詩は なによりもさきに、
人間と人間のあいだの 真の生きた接触というものを、
言葉に もとめてきた。
C・ディ・ルイス(詩人)
人間と人間のあいだの 真の生きた接触というものを、
言葉に もとめてきた。
C・ディ・ルイス(詩人)
言葉なんかおぼえるんじゃなかつた
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかつたか
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかつたか
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかつたら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかつたら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかつた
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたつたひとりで帰つてくる
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかつた
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたつたひとりで帰つてくる
田村隆一「帰途」
谷 山 浩 子 「 王 国 」
救えない いのちを たらふく食った
ぼくたちの言葉は
意味が意味にある世界に 生きるほかなかったから
「どうして生まれてきたの」と問う おのこの頭蓋を食べ
「どうして死ななきゃいけないの」と乞う めのこの心臓を食べた
「どうして ここにいるの」
まだ ここにいる ぼくたちは
食わずには生きてゆけない かなしい天子だったから
貴方につがい
ぼくは「どうか」の言葉を 忘れて
永遠という言葉を 所有した
まっこと大本 よき天国 みろく世がため
ほんとうの愛と
真の幸せを すべて食べ尽さずには イられない
「 ド ウ カ 」
いっぱいのスープを 独り占める 愛よく貪り
ひとかけらのクラッカーをも 捨てさせる 正論に酔う
ばいバイ 神さま 左様なら
次は 真の自己 さまが 食べられる番だよ
「ドウシテ」
シの言葉を 食べつづけた ぼくたちが
かなしい吾子 の「どうして」を 聴 さなかったばっかりに
真の幸せを すべて食べ尽さずには イられない
「 ド ウ カ 」
いっぱいのスープを 独り占める 愛よく貪り
ひとかけらのクラッカーをも 捨てさせる 正論に酔う
ばいバイ 神さま 左様なら
次は 真の
「ドウシテ」
シの言葉を 食べつづけた ぼくたちが
かなしい
Daniil Trifonov - Stravinsky: I. Danse russe (Trois mouvements de Petrouchka)
聖なる愛の言葉より いっぱいのスープを お与え下さい。
矛盾のない正論より ひとかけらのクラッカーを お恵みください。
「 ど う か 」
矛盾のない正論より ひとかけらのクラッカーを お恵みください。
「 ど う か 」
初もののごはんは わくわくするね
♪ ふん ふん ふん
はなうたに あわせ 出刃を握る手も
お鍋の上で 忙しい 菜ばし、おたまも いっしょに
♪ ふん ふん ふん ふん
♪ ふふん ふんふん
新じゃがは
煮くずれないよう
とろ火で ことこと ゆっくりと
優しい やさしい 肉じゃがに なあれ
手早く茹でた 菜っ葉と しめじを
鷹の爪と にんにく
ぴりりと きかせたオリーブオイルで
強火で さっと炒める ぺペロンチーノ風
鷹の爪と にんにく
ぴりりと きかせたオリーブオイルで
強火で さっと炒める ぺペロンチーノ風
しゃきしゃき 歯ごたえの 楽しい
れんこんと にんじんは うちの定番 梅酢のあえものに
あとは・・・・・・
そうそう、
宅配と頂きもので ダブつく 新たまねぎを 食べなきゃ
えーっと たしか
カツオのたたきを 買ったはず
・・・えー ちょっと?!
やだ、なに??? カツオじゃない!
また甘夏 買ってるし、自分
無類のかんきつ好きは 見ると
無意識に レジかごに 入れてやがる。
おそるべし 甘夏の怪。
カツオのたたきは 急遽 サラダに 変更。
わしわしちぎった キャベツに トマト
新たまのスライスを どーんと 山盛り のっけてみた。
・・・うーん
やはり 私のおクチは カツオをご所望だ。
もの足りない。
やぁっぱ たんぱく質だよなあ・・・・・・
しょうがない。
あらみじんの ゆでたまごを
ぱらっと 散らした ミモザサラダで 手を打とう。
30%引きで ゲットしたあさりは
お葱たっぷり おみそ汁。
よーし 出来た!
おいしいごはんは うれしい
おいしくごはんの 食べられる こころと からだは 幸せ。
みんな残さず さあ たあんと めしあがれ。
「いただきます」
しょうがない。
あらみじんの ゆでたまごを
ぱらっと 散らした ミモザサラダで 手を打とう。
30%引きで ゲットしたあさりは
お葱たっぷり おみそ汁。
よーし 出来た!
おいしいごはんは うれしい
おいしくごはんの 食べられる こころと からだは 幸せ。
みんな残さず さあ たあんと めしあがれ。
「いただきます」
打首獄門同好会「ニクタベイコウ!」
うまれて 初めて書いた詩は
たまご焼きの詩だった。
小学3年か 4年頃だったと思う。
日ようの朝
のんびりしたい 母に代わり
ときどき みんなのごはんを作った。
「たまごを焼く」
ただ それだけのことを そのまま 書いた詩だった。
他愛のない こどものつづりが かえって よかったらしい。
たくさんの優秀な子の 作文や詩と並んで
私の詩は 一冊の本に 収められた。
うれしかった。
たまご焼きの詩だった。
小学3年か 4年頃だったと思う。
日ようの朝
のんびりしたい 母に代わり
ときどき みんなのごはんを作った。
「たまごを焼く」
ただ それだけのことを そのまま 書いた詩だった。
他愛のない こどものつづりが かえって よかったらしい。
たくさんの優秀な子の 作文や詩と並んで
私の詩は 一冊の本に 収められた。
うれしかった。
スライスチーズを中に折り込む うちのたまご焼きは とろっとろ。スクランブルエッグもすきー♨
絵を描くのは とくいだったけれど
勉強のほうは 何故だか うまくいかなかった。
ど う し て?
満点を求められる しろい答案用紙の前で
私は よくまごついた。
穴埋めの答えを出したり ○× で 判断するよりも
何故 その答えが 正しいのか
何故 それが ○ で × なのか 私には わからなかった。
ひとの 「正しい」や
「間違い」を 考えなしに 受け入れるのは
「ちがう」「へん」だと おもった。
谷山浩子「そっくり人形展覧会」
「わかる」って 一体 どういう事なんだろう?
何故 正しいが 正しいの?
私は この「ちがう」「へん」が 「何」なのか 知りたかった。
何故 間違いが 間違いになる?
とりとめのない
茫洋の応答を 繰り返しては
私は 時間をわすれて よく宙を仰いで 考えた。
花 間 一 壼 酒
独 酌 無 相 親
挙 杯 邀 明 月
対 影 成 三 人
独 酌 無 相 親
挙 杯 邀 明 月
対 影 成 三 人
ぼんやり呆けている こどもの私を
周りのおとなたちは 知恵おくれのあほうと 思っていたらしい。
無 理 か ら ぬ 事 。
にんげん社会に 役立たぬ 痴人 に
価値がないことくらい もの知らずの子供でも気づく。
生きていくため
私は ここで 役立つ 自分
価値ある 自分 食べていける 自分でなければ いけない、しんでしまう
みな かなしい「自分」という生きものに あると識っているから。
私は ここで 役立つ 自分
価値ある 自分 食べていける 自分でなければ いけない、しんでしまう
みな かなしい「自分」という生きものに あると識っているから。
Beastars OST - " BEASTARS - will - "
立ち止まる。
足をとめると、
聴こえてくる声がある。
空の色のような声がある。
「木のことば、水のことば、
雲のことばが聴こえますか?」
「石のことば、雨のことば、
草のことばを話せますか?」
立ち止まらなければ
ゆけない場所がある。
何もないところにしか
見つけられないものがある。
長田 弘「立ち止まる」
足をとめると、
聴こえてくる声がある。
空の色のような声がある。
「木のことば、水のことば、
雲のことばが聴こえますか?」
「石のことば、雨のことば、
草のことばを話せますか?」
立ち止まらなければ
ゆけない場所がある。
何もないところにしか
見つけられないものがある。
長田 弘「立ち止まる」
ギヨーム・アポリネール「カリグラム」
ゴールデンウィーク中
毎年ひらかれる古書市で また(笑) たくさんの本を買いました。
一期一会と安値に かこつけられる、
薄給サラリーマンに許された 唯一の贅沢です。
今回は 詩人の長田 弘さん、大岡信さんのエッセイ集など
言葉に携わる方たちの本に 恵まれました。
毎年ひらかれる古書市で また(笑) たくさんの本を買いました。
一期一会と安値に かこつけられる、
薄給サラリーマンに許された 唯一の贅沢です。
今回は 詩人の長田 弘さん、大岡信さんのエッセイ集など
言葉に携わる方たちの本に 恵まれました。
詩を書くひとの随想文は
しんせん な 世界を 与えてくれる
しんせん な 世界を 与えてくれる
何度読んでも 読みあきることはない
Cyprien Katsaris - Mozart: Das Butterbrot
「なつかしい」 遠いひの邂逅を 覚える
言葉にならないことば を
すくい取ってくれるような ふしぎな 安心感 が ここちいい。
言葉にならないことば を
すくい取ってくれるような ふしぎな 安心感 が ここちいい。
やわらかな詩作の多い
長田 弘さんの「ふりかえって詩について」という エッセイの文頭
はっと 衝かれる言葉が ございました。
はじめに 疑いありき。
詩を書きはじめた そもそもの最初にあったのは、
言葉というものが 社会でさっぱり 信じられていないということに対する
つよい疑いでした。
あたかも 信じてもいないことをいうのが
言葉というような、そんな言葉のありようへの疑い。
長田 弘さんの「ふりかえって詩について」という エッセイの文頭
はっと 衝かれる言葉が ございました。
はじめに 疑いありき。
詩を書きはじめた そもそもの最初にあったのは、
言葉というものが 社会でさっぱり 信じられていないということに対する
つよい疑いでした。
あたかも 信じてもいないことをいうのが
言葉というような、そんな言葉のありようへの疑い。
・・・・・・まっすぐの言葉。
自分の中に ずっとあった
いましめのような わだかまりが
ゆるゆる 解かれていきます
「 Il y a... 」
ああ。
わたし。そっか。そうだったんだ。
ああ。
わたし。そっか。そうだったんだ。
もの書きの嫌いな
私が 書きものをするようになったのは
長田さんと同じ「言葉のありようへの疑い」が あった・・・・・・
私が 書きものをするようになったのは
長田さんと同じ「言葉のありようへの疑い」が あった・・・・・・
打首獄門同好会「日本の米は世界一」
じゃがいも 菜っ葉
新たま あさりは
自らのいのちの可能性を供され 私に 食べられる
刻まれ
煮られ
焼かれ
蒸された
たべものは 私のいのちを生かし しんでいく
新たま あさりは
自らのいのちの可能性を供され 私に 食べられる
刻まれ
煮られ
焼かれ
蒸された
たべものは 私のいのちを生かし しんでいく
じゃがいも 菜っ葉 新たま あさりは
くたびた私の骨身のかわり 私のからだに 取り込まれる
剥がれ
分たれ
流され
おし出される
私だった骨身は 私のいのちを守り しんでいく
なんて畏 しいことわりだろう。
くたびた私の骨身のかわり 私のからだに 取り込まれる
剥がれ
分たれ
流され
おし出される
私だった骨身は 私のいのちを守り しんでいく
なんて
ウチの肉じゃがは 家庭料理のカリスマ 小林カツ代さんの♡ レシピは「ここ」
そんな「私」という からだのヌシさんは
からだを 痛めつける 甘やかすの 好き放題。
からだを 痛めつける 甘やかすの 好き放題。
「 私」が こんなにくるしいのは
ぜんぶ からだのせい
ぜんぶ 自我のせい
ぜんぶ マインド
ぜんぶ 病気のせいだ。
ほんとうの私は
しんの私は 穢れなき 無辜の天子。愛なんだ。
からだは 私の所有
意のままに 扱える 私の具足 だ。
私は神。 神だけがいる。
神だけがある。
私は神。 私が神だ。神なんだ。
なんて 卑しい モノのケだ。
からだは 私の
意のままに 扱える 私の
私は神。 神だけがいる。
神だけがある。
私は神。 私が神だ。神なんだ。
なんて 卑しい モノのケだ。
谷山浩子「ウミガメスープ」
ものごとの「そのもの」を扱う
スピリチュアル・精神世界に 関わるひとの言葉に
私は その言葉通りの 愛だとか
こころ、いのち、精神そのものが 感じられませんでした。
なにかが 「ちがう」「へん」
上っつらの言葉
だれかのコピー デキあいの言葉
上手に つかえる イかす言葉 ウリ言葉に カイ言葉
綺麗キレイな
「いい」自分を
「よく」ミセるため、 人ではない モノ が よく使う
ソレは ひ と 食 い の言葉
たくさんのひとを集めて ひとを食うためのモノ
何故だか ここは
そのような ひと食い言葉が「よい」「正しい」と
見なされる言霊 で 溢れかえっている。
「 ど う し て 」
私は そんな言葉のありようへの疑い を
自分なりに 深めたく ここで もの書きを し出したんです。
たくさんのひとを集めて ひとを食うためのモノ
何故だか ここは
そのような ひと食い言葉が「よい」「正しい」と
見なされる
「 ど う し て 」
私は そんな
自分なりに 深めたく ここで もの書きを し出したんです。
実写版PV『 極主夫道 』
・・・いまでは、複雑な人間の環境によって
人間の心理的な発展は追いこされてしまい、ものをつくる人間の主体が、
逆に 人間自身のつくったものの 精巧さによって壊されている。
社会的単位というものが 厖大なおおきさにまでふくらんで、
一個人の 他の人びとに対する 真の接触が不可能になってしまっている。
「みな同じ」言葉 「みな同じ」思考
「みな同じ」思想 「みな同じ」主義主張
人間の心理的な発展は追いこされてしまい、ものをつくる人間の主体が、
逆に 人間自身のつくったものの 精巧さによって壊されている。
社会的単位というものが 厖大なおおきさにまでふくらんで、
一個人の 他の人びとに対する 真の接触が不可能になってしまっている。
「みな同じ」言葉 「みな同じ」思考
「みな同じ」思想 「みな同じ」主義主張
ネット上の スピ・精神世界カテにいると
自分が 自分で なくなっていく
ひとが ひとで なくなってしまうように 私は 観じていた。
どこを見ても
食い 食われ 食わされる イイ言葉 ばかり
食っても 食っても
満たされることのない ヨイ
「みな同じ」顔
「みな同じ」好い
「みな同じ」ひとつ
これが 彼が言った 魂の離れた「からだ」
みな「同じ」になる 複製ブツ いのちを 食べられてしまった
「みな同じ」好い
「みな同じ」ひとつ
これが 彼が言った 魂の離れた「からだ」
みな「同じ」になる 複製ブツ いのちを 食べられてしまった
貴方は ある 「
顔出ししている
殆んどの スピ・精神世界関係者の目は かんばしくない。
ぞっとする 異様な目つきをしている。 とり憑かれているのか
人相学でいうところの 車輪眼 獣眼という 邪視に 近い目だ。
殆んどの スピ・精神世界関係者の目は かんばしくない。
ぞっとする 異様な目つきをしている。 とり憑かれているのか
人相学でいうところの 車輪眼 獣眼という 邪視に 近い目だ。
八竜会の婦人達 | 極主夫道 シーズン2 |
スピ・精神世界歴ウン十年を称する
ベテランを よく見かけるが
彼らの弁舌から 硬直化した 腐敗臭 がするのは 私だけだろうか。
ベテランを よく見かけるが
彼らの弁舌から 硬直化した 腐敗臭 がするのは 私だけだろうか。
前回指摘した 言語(日本語)の特性に 無頓着であるばかりか
字面ばかり追いすぎる 自説や 見解、
文法・レトリック、ロジックいずれも 難が多い。
言葉にセンスのない 行間は よどみ
まるで スラム街、ゴミ屋敷のごとき アリ様
呪 詛 と いってよい、まことに ずさんな文体である。
龍さん、ヨガにトライ | 極主夫道 |
愛だの 超越だの ポジティブシンキングだの
美辞麗句を語れば 言葉通り 自分も 相手もすべて 「清く 正しく 美しい」と アイ成る、
ヨイ道理が 全てに通じるのは 一体 どういうコトか?
感覚や 体験を 重視するならば
「いつも言っているような」同じ表現形態 で 理解しあえる
なまけアイ、なれアイの感性は いかがなモノであろう?
美辞麗句を語れば 言葉通り 自分も 相手もすべて 「清く 正しく 美しい」と アイ成る、
ヨイ道理が 全てに通じるのは 一体 どういうコトか?
感覚や 体験を 重視するならば
「いつも言っているような」同じ
なまけアイ、なれアイの感性は いかがなモノであろう?
ここによく居る連中の背景、
周囲のフォロワー つながるモノたちにある
共通の 「因果」 カンケイを よく見よう
同じモノは 同じモノを 引き寄せるという お馴染みの「アレ」
同じもの 同じレベルのモノは
同じもの 同じレベルのモノゴトしか 知覚しないという
「結果 」と イえないか。
周囲のフォロワー つながるモノたちにある
共通の 「因果」 カンケイを よく見よう
同じモノは 同じモノを 引き寄せるという お馴染みの「アレ」
同じもの 同じレベルのモノは
同じもの 同じレベルのモノゴトしか 知覚しないという
「
龍が アクティビティに挑戦 | 極主夫道 シーズン2 |
同じもの 同じレベルのモノでないと
わからない、受け入れられない心理的盲点 だ。
わからない、受け入れられない
認識、言語のあり様から 「当事者の世界観」と 「その死角」がわかる。
いい変えれば、それは 「ひととしての器」
「精神レベル」「当事者のなかミ」を 剥き出しにする
非情な
これで 全て 理解できるわけではないが
大まかな傾向や 全体像が 把握できる。
それゆえ 斯様なモノによる
いい事も 悪い事も 私は 素直に喜べない。どうしたものかと考える。
同じモノ同志の「全て」「ある」「なし」のイイ繋がりだ。
我々が 集う インターネットは
AI、アルゴリズム下に あり、秘匿性も高い
自分の欲求が 容易にかなう
ここは 実に 便利な ゲンジツ世界 だ。
だからこそ、
関係するものの「人間性」や「物事の本質」を
ただしく見極めなければ いのち取りになる。
器の小さい半端者など 出始めはいいが、
規模が拡大するにつれ 自他のコントロールが 効かなくなっていく。
(双極性障害に近い 極端な言動に走りやすい等々)
同じ(ひと)(もの)(こと)に イつづけると
共通の業や 因縁が イジョウに 強化されてしまうトコロらしい。
みな「同じ」
かわり映えのない メンバー構成を 見る限り
「生かさず殺さず」
対処療法的テクニックで ヘビーユーザーをつくる
おおかたが 同じモノ同志だけの コミュニティサロンだろう。
ずっとここで
都合のよい 全き 「自分」で イられる。
関係する者 みな「同じ」
ヨイ(ひと)(もの)(こと)を えんえん 貪り続けて
タベラレル。
かわり映えのない メンバー構成を 見る限り
「生かさず殺さず」
対処療法的テクニックで ヘビーユーザーをつくる
おおかたが 同じモノ同志だけの コミュニティサロンだろう。
ずっとここで
都合のよい 全き 「自分」で イられる。
関係する者 みな「同じ」
ヨイ(ひと)(もの)(こと)を えんえん 貪り続けて
タベラレル。
みな同じ ひとつの
共同体 の「カミ」に 喰われてゆく
まさに 「 あ り 」 地獄の様相である。
私は 自他の言葉を 盲信する
おメデタイ人間に 深入りするつもりはない。
ジ カ ン が な い。
まさに 「 あ り 」 地獄の様相である。
私は 自他の言葉を 盲信する
おメデタイ人間に 深入りするつもりはない。
ジ カ ン が な い。
時代の転換期にある。
良くも悪くも 存在構造の 底辺が 揺らいでいる。
「イイ」の大本、根本、根源、一者、神「ジタイ」が 狂った反映だ。
その反動エネルギーが
ハケぐちを求めて 暴発しかねない状況、コレは
ワレわれ自ら ここで ヨイ選択をしつづけた結果 の転写である。
良くも悪くも 存在構造の 底辺が 揺らいでいる。
「イイ」の大本、根本、根源、一者、神「ジタイ」が 狂った反映だ。
その反動エネルギーが
ハケぐちを求めて 暴発しかねない状況、コレは
ワレわれ自ら ここで ヨイ選択をしつづけた
谷山浩子「COTTON COLOR」
食わずには生きてゆけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばっている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙。
石垣りん「くらし」
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばっている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙。
石垣りん「くらし」
あと どれくらい
人が人として いきられる
ふれ合いの時間が 人類に 残されているでしょう。
食わずには 生きてゆけない「私」たちです。
このブログを 立ち上げる前
今まで得てきたものごとを 共有できればと 思っておりました。
ですが、逆に イイように 使われてしまう。
極に ゲキ化しやすい。
面倒な業、さまざまな因縁が 執拗に 絡む・・・・・・
みな 自分で まいた タネ が ありますから。
人が人として いきられる
ふれ合いの時間が 人類に 残されているでしょう。
食わずには 生きてゆけない「私」たちです。
このブログを 立ち上げる前
今まで得てきたものごとを 共有できればと 思っておりました。
ですが、逆に イイように 使われてしまう。
極に ゲキ化しやすい。
面倒な業、さまざまな因縁が 執拗に 絡む・・・・・・
みな 自分で まいた タネ が ありますから。
「ひと」として 生きて死ぬ
そんな 当たり前なことすら
とても むつかしくなってしまいました。
私たちは 「すべて」を 見縊りすぎた。
すこしでも いきる可能性を 広げたいなら
スピリチュアル、精神世界から 一切 手を引いたほうが よいでしょう。
ただしい答えは
貴方 の こころと からだの違和が 教えてくれますよ。
そんな 当たり前なことすら
とても むつかしくなってしまいました。
私たちは 「すべて」を 見縊りすぎた。
すこしでも いきる可能性を 広げたいなら
スピリチュアル、精神世界から 一切 手を引いたほうが よいでしょう。
ただしい答えは
書くということは、
じぶんを 信じるということとは ちがうとおもう。
じぶんを 信じきれないことに 耐えるしかないことだとおもう。
書くまえにわかってることを 書こうとは おもわないんです。
書き終えてはじめて、このことをこんなふうに書きたかったんだと
じぶんで 発見できるような書きかたを、わたしは じぶんに持したい。
言葉の問題 同様
この仮想現実空間 の
0と1なる 陥穽は 想像以上に 厄介なシロモノ
それ故のゲンザイを 私は 痛感いたしました。
じぶんを 信じるということとは ちがうとおもう。
じぶんを 信じきれないことに 耐えるしかないことだとおもう。
書くまえにわかってることを 書こうとは おもわないんです。
書き終えてはじめて、このことをこんなふうに書きたかったんだと
じぶんで 発見できるような書きかたを、わたしは じぶんに持したい。
言葉の問題 同様
この
0と1なる 陥穽は 想像以上に 厄介なシロモノ
それ故のゲンザイを 私は 痛感いたしました。
コトは 一気に 起こる。
核戦争、人類滅亡など 生ぬるい。
カワイイものです。
存在と現象のことわりを犯した
にんげんの時空間は ますます イジョウに極まり
ゆるされた スベテと 引き換えに
「ある」も「ない」も 全て ゆるされない チに処される
いまのまま 死んだら終わり。
本当に「すべて」終わり。
核戦争、人類滅亡など 生ぬるい。
カワイイものです。
存在と現象のことわりを犯した
にんげんの時空間は ますます イジョウに極まり
ゆるされた スベテと 引き換えに
「ある」も「ない」も 全て ゆるされない チに処される
いまのまま 死んだら終わり。
本当に「すべて」終わり。
まわる
まわれ
まわれよ いのちのケーレ
こころとからだ
ちがうありよう みずからをあらしめる
不思議な ハルモニア
わかっているでしょう?
よくワカっているから
貴方は スピリチュアル、精神世界に
まわれ
まわれよ いのちのケーレ
こころとからだ
ちがうありよう みずからをあらしめる
不思議な ハルモニア
わかっているでしょう?
よくワカっているから
貴方は スピリチュアル、精神世界に
ふかく関与する アナタで イ続けてイル。
次 が 「な い」 から
まわる
まわれ
まわれよ いのちのケーレ
いきて しぬは
しらない何かが 自らをあらしめす
みな ときのムジカ
ショウテンに 近い
ここは シタイを 喰い漁るには ちょうど よい
まわれ
まわれよ いのちのケーレ
いきて しぬは
しらない何かが 自らをあらしめす
みな ときのムジカ
ショウテンに 近い
ここは シタイを 喰い漁るには ちょうど よい
ワレワレに 与えられた
「最後の晩餐」ですから。
人と人のあいだにある
ほんとうの「自分たちの居どころ」をつかむ。
それが、わたしの考える 言葉のなす仕事ですね。
詩の言葉は それは友人たりうるかという反問に、こたえられないまでも
耐えることができなければ、誰にとっても ただのどうでもいい言葉でしかない、
とおもうのです。
自分なりの おおよその流れと 対処法は 掴んだ。
最近 ブログにかける
時間や エネルギーを 少しずつだが
減らすよう 心がけている。
ほんとうの「自分たちの居どころ」をつかむ。
それが、わたしの考える 言葉のなす仕事ですね。
詩の言葉は それは友人たりうるかという反問に、こたえられないまでも
耐えることができなければ、誰にとっても ただのどうでもいい言葉でしかない、
とおもうのです。
自分なりの おおよその流れと 対処法は 掴んだ。
最近 ブログにかける
時間や エネルギーを 少しずつだが
減らすよう 心がけている。
既に 臨界域に達している状況で
どこまで 持ち堪えられるか わからない。
私は 儚い「いま」を
おもい遺すことなく 慈しみ
限りある自分を 少しでも ながくいきるつもりだ。
それが 今生に対する
「私」のつとめであり いちばんの幸いであると わたしはおもう。
詩を書くことを択んだ 長田弘さんのように
私は「その言葉をそのとき よく生きられたなら、それでいい。」
どこまで 持ち堪えられるか わからない。
私は 儚い「いま」を
おもい遺すことなく 慈しみ
限りある自分を 少しでも ながくいきるつもりだ。
それが 今生に対する
「私」のつとめであり いちばんの幸いであると わたしはおもう。
詩を書くことを択んだ 長田弘さんのように
私は「その言葉をそのとき よく生きられたなら、それでいい。」
家のない者、真に貧しい心だけが
自分たちの居どころを 正確に知っているようだ。 W・H オーディン
ここ数年 まいにちが いっぱいいっぱいで
食べること、寝ること 日々の生活を 私は ずいぶん 疎かにしておりました。
古書市で買った 猫のイラストがかわいい
中西なちおさんの「旅するレストラン トラネコボンボンのお弁当」に 触発され
まいにちの おいしい ごはんづくりに 精をだしております。
ながくお世話になっている
埼玉の農家さんから 珍しい みょうがたけが 届けられ
やわらかい部分を刻んで もろみと和え 冷ややっこに乗っけて お酒のつまみにしました。
日に日に おてんとさまが 元気になっていきますね。
そろそろ 衣替え。
夏ぶとんを 準備しなきゃ。
ゴールデンウィーク中に蒔いた
ベランダの朝顔とヒマワリの芽が すくすく伸びています。
毎朝の水やりが 楽しい。
しじんさんちの紫陽花も 色づきはじめたかな。
ミョウガを食って、忘れたいって言ってた
お庭のみょうがたけも たぶん今 いっぱい生えてるね。
わたしは スピリチュアルや 精神世界に 献身するより
石垣りんさんの「くらし」のような
詩ごころある 自分のくらしを 大切にしたい。
獣の涙 を 流せる ただの人間を 「私」精一杯 いきていきます。
ベランダの朝顔とヒマワリの芽が すくすく伸びています。
毎朝の水やりが 楽しい。
しじんさんちの紫陽花も 色づきはじめたかな。
ミョウガを食って、忘れたいって言ってた
お庭のみょうがたけも たぶん今 いっぱい生えてるね。
わたしは スピリチュアルや 精神世界に 献身するより
石垣りんさんの「くらし」のような
詩ごころある 自分のくらしを 大切にしたい。
獣の涙 を 流せる ただの人間を 「私」精一杯 いきていきます。
Rebuild of Evangelion - Beautiful World - Utada Hikaru -
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう。 長 田 弘
うつくしいものをうつくしいと言おう。 長 田 弘
橙字は 長田弘 「笑う詩人」人文書院より「ふりかえって詩について」
桃字は 2015年次 My ACIM homeworks「風味絶佳」(2017-4-21 公開:現在クローズ)を 加筆編集いたしました♨