2月26日(土)フランス・ブリュッヘン指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団
~第473回定期演奏会~
すみだトリフォニーホール
【曲目】
バッハ/ミサ曲ロ短調BWV323
S1:リーサ・ラーション/S2:ヨハネッテ・ゾーマー/カウンターT:パトリック・ヴァン・グーテム/T:ヤン・コボウ/B:デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン/合唱:栗友会合唱団
2年前に聴いたブリュッヘン/新日フィルのハイドンでは、それまでにブリュッヘンに期待していた溌剌としたものとは別の、ブリュッヘンの昇華された魅力に触れた気はしたが、「また聴きたい」とまではいかなかった。だから、今回の来日でベートーヴェンの交響曲を全曲やると聞いても食指は動かなかった。だけど、バッハのロ短調ミサをやると聞いて、そういえばブリュッヘンのバッハって聴いてないし、バッハならまた別の感動を与えてくれるかも、と期待が高まり、急に気分がブリュッヘンに向かい、チケットを買った。結果は大正解!
合唱はアマチュアということもあり、かなりの大所帯だが、オケはファーストヴァイオリンが8人と小さめの編成で、大オルガンは使わず、ポジティブを使用。ブリュッヘンの研ぎ澄まされた感性が伝わってきそう。そして、「キリエ」の出だし、昔のブリュッヘンなら、アクセントを利かせて衝撃的なアプローチを仕掛けてきたかも知れないが、老練のブリュッヘンは、人生の重さを踏みしめるように、「キリエ」を聴かせてきた。合唱が素晴らしい。
栗友会の合唱が、今夜の演奏の要だったといっても良い。クリアで、不純物のない瑞々しく美しい響き。それぞれのパートとしてのまとまりもよく、くっきりと線を描くので、フーガで次々にパートが入ってくるのをパート毎に聴くのも心地よい。メリスマも淀みなく安定している。これ見よがしのパフォーマンスもなく、合唱としての響き、訴えかけをとても大切にしているのが伝わってきた。
オケもいい。ブリュッヘンとの共演をとてもいい関係で重ねている新日フィルは、ピリオドスタイルの演奏にも自然に馴染んでいて、妙な気負いもなく、音がよく伸び、響きも美しい。
こういう合唱やオケだからこそ、ブリュッヘンも無理なく、自らが思い描く音楽を実際の音として聴かせることができるのだろう。ブリュッヘンが描くバッハの世界には、気負いや衒いのない純粋でひたむきな祈りがあり、神を賛美する喜びと感動があり、天上的な美しさがある。
「グローリア」の輝かしさ、「クレド」でのひたむきさ、十字架につけられた重い苦しみから、復活へと転じるときの眩いばかりの光と力、「サンクトゥス」での溢れる喜び、「アニュス・デイ」終盤で「我らに平安を」と歌う、深くて感動的な歌。どれにも強い生命力が宿っていて、常に新鮮な息吹が吹き込まれていた。
合唱とオケが素晴らしかったのに比べると、ソリスト達のインパクトは弱かった。例えるなら、ソリスト達の前に置かれた収録用マイクのスイッチがオフのままで、オンエアを聴いているように存在感が薄い。みんな錚々たる経歴を持っているのだが、その実力が、座っていた席まで届いてこなかったのは、場所のせい(3階4列目の中央)だけではないように思う。
唯一存在感を出していたのは、カウンターテナーのヴァン・グーテム。生々しくストレートな声は、ちょっと違和感は感じたが、「アニュス・デイ」で、「われらを憐れみたまえ」と歌うシーンは、魂に直接訴えかけてきた。ここは、女声アルトの豊満な歌を聴きたい気もするが、こういう求道者的な世界が、この曲の本当の姿なのかな、とも思った。
~第473回定期演奏会~
すみだトリフォニーホール
【曲目】
バッハ/ミサ曲ロ短調BWV323

S1:リーサ・ラーション/S2:ヨハネッテ・ゾーマー/カウンターT:パトリック・ヴァン・グーテム/T:ヤン・コボウ/B:デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン/合唱:栗友会合唱団
2年前に聴いたブリュッヘン/新日フィルのハイドンでは、それまでにブリュッヘンに期待していた溌剌としたものとは別の、ブリュッヘンの昇華された魅力に触れた気はしたが、「また聴きたい」とまではいかなかった。だから、今回の来日でベートーヴェンの交響曲を全曲やると聞いても食指は動かなかった。だけど、バッハのロ短調ミサをやると聞いて、そういえばブリュッヘンのバッハって聴いてないし、バッハならまた別の感動を与えてくれるかも、と期待が高まり、急に気分がブリュッヘンに向かい、チケットを買った。結果は大正解!
合唱はアマチュアということもあり、かなりの大所帯だが、オケはファーストヴァイオリンが8人と小さめの編成で、大オルガンは使わず、ポジティブを使用。ブリュッヘンの研ぎ澄まされた感性が伝わってきそう。そして、「キリエ」の出だし、昔のブリュッヘンなら、アクセントを利かせて衝撃的なアプローチを仕掛けてきたかも知れないが、老練のブリュッヘンは、人生の重さを踏みしめるように、「キリエ」を聴かせてきた。合唱が素晴らしい。
栗友会の合唱が、今夜の演奏の要だったといっても良い。クリアで、不純物のない瑞々しく美しい響き。それぞれのパートとしてのまとまりもよく、くっきりと線を描くので、フーガで次々にパートが入ってくるのをパート毎に聴くのも心地よい。メリスマも淀みなく安定している。これ見よがしのパフォーマンスもなく、合唱としての響き、訴えかけをとても大切にしているのが伝わってきた。
オケもいい。ブリュッヘンとの共演をとてもいい関係で重ねている新日フィルは、ピリオドスタイルの演奏にも自然に馴染んでいて、妙な気負いもなく、音がよく伸び、響きも美しい。
こういう合唱やオケだからこそ、ブリュッヘンも無理なく、自らが思い描く音楽を実際の音として聴かせることができるのだろう。ブリュッヘンが描くバッハの世界には、気負いや衒いのない純粋でひたむきな祈りがあり、神を賛美する喜びと感動があり、天上的な美しさがある。
「グローリア」の輝かしさ、「クレド」でのひたむきさ、十字架につけられた重い苦しみから、復活へと転じるときの眩いばかりの光と力、「サンクトゥス」での溢れる喜び、「アニュス・デイ」終盤で「我らに平安を」と歌う、深くて感動的な歌。どれにも強い生命力が宿っていて、常に新鮮な息吹が吹き込まれていた。
合唱とオケが素晴らしかったのに比べると、ソリスト達のインパクトは弱かった。例えるなら、ソリスト達の前に置かれた収録用マイクのスイッチがオフのままで、オンエアを聴いているように存在感が薄い。みんな錚々たる経歴を持っているのだが、その実力が、座っていた席まで届いてこなかったのは、場所のせい(3階4列目の中央)だけではないように思う。
唯一存在感を出していたのは、カウンターテナーのヴァン・グーテム。生々しくストレートな声は、ちょっと違和感は感じたが、「アニュス・デイ」で、「われらを憐れみたまえ」と歌うシーンは、魂に直接訴えかけてきた。ここは、女声アルトの豊満な歌を聴きたい気もするが、こういう求道者的な世界が、この曲の本当の姿なのかな、とも思った。
素晴らしかったですね。感動しました。
ブリュッヘンの演奏を聴いたら、益々歌いたくなりました!
ブリュッヘンは、齢を重ねるごとに神様に近づいているように思います。この頃は昔の溢れる若さが懐かしい気がしていましたが、このロ短調ミサは、生命力も十分で、本当に忘れられない演奏になりましたね。
またブリュッヘンのバッハを聴くのが楽しみです。