コトありで考えたこと

暇と退屈の倫理学(3)

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ハイデッガーの退屈の三形式

第一形式:何かによって退屈させられること
第二形式:何かに際して退屈させられること
第三形式:なんとなく退屈だ
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意味がわかるかな?

例えば、駅で電車を待っている時に電車がなかなか
来ないので時計を何度もみたりするのは、第一形式
なんだよね。駅に着いたら電車がすぐに来て欲しいのに、
なかなか来ないと駅によって退屈させられるんだよね。

レストランで料理を待っている時に早く来ないかなぁと
思ったらレストランによって退屈させられているんだよね。

「人間は退屈すると気晴らしを求める」

なので、料理を待っている間にスマホを眺めたりするよね。

こんな風に説明すると第一形式はわかりやすいでしょ。

難しいのは次の第二形式なんだよね~

例えば、仲のいい友だちと一緒に喫茶店でおしゃべりして
いるところを想像してくれる? 

おしゃべりは楽しんだけど、途中でふと会話とは
関係がないことを考えてしまったとすると、それが
退屈なんだよね。

よって、この場合は、
「友だちとのおしゃべりに際して退屈させられている」んだよね。

おしゃべりは楽しいので気晴らしになっている。
だから、第二形式では気晴らしと退屈が混ざり合っているんだよね。

映画を観ている時に、映画は面白いんだけど途中でふと他のことを
考えることがあるよね。この場合も映画が面白くなくて退屈する
訳じゃないので第二形式なんだよね。

つまり、第一形式の退屈は自分の外から来る。これに対して、
第二形式の退屈は自分の中から立ち昇ってくる。その意味で
第二形式の方が「深い」んだよね。

最後の第三形式はなんとなくわからない?

例えば、やりたいことがたくさんあるけどやらなくても
いい。そんな時に何もせずにいるのが第三形式じゃないかと
思うけどね。

だから、やらざるを得ないことがないと困るということ
なんじゃないかなぁ。

結構長くなってしまったけど、最後まで読んでもらえたかなぁ(笑)

 

(2月12日 ベルク記)

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