「nāsad āsīt」
nāsad āsīn no sad āsīt tadānīṃ nāsīd rajo no vyomā paro yat
kim āvarīvaḥ kuha kasya śarmann ambhaḥ kim āsīd gahanaṃ gabhīram
「Die Zeichen」 Otto Freundlich(画)
nāsad āsīn no sad āsīt tadānīṃ nāsīd rajo no vyomā paro yat
kim āvarīvaḥ kuha kasya śarmann ambhaḥ kim āsīd gahanaṃ gabhīram
「Die Zeichen」 Otto Freundlich(画)
「真実」の 何ナニと いい
「本当」の 何ナニに あるといい
「すべて」 何ナニだからと「イ」えるひとは
何故 そう いいたいのでしょうか?
何故 そう ありたいの?
何故 そうして いま 此処に 「イ」る ソの 自分 なのか ?
― spontaneous symmetry breaking.
「 よくしたい 」 だから 此処に 「イ」て ヨク 「シタがる」イイ 自分
「 よくありたい 」 だから 此処に 「イ」つづけ ヨク 「 アリたがる 」イイ 自分
「 よくなりたい 」 だから 此処に 「イ」る いいひとのように ヨク 「 ナリたがる 」イイ 自分
「何故」なき 全てのかみ、ひと、ものを
すべて「イイ」 に イミ付け、カチを憑けた、トドめとなる「スベテ」
同一律のマ に シタがう 業果、 アイ・ゼン の 「自分 」 でしょう?
ソ レは。
तम॑ आसी॒त्तम॑सा गू॒ळ्हमग्रे॑ऽप्रके॒तं स॑लि॒लं सर्व॑मा इ॒दम् ।
तु॒च्छ्येना॒भ्वपि॑हितं॒ यदासी॒त्तप॑स॒स्तन्म॑हि॒नाजा॑य॒तैक॑म् ॥
Why is there something rather than nothing ?
अ॒ग्निमी॑ळे पु॒रोहि॑तं य॒ज्ञस्य॑ दे॒वमृ॒त्विज॑म् । होता॑रं रत्न॒धात॑मम् ॥
トクシンの業
雙の眼にかなう ヨイのまま
薄れゆく ひののこりかを 一なる ソの在所 で 称えてイルがよい
故常無欲,以觀其妙 タマぢはふ かみののみを ゆるし
常有欲,以觀其徼 神につかわれた よきニンゲン様の イコウである。
同じバより出でし 両つなる非時香木実 の うたヒの 「あはれ」
その名をイとする ふたつのせいカイが
蒼穹をはらむことはない アリふれた 外地のひとなみに沈む反 照 だ。
エセー: 臨眺のをり ~ 「まなのロンド」 nº 1 ~(2020-10-02 00:00:00)
अ॒ग्निना॑ र॒यिम॑श्नव॒त्पोष॑मे॒व दि॒वेदि॑वे । य॒शसं॑ वी॒रव॑त्तमम् ॥
仮想現実空間 では 日常の自分(パブリックイメージ)ではない
こころよい「本当の自分」が 許され、その「本当の自分」に 相応しい千年王国 が 約される。
「本当の自分」である人間、「本当の自分」になりたい人間は 見目麗しい
よい自他の弁舌エイぞうに 舌鼓を打ち、安直な大義名分 の ギに 惚 けて「イ」つづける
「真の覚醒」を モノ申す人間、 「本当の幸せ」に憑りつかれた モノモノしい人間になろう。
(全き) ヨイ物事しかない (全き) の成るイイ
イ場所を作り (全き) のかなう よいゴトを 与え、受け取る
エセー:鬪花のさだ ~ 「まなのロンド」 nº 3 ~(2020-11-14 11:23:19)
「 よくありたい 」 だから 此処に 「イ」つづけ ヨク 「 アリたがる 」イイ 自分
「 よくなりたい 」 だから 此処に 「イ」る いいひとのように ヨク 「 ナリたがる 」イイ 自分
⟨ x, y | xyxyx = 1 ⟩
Rμν − 1/2 Rgμν + Λgμν = κTμν
Rμν − 1/2 Rgμν + Λgμν = κTμν
「何故」なき 全てのかみ、ひと、ものを
すべて「イイ」 に イミ付け、カチを憑けた、トドめとなる「スベテ」
同一律のマ に シタがう 業果、 アイ・ゼン の 「
ソ レは。
तम॑ आसी॒त्तम॑सा गू॒ळ्हमग्रे॑ऽप्रके॒तं स॑लि॒लं सर्व॑मा इ॒दम् ।
तु॒च्छ्येना॒भ्वपि॑हितं॒ यदासी॒त्तप॑स॒स्तन्म॑हि॒नाजा॑य॒तैक॑म् ॥
A.チェレプニン Symphony No.1 in E major Op.42 - II.Vivace
अ॒ग्निमी॑ळे पु॒रोहि॑तं य॒ज्ञस्य॑ दे॒वमृ॒त्विज॑म् । होता॑रं रत्न॒धात॑मम् ॥
トクシンの業
雙の眼にかなう ヨイのまま
薄れゆく ひののこりかを 一なる ソの
故常無欲,以觀其妙 タマぢはふ かみののみを ゆるし
常有欲,以觀其徼 神につかわれた よきニンゲン様の イコウである。
同じバより出でし 両つなる
その名をイとする ふたつのせいカイが
蒼穹をはらむことはない アリふれた 外地のひとなみに沈む
エセー: 臨眺のをり ~ 「まなのロンド」 nº 1 ~(2020-10-02 00:00:00)
अ॒ग्निः पूर्वे॑भि॒ॠषि॑भि॒रीड्यो॒ नूत॑नैरु॒त । स दे॒वाँ एह व॑क्षति ॥
「 アナタ は 何もわかっていない 」と 私は よく ひとに詰 られる
不思議。私を詰 る そのひとは
何故 ひとを ソのように詰 られるのでしょうか。
伝えたい 「そのもの自体」 言葉ではない
そのものは 言葉でいい表わすことのできない 玄妙な 「何か」です。
言葉で 分かるのは 言葉で 名付け でっち上げた言葉 でしかない。
言葉によるものは だから イイ言葉 に 縛られ、イイ言葉 から 超えられない。
言葉で イイ表せば その 「何か」 は
「何か」で なくなってしまう 言葉は質 を 殺す ご イ・タイで ありますから。
「 アナタ は 何もわかっていない 」と 私は よく ひとに
不思議。私を
何故 ひとを ソのように
伝えたい 「そのもの自体」 言葉ではない
そのものは 言葉でいい表わすことのできない 玄妙な 「何か」です。
言葉で 分かるのは 言葉で 名付け でっち上げた
言葉によるものは だから イイ
言葉で イイ表せば その 「何か」 は
「何か」で なくなってしまう 言葉は
エセー: 兵無常勢 de 夜間飛行 ~「まなのロンド」 nº 2 ~(2020-10-14 11:23:19)
अ॒ग्निना॑ र॒यिम॑श्नव॒त्पोष॑मे॒व दि॒वेदि॑वे । य॒शसं॑ वी॒रव॑त्तमम् ॥
こころよい「本当の自分」が 許され、その「本当の自分」に 相応しい
「本当の自分」である人間、「本当の自分」になりたい人間は 見目麗しい
よい自他の弁舌エイぞうに 舌鼓を打ち、安直な
「真の覚醒」を モノ申す人間、 「本当の幸せ」に憑りつかれた モノモノしい人間になろう。
(全き) ヨイ物事しかない (全き) の成るイイ
イ場所を作り (全き) のかなう よいゴトを 与え、受け取る
同じイイに 共鳴する 同志縁者のミナ様と えいエンに
繋がって「イ」られる みな同じ 全て 絶対者とカス自明 の結果 ゆえ。
繋がって「イ」られる みな同じ 全て 絶対者とカス
エセー:鬪花のさだ ~ 「まなのロンド」 nº 3 ~(2020-11-14 11:23:19)
अग्ने॒ यं य॒ज्ञम॑ध्व॒रं वि॒श्वत॑: परि॒भूरसि॑ । स इद्दे॒वेषु॑ गच्छति ॥
しんの「あい」を 生き
しんの「まこと」に 死ねる者こそが
しんみょうなる 人間の生き死を 全うされましょう。
ここの現象を 真に 受け入れぬ者に「まこと」の幸福も 理解も 現臨、解脱もない。
貴方 は 貴方。 私 は 私。
この事実 を しんからゆるし 応えた者の言葉には しぜん「ひ」と「ヒ」が宿る。
「カカされた」「ここに在る」イイに シタ・テる ヨイ有 志 の
コウジョウ 一切を 斥け、心 に あかあか 燃ゆる 御 灯 を 掲げられた
「あい」ある あなたに 私は ひかれ こいをする、自然 のりに御座います。
エセー:者者のオラシオ~ 「まなのロンド」 nº 4 ~(2020-11-22 19:07:09)
しんの「あい」を 生き
しんの「まこと」に 死ねる者こそが
しんみょうなる 人間の生き死を 全うされましょう。
ここの現象を 真に 受け入れぬ者に「まこと」の幸福も 理解も 現臨、解脱もない。
貴方 は 貴方。 私 は 私。
この事実 を しんからゆるし 応えた者の言葉には しぜん「ひ」と「ヒ」が宿る。
「カカされた」「ここに在る」イイに シタ・テる ヨイ
コウジョウ 一切を 斥け、
「あい」ある あなたに 私は ひかれ こいをする、
エセー:者者のオラシオ~ 「まなのロンド」 nº 4 ~(2020-11-22 19:07:09)
अ॒ग्निर्होता॑ क॒विक्र॑तुः स॒त्यश्चि॒त्रश्र॑वस्तमः । दे॒वो दे॒वेभि॒रा ग॑मत् ॥
あい現われ あい消える時空間に あるわたしは
「私」と 「私」ではない者と 共にいき
「私」を全うし尽くす つとめに 種々のワタシがいる
ここは「ひ」「ビ」 生れ、「ヒ」「び」死んでゆくところだ。
「 故に 」多くのものが ここに 多くのヨイを 求めて来るだろう。
たがいにある 過不足が アレばアルほど あいする物や あいする人を得、
よくアイせる私は 全き神仏に アイされ、多くのひとの求めに 応え得る いいヒト に ナレる。
「 ユエに 」 この「私」は この上ない 幸せな 真我のザを 所有する
いい
エセー:皆目つかないこい~ 「まなのロンド」 nº 5 ~(2020-12-07 00:07:09)
यद॒ङ्ग दा॒शुषे॒ त्वमग्ने॑ भ॒द्रं क॑रि॒ष्यसि॑ । तवेत्तत्स॒त्यम॑ङ्गिरः ॥
シンクロニシティや インスピレーションとみられる
いままでの直感 の示す 行末は どれも色褪せて 私のこころは うごかない。
事前に知ればイイ 分かり切った ひとの 同気相求的 未来予想図など
イらない。欲しくない。
そんなもの、絶対知 というモノの 御仕着せで ソの通り
私の在所 が 変化するだけの アリのまま。 「とうゼン」でしょう。
だから 「私 」は、この不確実な写像世界 にある
何もしらない 此の まっさらな 自分自身を 余すところなく
「い き て み た い」
陣風のたより~ 「まなのロンド」 nº 6 ~(2020-12-17 11:07:09)
シンクロニシティや インスピレーションとみられる
いままでの
事前に知ればイイ 分かり切った ひとの 同気相求的 未来予想図など
イらない。欲しくない。
そんなもの、
私の
だから 「私 」は、この不確実な
何もしらない 此の まっさらな 自分自身を 余すところなく
「い き て み た い」
陣風のたより~ 「まなのロンド」 nº 6 ~(2020-12-17 11:07:09)
उप॑ त्वाग्ने दि॒वेदि॑वे॒ दोषा॑वस्तर्धि॒या व॒यम् । नमो॒ भर॑न्त॒ एम॑सि ॥
私の話は 与太話と思ってもらって構わない。
取るに足らない話だ。スキに読むといい。
各々が各自 自由に解釈し 各々の善し悪しで 自儘な評を下す、当たり前だろう。
それが世人 の 常だ。
ソレ故 私は 此のうちなる阿吽
精神 の発現を こころみている。
せいじつに 自らを いきる為
在在所所 に ナルものを こころゑる為に
「私 」 は 此処にいるモノ。
私の話は 与太話と思ってもらって構わない。
取るに足らない話だ。スキに読むといい。
各々が各自 自由に解釈し 各々の善し悪しで 自儘な評を下す、当たり前だろう。
それが
ソレ故 私は 此のうちなる
せいじつに 自らを いきる為
「
烈士は La Porte de l'enfer に立つ ~ 「まなのロンド」 nº 7 ~(2021-01-11 11:07:09)
राज॑न्तमध्व॒राणां॑ गो॒पामृ॒तस्य॒ दीदि॑विम् । वर्ध॑मानं॒ स्वे दमे॑ ॥
『 黒い纏足の諸人を ヨコ一列に正し 並び揃えた 千々の
讖緯を負う わが半身を
ショウウインドウの向こう側で 嗤っている。
じき、アムールにおちのびた ひと群れの霊鳥 が 彼らをみまうだろう。
ヒポコンデリイの量子力学に映える
カーリーのししを喰いに 深層の格子戸を超えてくる。
投影に忍ばせた アイヒマンテスト的 覚醒は どれも苦々しい
みなれた獨 房 の 感傷だ。 』
ショウウインドウの向こう側で 嗤っている。
じき、アムールにおちのびた ひと群れの
ヒポコンデリイの量子力学に映える
カーリーのししを喰いに 深層の格子戸を超えてくる。
投影に忍ばせた アイヒマンテスト的 覚醒は どれも苦々しい
みなれた
てい とう てい とう
テイ トウ テイ トウ
『 おちうおの カントール集合をよんだ。
「ふたなりのうみへ」
エテルニタスに いきかえる
円周には もう はしを渡る先は無く
空間と物体と たおやかな日常が
真っ逆さまに 太古のミトコンドリアに墜ちてゆく。
旅人の夢は くたびれた。
烏兎の幾何を加え、かくなわ 神秘主義的オブジエを肴に
樂句の
て イ と う て イ と う
て い ト う て い ト う
在世の ろあぞぶるう ~ 「まなのロンド」 nº 8 ~(2021-02-07 11:07:09)
前程のあまつひに アンコール ~ 「まなのロンド」 nº 9~(2021-02-20 23:57:09)
長く 生きようが
短く 生きようが みな いずれ死ぬ。
私が 死ぬ。
貴方も 死ぬ。
ここに 生じるものは みな 必ず 死ぬ。なくなるのです。
「なぜ」 この自明 を しんに こころ得ず
ひとの 善悪シコウに乗じ 絶対フヘンを 鵜呑みにできるのか、私には わからない。
いま この私を 生きているのは 「私」 死ぬのも この私
この 生き死にを しんに実感できるのは
「自分 」 しか いません。
स न॑: पि॒तेव॑ सू॒नवेऽग्ने॑ सूपाय॒नो भ॑व । सच॑स्वा नः स्व॒स्तये॑ ॥
स न॑: पि॒तेव॑ सू॒नवेऽग्ने॑ सूपाय॒नो भ॑व । सच॑स्वा नः स्व॒स्तये॑ ॥
誰の「真実」ですか ?
誰の「本当」? 誰のいう「すべて」か?
貴方が この私を いきていますか?
貴方は この私のかわりに いきてくれるのですか?
大本の王仁ごとき モノかたり程度に
「すべて」を シタがわせる 火車来迎の よいヒとビとよ
ひとりひとりの 個性 は 一括りに 出来る
ひとりひとりの 生 は 言葉にデキぬ、言葉に シ続けてもならん
言葉ではない 「い」のちである。
とぅしあまい ないびたん アガリの大主
バテンぬるがすえ
つきしろ イリの尚侍がせるむ
とぅしあまい ないびたん アガリの
バテンぬるがすえ
つきしろ イリの尚侍がせるむ
天淸淨 地淸淨 內外淸淨 六根淸淨と祓給ふ
天淸淨とは 天の七曜󠄁九曜󠄁二十八宿を淸め
地淸淨とは 地の神三十六神を淸め
內外淸淨とは 家內三寳大荒神を淸め
六根淸淨とは 其身體の穢を祓給淸め給ふ事の由を
八百萬の神等諸共に 小男鹿の八の御耳を振立て聞し食と申す
‛ Speak, Lord, for your servant is listening. ’(1Sam.3:9)
てい とう てい とう
テイ トウ テイ トウ
誰が正しく知る者ぞ、
誰が ここに宣言する者ぞ。
この創造は いずこより生じ、いずこより来たれる。
神々は この世界の創造より後なり。
しからば誰か 創造のいずこより起りしかを知る者ぞ。(10.129.6)
サヨウなら。
「イ」がむ 全きアナタの
イイ道 心 通り 「すべて」 かないましょう。
「イ」がむ 全きアナタの
イイ
て イ と う て イ と う
て い ト う て い ト う
この創造はいずこより起こりしや。
そは誰によりて 実行せられたりや、あるいは またしからざりしや、
― 最高天にありて この世界を監視する者のみ 実にこれを知る。
あるいは また知らず。(10.129.7)
Time will tell. アリ難う。 善き ミナ様ガタ
Time is UP. ここに 「イ」られる アナタ様と 私は
「さようなら」と 「い」 たします。
「虹の上をとぶ船」haruka nakamura × 八戸市美術館
✡
✡
महि॑ त्री॒णामवो॑ऽस्तु द्यु॒क्षं मि॒त्रस्या॑र्य॒म्णः । दु॒रा॒धर्षं॒ वरु॑णस्य ॥
न॒हि तेषा॑म॒मा च॒न नाध्व॑सु वार॒णेषु॑ । ईशे॑ रि॒पुर॒घशं॑सः ॥
यस्मै॑ पु॒त्रासो॒ अदि॑ते॒: प्र जी॒वसे॒ मर्त्या॑य । ज्योति॒र्यच्छ॒न्त्यज॑स्रम् ॥
न॒हि तेषा॑म॒मा च॒न नाध्व॑सु वार॒णेषु॑ । ईशे॑ रि॒पुर॒घशं॑सः ॥
यस्मै॑ पु॒त्रासो॒ अदि॑ते॒: प्र जी॒वसे॒ मर्त्या॑य । ज्योति॒र्यच्छ॒न्त्यज॑स्रम् ॥
※文中のサンスクリット語は 「Rig Veda」より
Rig Veda(10.129.6-7)の訳文は 「リグ・ヴェーダ讃歌」辻直四郎(訳)岩波文庫デス♡