しもとゆふ 葛城山に降る雪の
まなく時なく思ほゆるかな
まなく時なく思ほゆるかな
よみ人知らず
・・・・・・どういう経緯を 辿り
そこに行き着いたか 覚えていない。
そこに行き着いたか 覚えていない。
ブログを 立ち上げる前年(2016)
知見 を 広げるべく Acim以外の
スピ・精神世界系サイト(シンパ 及び アンチ両方)に 加え
知見 を 広げるべく Acim以外の
スピ・精神世界系サイト(シンパ 及び アンチ両方)に 加え
クリスチャンの ブログサイトも 同様に
手広く 見て回っていた 私は 元 プロテスタントのブログに 辿り着いた。
ネット初期に はじめたらしい
そのひとのブログは 数年前の記事を最後に 更新は途切れ、
私以外の訪問者は なかった。
手広く 見て回っていた 私は 元 プロテスタントのブログに 辿り着いた。
ネット初期に はじめたらしい
そのひとのブログは 数年前の記事を最後に 更新は途切れ、
私以外の訪問者は なかった。
元信者にありがちな
牧師 先輩後輩信者、教会関係者への うらみつらみ
ヒステリックな話だろうと 高を括っていた。
アンチの 熱狂的 正義感は
シンパの 妄信的 献身に 等しい。
どちらも 私的 情念に
異常に 固執している ルサンチマン の 典型的な投影
シンパの 妄信的 献身に 等しい。
どちらも 私的 情念に
異常に 固執している ルサンチマン の 典型的な
「バイオ・フィリア」 だ。
そのひとは 文章のうまいひとでは なかった。
難しい事は 書いていない。
著名人や聖人の文言に 依らない。 弁の立つひとでは なかった。
難しい事は 書いていない。
著名人や聖人の文言に 依らない。 弁の立つひとでは なかった。
だが、そのひとの 不味い作文を 読み進めるうち
私の中の なにか が 揺らいだ。
告発のために始めた ブログだっただろう。
泣き わめき
ふるえ おそれ
怒りに わななき
翻弄された もろもろすべて
そのまま 吐き出してしまいたかっただろう。
なのに そのひとは そうしなかった。
そうする 自分であることを 拒んでいた。
そうする 自分であることを 拒んでいた。
自分が 大切に思っていたものを 利用され
自分が 信じていたものたちに 罵られ 揶揄され貶められ
安息の地から追放され ひとり
己の激情に 流されるまいと
努めて たんたんと 事実を書こうとしていた軌跡 が あった。
善きクリスチャンが好む 良い箴言 を 拒絶した
拙い 一言ひとことが 胸を抉った。
這いつくばり 立ち止まり
ときにまろぶ そのひとの不格好な言葉 に 何度も 目が留った。
自分が 信じていたものたちに 罵られ 揶揄され貶められ
安息の地から追放され ひとり
己の激情に 流されるまいと
努めて たんたんと 事実を書こうとしていた
善きクリスチャンが好む 良い
拙い 一言ひとことが 胸を抉った。
這いつくばり 立ち止まり
ときにまろぶ そのひとの不格好な
これが 告解 と いうものなのだろうか。
キリスト者ではない 私は 正直にいって よくわからない。
それは 今まで 私が みたことのない 苛烈な 懺悔
ふかい闇にある 声なきものの かなしい 絶叫 だった。
そのひとを知る前
私は、罪深い ひとの想いを 理解できる 「よい人間」だった。
私は、罪深い ひとの想いを 理解できる 「よい人間」だった。
しんじつの神に はべる 「神の御子」であり
しんじつの神の如く 許しを与える
「聖なる司牧」「 篤い使徒」だった。
しんじつの神の如く 許しを与える
「聖なる司牧」「 篤い使徒」だった。
だが、告解に 臨まなければならない
告解すべき 罪びと は そのひとではない。
告解すべき 罪びと は そのひとではない。
他ならぬ この私自身 と 識った。
たどたどしくも ひたむきに
まこと へ 向かおうとする そのひとの告解は
興味本位の 美談 ばかり 欲しがる
好奇な 私の眼 を 幾度となく棄 ち
「 私は 罪なきキリストだ 」という
しんじつの神 を 容赦なく 私から叩き落とした。
好奇な 私の眼 を 幾度となく
「 私は 罪なきキリストだ 」という
しんじつの神 を 容赦なく 私から叩き落とした。
自分のイイ事を イジョウ に イイ続ける
よい人間ほど 穢れない自分に したがる。「シロ」と 言いたがるだろう。
よい人間ほど 穢れない自分に したがる。「シロ」と 言いたがるだろう。
個の全き事実を よい 人間 は みない。
都合のよいモノしか みない故に イイのがれるコトしかできない。
都合のよいモノしか みない故に イイのがれるコトしかできない。
神を使って イイたい放題
神の名を出せば オールOK
絶対の神ならば 全てフリーパスだ。
名のある 神仏悪魔であろうと
全て イのまま 自分のツカエル 「モノ」に できる。
神の名を出せば オールOK
絶対の神ならば 全てフリーパスだ。
名のある 神仏悪魔であろうと
全て イのまま 自分の
故に 神の事を イイたがる。神に 成りたがる。
否。
ノーマークだった
この内在神 の ある「業」 に 気付いたのは
そのブログを訪れるようになって 大分 経ってからのことだった。
この
そのブログを訪れるようになって 大分 経ってからのことだった。
ネットや テレビラジオ 新聞 本や 雑誌など
様々な メディア媒体の
様々な「いま」の 世界は
どこもかしこも 賑々しく 華やかで
よりオモシロ 愉しく
よりキワドク 恐ろしく
より悲劇的で
より奇跡的な 物事や出来事が
より ヨイ お得に馴れた ヨクあるひとの 眼を奪い
同じ ヨク あるひとびとの 口の端に載せられ
供給され
消費されてゆく「モノ」である。
よりキワドク 恐ろしく
より悲劇的で
より奇跡的な 物事や出来事が
より ヨイ お得に馴れた ヨクあるひとの 眼を奪い
同じ ヨク あるひとびとの 口の端に載せられ
供給され
消費されてゆく「モノ」である。
ヨウは「実」と「数」を 等価 にした
非物理的 事象と 物理的 質量の 合理化、 善行パフォーマンスである。
「イイネ!」のみ 価値があり
「イイネ!」でなければ「エゴ」と見做す
大衆・集団に ヨク合致した
誰でも カチ 得る「ヨイ」に 至る。
斯様なシコウが「正」「善」と みなされ
真実とナル おたがい貪りアイの羽 化 登 仙
真実とナル おたがい貪りアイの
しらずしらず この 至高体験 に 馴らされた よき人間 様は
まさに 貴方の しんじつの神 の イイ通り
よき 弥栄「カニバリズム」を 拝していよう。
今ここにある これが 私たちの 「アリふれた世界」である。
まさに 貴方の しんじつの神 の イイ通り
よき 弥栄「カニバリズム」を 拝していよう。
今ここにある これが 私たちの 「アリふれた世界」である。
Wild nights ー Wild nights!
Were I with thee
Wild nights should be
Our luxury!
Futile ー the winds ー
To a Heart in port ー
Done with the Compass ー
Done with the Chart!
Rowing in Eden ー
Ah ー the Sea!
Might I but moor - tonight ー
In thee!
E. Dickinson
Were I with thee
Wild nights should be
Our luxury!
Futile ー the winds ー
To a Heart in port ー
Done with the Compass ー
Done with the Chart!
Rowing in Eden ー
Ah ー the Sea!
Might I but moor - tonight ー
In thee!
E. Dickinson
葛城山の岩橋の。
夜なれど月雪の。
さもいちじるき神體の。
みぐるしき顔ばせの神姿ははづかしや。
よしや吉野の山かずら。 かけて通へや岩橋乃。
高天の原はこれなれや。 神楽歌はじめて大和舞いざや奏でん。
ふる雪の。標木綿花の。白和幣。
高天の原の岩戸の舞。高天の原の岩戸の舞。
天のかぐ山も向に見えたり。月白く雪白く。いづれも白妙の。
けしきなれども。名に負ふかづらきの。神の顔がたち。面なやおもはゆや。
恥かしやあさましや。あさまにもなりぬべし。あけぬ先にと葛城の。あけぬ先にと葛城の夜の。
岩戸にぞ入り給ふ。岩戸のうちに入りたまふ
宗教や スピリチュアル・精神世界、ACIMが
この 「アリふれた世界」の 構図から 逃れていると 私は 観じない。
寧ろ 此処に いるものの 殆どが
ココの共 同 体 主 義 的世界に どっぷり嵌っている。
ココの
みな「同じ」
一なるヨイ経験、ヨイ知識の たっぷりある イイひとが いるところや
イイひとたちの 多くいる分かりやすい ヨイところへ イリ浸り
一なるヨイ経験、ヨイ知識の たっぷりある イイひとが いるところや
イイひとたちの 多くいる
「ナショナリズム」「ヒューマニズム」
「リアリズム」「イデアリズム」・・・延々と
イけるイズム、イかすシソウ
浅薄な言葉遊び、ゴロ合わせの 「よい」カイ読が 常識。
「リアリズム」「イデアリズム」・・・延々と
イけるイズム、イかすシソウ
浅薄な言葉遊び、ゴロ合わせの 「よい」カイ読が 常識。
wikipedia「トーラス」参照
ハレルヤ 善き シモジモの為
愛ある 共有教義 を 垂れ流し
大悟覚醒 の ヤリ方を 手取り足取り 解説解釈 指南なさる。
汚いものに 蓋のできる 「いつモノ」 リーディング セッション ヒーリング
心眼を 瞑らせる 「えらモノ」自己暗示 祈り 冥想 求道に 邁進なされよう
汚いものに 蓋のできる 「いつモノ」 リーディング セッション ヒーリング
心眼を 瞑らせる 「えらモノ」
ハレルヤ 「かく」のごとし
「今ここにある」「ありのまま」「あるがまま」
みなに シタがい
みなを シタがわせる 「ヨイ」魔法の言葉、言霊で
すでに貴方は お望みのモノに 御成りだ 。
みなに シタがい
みなを シタがわせる 「ヨイ」魔法の言葉、言霊で
すでに貴方は お望みのモノに 御成りだ 。
ハレルヤ また「同じ」
ハレルヤ また 繰り返しの 「ジ・エンド」だ。
故に 「全て」「~するだけいい!」「~を 超える!」
よき絶対者に「~された!」と イ得る 「ヨイ」御前様
よき絶対者に「~された!」と イ得る 「ヨイ」御前様
「当然」ヨク成りたい 貴方も 私も
みな「同じ」く ヨク成り給う
みな「同じ」く ヨク成り給う
ハレルヤ また 繰り返しの 「ジ・エンド」だ。
貴方は 言う。
「すべてよい」
「これが真実である」
そうだ。言うだけなら 誰でも出来る。
「すべてよい」
「これが真実である」
そうだ。言うだけなら 誰でも出来る。
よく 求め
よく見世られるものならば
富も 名声も 知も 愛も
覚醒、ニルヴァーナであろうと
「全て」 得られる ここは よき仮想現実空間 である。
よく見世られるものならば
富も 名声も 知も 愛も
覚醒、ニルヴァーナであろうと
「全て」 得られる ここは よき
「何某は 救世主である」
「何某は 絶対神である」
ああ。ソの通りであろう。
よく在れば 此処なら 何でもヨクできる 自在の実存 なのだ。
よい我々は ムゲンの天 国 を 手に入れた。
よい我々は ムゲンの
故に よく「アル」よい貴方は
いま此処に「アル」よいモノたちと イつづけて イるだろう
いま此処に「アル」よいモノたちと イつづけて イるだろう
Jesus! もうよい。シマイ だ。
哲の学徒である先輩が
宗教は 演劇的 だと 言っていた。
宗教は 演劇的 だと 言っていた。
「 内在と超越の 対比を
内在において 反復する 」ものであると。
臨済で 見性を許され
クンダリーニ・ヨーガの解脱も 果たした ある 覚醒者 は 予言した。
「人類が存続するようなら 禅が 流行し、
人類が滅亡するようなら クンダリーニ・ヨーガが 流行する」と。
人類が滅亡するようなら クンダリーニ・ヨーガが 流行する」と。
選ばれし我と
特別な我々のみに 許された共依存 関係にある ゼン人 よ
過剰な価値を 与える ヨイ教え
ヨイ 夢物語りに 自他を ヨク従属させる シコウ者 に 告ぐ
特別な我々のみに 許された
過剰な価値を 与える ヨイ教え
ヨイ 夢物語りに 自他を ヨク従属させる シコウ者 に 告ぐ
持てるもの
持て得ぬもののとの 「格差」「ヒエラルキー」「分断」 は
穢れたもの 悪のものだけでなく
聖なるもの 善なるものによっても 強められ 悪化する
コの
クンダリーニの 法悦を貪り ヨク あり続け
内在と超越のヒを 徒に 繰り返す しかないものに
もう ヨウは 「な い」
地は 我々人類を 見限った。
地が 見限ったモノを 天が 許すものか。
アリ難き カミの亡者よ
自身を ヨクし続ける他ない 用済み は
もう ヨイものだけしか ミ得ぬ。 既に イ得ぬモノに 成って居る。
私は このイかれた
じぶん自身を しんじつ「みよう」と 思った。
ひとり しんに対 った
あのひとのように 私も 「ゆきたい」
あのひとが 信じ みていたものを 私も「みたい」と のぞんだ。
「 ありがとう 」 Kyrios 私は あなたを かえす。
わたしは
ここに いきている「私」だ。 それでよい。
じぶん自身を しんじつ「みよう」と 思った。
ひとり しんに
あのひとのように 私も 「ゆきたい」
あのひとが 信じ みていたものを 私も「みたい」と のぞんだ。
「 ありがとう 」 Kyrios 私は あなたを かえす。
わたしは
ここに いきている「私」だ。 それでよい。
リスト: 3つの演奏会用練習曲 「ため息」フジ子・ヘミング
かなしい ひとり の
泣き わめき
ふるえ おそれ
怒りに わななく 十字架を 負う
名なしの凡夫 として 私を いきよう。
ふるえ おそれ
怒りに わななく 十字架を 負う
名なしの
Blazing in gold and quenching in purple
金色に燃え上がり紫に沈み
Leaping like leopards to the sky
豹のように空に跳び
Then at the feet of the old horizon
それから昔ながらの地平線の足もとに
Laying her spotted face, to die
斑点のついた顔を横たえて死に備え
金色に燃え上がり紫に沈み
Leaping like leopards to the sky
豹のように空に跳び
Then at the feet of the old horizon
それから昔ながらの地平線の足もとに
Laying her spotted face, to die
斑点のついた顔を横たえて死に備え
Stooping as low as the kitchen window
かわうその家の窓まで低く身をかがめ
Touching the roof and tinting the barn
屋根に手をのばし納屋を色に染め
Kissing her bonnet to the meadow
牧場に向けて帽子で投げキスをし
And the juggler of day is gone
一日の魔術師は行ってしまった
かわうその家の窓まで低く身をかがめ
Touching the roof and tinting the barn
屋根に手をのばし納屋を色に染め
Kissing her bonnet to the meadow
牧場に向けて帽子で投げキスをし
And the juggler of day is gone
一日の魔術師は行ってしまった
仕合わせは 不意をついて
この「静かなるPassion」に
「 光あれ 」未来古代楽団 feat. 安次嶺希和子
本文は エセー「おしえられないモノだから。」(2017-08-14公開:現在クローズ)を 加筆編集。
紫の英字・翻訳文は 「対訳ディキンソン詩集」亀井俊介編(岩波文庫)からの引用です♡