登場してフェスティバルの雰囲気を盛り立てる。
前半はシューベルトの「ロザムンデ」の音楽が全曲演奏された。序曲の生気溢れるクリアな演奏が、優美な広間に響き渡る。残響は音楽ホールとして理想的で、響き過ぎることなく広間に柔らかく広がっていった。アダム・フィッシャー指揮のオーストリア=ハンガリー・ハイドン管弦楽団の演奏は、奇をてらうことなく誠実に音楽と向き合い、シューベルトの飾り気のない「歌」と「語り」をストレートに届けてくれた。
シューベルトらしい、延々とたゆたうようなフレーズが続く間奏曲第1番の後半部分や、ちょっとしたリズムの揺れが音楽に微妙な陰影を与えるバレエ音楽第2番、また、有名な間奏曲第2番は、控えめで内面的な歌いかけが切々と伝わってくるなど、心温まる素朴な表現力の持つ味わい深さが印象に残った。オーケストラの音は実直で、どこか東欧的な色合いを帯びている。特にちょっと影があってひなびた感じのオーボエの音が心に沁みた。
これに合唱が加わった「亡霊の合唱」では、こぼれるほどの喜びと眩い光を感じ、「狩人の合唱」での勇ましい男声合唱は、リアルにクリアに、表現力の幅広が際立った。「ロマンス」で唯一のソロを受け持ったメゾソプラノのゾンライトナーは、落ち着きと品を備え、心のひだに優しく入ってくる素晴らしい歌を聴かせてくれた。「ロザムンデ」の音楽が、宮殿の広間で柔らかな銀色の光を放ち、優しく心を包んでくれた。
後半はいよいよハイドン。演奏された3つの作品は、それぞれに個性の異なる合唱とオーケストラの曲。「嵐」と題された最初の曲は、まさに激しい嵐を描写した音楽で、これぞハイドンの疾風怒濤を体現していた。荒々しく猛り狂うティンパニの連打が、全体を鼓舞していたのが印象的。「デンマークの合唱」は勝利を祝う凱旋の歌だろうか。輝かしい合唱がダイナミックに迫ってきた。最後の「テ・デウム」は、合唱とオーケストラが一体となって神の栄光を讃えた。対位法を駆使した大きな構造を持つ音楽だが、柔軟性のある演奏が、音楽に広がりと奥行きを加え、華やかに優美に演奏会を締めくくった。
後半に演奏されたハイドンの3曲は、今まで知らなかった曲で、ハイドンフェスティバルでハイドンのこうした珍しい曲を聴けたのは良かったが、どれも短い曲ですぐ終わってしまったのはちょっと残念。アンコール(ハイドン)やってくれないかなー、と拍手を続けていたら、フィッシャーが「ファイナルコンサートの最後に、いつもの曲を演奏します。また来年、ここで皆さんと会えますことを!」と挨拶して、告別シンフォニーの最終楽章が演奏された。
一人、また一人と楽士たちが演奏をやめてステージから去って行き、照明もだんだん消えて行く演出に、この曲をエステルハージ侯の前で演奏したときのあのエピソードは、まさにこの場所だったのかと思うと、何だかジーンとくるものがあった。作曲家と作品、演奏家、演奏された場所が一本の糸で繋がり、現在にまで延びていることを感じる瞬間だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/64/5f604fc270a94da9b4eafce410330f73.jpg)
ハイドンの町、アイゼンシュタット(ウィーンからの日帰り観光 ~2009.6~)
フィッシャー指揮オーストリア=ハンガリー・ハイドンフィル/「トビアの帰還」(2009.5.24 ウィーン・コンツェルトハウス)
~第27回 アイゼンシュタット国際ハイドン週間ファイナルコンサート~
エステルハージ宮殿ハイドンザール(アイゼンシュタット)
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【曲目】
1. シューベルト/劇付随音楽「ロザムンデ」 D797
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1)「魔法の竪琴」序曲
2) 間奏曲第1番
3)バレエ音楽第1番
4)間奏曲第2番
5)ロマンス「満月は輝き」 MS:コルネリア・ゾンライトナー
6)亡霊の合唱 「深みの中に光が」
7)間奏曲 第3番
8)羊飼いのメロディ
9)羊飼いの合唱
10)狩人の合唱「緑の明るい野山に」
11)バレエ音楽第2番
2. ハイドン/合唱曲「嵐」Hob.XXIVa:8
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3. ハイドン/デンマークの合唱 Hob.XXX:5a
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4.ハイドン/ テ・デウム第2番 Hob.XXIIIc:2
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【アンコール】
ハイドン/交響曲第45番「告別」~第4楽章
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6年前にウィーンから訪れたハンガリーとの国境に近い町、アイゼンシュタットは、ハイドンが長年楽長として仕えたエステルハージ家お膝元の町。その年はハイドンの没後200周年に当たり、町はハイドンモードでいっぱいだった。エステルハージ宮殿内にあるハイドンザールでは合唱団が何かのミサ(ハイドン?)を練習していたが、ここでハイドンのコンサートを聴けたらいいなと思った。今回は、毎年この町で行われているハイドンフェスティバルの期間中にウィーンに滞在したため、そのファイナルコンサートを聴くことができた。
宮殿にはフェスティバルに訪れた着飾った人達がグラスを片手に歓談していて祝祭ムードいっぱい。ウィーンのオペラハウスではたくさん見かける日本人風の客はいない。ハイドンザールは、壁や天井に装飾や絵が施され、シャンデリアがきらめく美しいホールで、まさに宮殿の大広間。花がたくさん飾られたステージに、合唱団のメンバーは色鮮やかなショールを纏って登場してフェスティバルの雰囲気を盛り立てる。
前半はシューベルトの「ロザムンデ」の音楽が全曲演奏された。序曲の生気溢れるクリアな演奏が、優美な広間に響き渡る。残響は音楽ホールとして理想的で、響き過ぎることなく広間に柔らかく広がっていった。アダム・フィッシャー指揮のオーストリア=ハンガリー・ハイドン管弦楽団の演奏は、奇をてらうことなく誠実に音楽と向き合い、シューベルトの飾り気のない「歌」と「語り」をストレートに届けてくれた。
シューベルトらしい、延々とたゆたうようなフレーズが続く間奏曲第1番の後半部分や、ちょっとしたリズムの揺れが音楽に微妙な陰影を与えるバレエ音楽第2番、また、有名な間奏曲第2番は、控えめで内面的な歌いかけが切々と伝わってくるなど、心温まる素朴な表現力の持つ味わい深さが印象に残った。オーケストラの音は実直で、どこか東欧的な色合いを帯びている。特にちょっと影があってひなびた感じのオーボエの音が心に沁みた。
これに合唱が加わった「亡霊の合唱」では、こぼれるほどの喜びと眩い光を感じ、「狩人の合唱」での勇ましい男声合唱は、リアルにクリアに、表現力の幅広が際立った。「ロマンス」で唯一のソロを受け持ったメゾソプラノのゾンライトナーは、落ち着きと品を備え、心のひだに優しく入ってくる素晴らしい歌を聴かせてくれた。「ロザムンデ」の音楽が、宮殿の広間で柔らかな銀色の光を放ち、優しく心を包んでくれた。
後半はいよいよハイドン。演奏された3つの作品は、それぞれに個性の異なる合唱とオーケストラの曲。「嵐」と題された最初の曲は、まさに激しい嵐を描写した音楽で、これぞハイドンの疾風怒濤を体現していた。荒々しく猛り狂うティンパニの連打が、全体を鼓舞していたのが印象的。「デンマークの合唱」は勝利を祝う凱旋の歌だろうか。輝かしい合唱がダイナミックに迫ってきた。最後の「テ・デウム」は、合唱とオーケストラが一体となって神の栄光を讃えた。対位法を駆使した大きな構造を持つ音楽だが、柔軟性のある演奏が、音楽に広がりと奥行きを加え、華やかに優美に演奏会を締めくくった。
後半に演奏されたハイドンの3曲は、今まで知らなかった曲で、ハイドンフェスティバルでハイドンのこうした珍しい曲を聴けたのは良かったが、どれも短い曲ですぐ終わってしまったのはちょっと残念。アンコール(ハイドン)やってくれないかなー、と拍手を続けていたら、フィッシャーが「ファイナルコンサートの最後に、いつもの曲を演奏します。また来年、ここで皆さんと会えますことを!」と挨拶して、告別シンフォニーの最終楽章が演奏された。
一人、また一人と楽士たちが演奏をやめてステージから去って行き、照明もだんだん消えて行く演出に、この曲をエステルハージ侯の前で演奏したときのあのエピソードは、まさにこの場所だったのかと思うと、何だかジーンとくるものがあった。作曲家と作品、演奏家、演奏された場所が一本の糸で繋がり、現在にまで延びていることを感じる瞬間だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/64/5f604fc270a94da9b4eafce410330f73.jpg)
ハイドンの町、アイゼンシュタット(ウィーンからの日帰り観光 ~2009.6~)
フィッシャー指揮オーストリア=ハンガリー・ハイドンフィル/「トビアの帰還」(2009.5.24 ウィーン・コンツェルトハウス)