これも去年の秋のことだが・・・
午前中あいちのたてもの博覧会で滝学園、瀧会館に行ったあと、午後から亀山へ移動し、友人がSNSに上げていた
旧舘家住宅を見に行ってきた。
台風の影響はどうかと少し心配していたが特に被害はなかったようで、通常通り開館していた。
東海道に面した、風格ある蔵付きの町家。目の細かい格子が洗練された印象。
同じ町内にある舘本家の6代目が分家した家で、屋号は本家と同じ枡屋。呉服商を営み、地主でもあった。
大正末期には舘家は津に本拠を移したが、明治学院大学の名誉教授にまでなられた3代目のご当主は
2005(平成17)年に亡くなるまでこの家の保存に腐心されていたという。
その後亀山市に寄贈され保存修理工事を経て、現在は亀山市有形文化財、亀山市歴史的風致形成建造物の指定も受け
土日に一般公開されている。
台風は去ったものの雨がそぼ降る中、それほどメジャーでもない亀山宿に観光に来ている人は誰もおらず、舘家も貸切状態。
私たちは案内の係の方にちょっと不審に(?)思われているかもしれないと、タイルを見に来たんです、とまず説明(笑)。
ちょっと会話した後、まずはタイルを。。。「ここです」と通り土間に面した小さな木のドアを開けて下さった、
その中を覗くと、、、うわぁ~っ!これだ!
モルタルで埋め込まれた五右衛門風呂のまわりに、青磁のレリーフタイルと、小さな丸や月や桜の花型の手描きの
染付タイルがたくさん貼られている!すごい!五右衛門風呂に浸かると、ぐるりとタイルに囲まれるわけだ。
視界はタイルだらけ、、、なんと贅沢なお風呂だろうか!
青磁のレリーフタイルは、瀬戸の磁器タイルだろう。
この鎖のような模様は見覚えがある。本業タイルのオリジナルデザインを募集した図案帖の中から唯一商品化された
デザインだったはず。図案帖と、銅版転写の本業タイルが、モザミューの敷瓦の世界展でも展示されていた。
同じデザインで磁器タイルも作られていたとは。
これは約18cm、6寸角だが、銅版転写バージョンは8寸角?もう少し大きかったような気がするが・・・
係の方の説明では、明治6年にこの家が建てられた当時からのものとのことだったが、このタイルは明治初期では
ないはず。せいぜい明治後期~大正初期ぐらいと思うが。。。
帰ってから確認すると、瀬戸陶磁工商同業組合による図案帖は1904(明治37)年に作られていた。
図案帖の中から製品化するものを選定し、銅版を製作し、そのデザインの銅版転写タイルが実際に商品として販売
されたのは、早くても翌年ぐらいではないか?そして同デザインの磁器タイルが作られたのはそれよりもさらに
後であることは間違いないだろうと思う。
後日瀬戸蔵ミュージアムの武藤さんに写真を見せて尋ねたところ、この図案集のデザインで磁器タイルが作られたと
いうのはこれまで記録がなく、とても貴重な事例だということだった。
そしてこの小さな染付タイルが面白い。直径8cm前後で、花や月などをかたどった形象タイル。型抜きしたように
きれいに揃った形。真っ白でつるっとした肌は磁器っぽいな。絵はだいたい同じようだが手描きなので皆違う。
これを、青磁の正方形タイルの隙間を埋めるように散らしてあるのだ。
実は、これに似たタイルを知っていたので、友人のSNSの写真を見た時に速攻で行くことを決めたのだった。
実物を見るとやはりよく似ている。
こちらも武藤さんに尋ねたところ、瀬戸の磁器製だと思われるとのこと。絵が少し粗いので大正かもしれないと。
いや~素晴らしすぎる!もうずっとこの五右衛門風呂に浸かっていたい(笑)
焚口が土間に面しているのもまたちょっと変わっているな。
そして、タイルだけでなく建物も素晴らしい。
元呉服商だったという舘家。通り土間の右側に居室が並ぶが、土間の左側の、現在事務室になっている部屋が
使用人の部屋であった。居室側は全て夜は戸を立てて閉めていたとか。通り土間は外扱いだったのだ。
土間には台所があったはずだがかまどはなくなっており、代わりにタイル張りの水場があった。こちらのタイルも
結構古そうだし網代に貼られているのも珍しいな!
そしてその奥には、茶室があった。
面白い場所に入口があるので、茶室はあとから増築された感じがする。
本格的な茶室で、暗い色の砂壁の下方に和紙が貼られている。和紙を貼るのは着物の裾が汚れないようにという
ことを、茶道の素養のない私は、初めて知った(汗)。なるほど。
皮つきの丸木や竹を多用している。
にじり口を開けると、飛び石が配され手水も見える。通りに面した木戸からここを通ってお客さんがアクセスする。
途中には待合も設けられている。
後で庭から見た茶室。
続く。
午前中あいちのたてもの博覧会で滝学園、瀧会館に行ったあと、午後から亀山へ移動し、友人がSNSに上げていた
旧舘家住宅を見に行ってきた。
台風の影響はどうかと少し心配していたが特に被害はなかったようで、通常通り開館していた。
東海道に面した、風格ある蔵付きの町家。目の細かい格子が洗練された印象。
同じ町内にある舘本家の6代目が分家した家で、屋号は本家と同じ枡屋。呉服商を営み、地主でもあった。
大正末期には舘家は津に本拠を移したが、明治学院大学の名誉教授にまでなられた3代目のご当主は
2005(平成17)年に亡くなるまでこの家の保存に腐心されていたという。
その後亀山市に寄贈され保存修理工事を経て、現在は亀山市有形文化財、亀山市歴史的風致形成建造物の指定も受け
土日に一般公開されている。
台風は去ったものの雨がそぼ降る中、それほどメジャーでもない亀山宿に観光に来ている人は誰もおらず、舘家も貸切状態。
私たちは案内の係の方にちょっと不審に(?)思われているかもしれないと、タイルを見に来たんです、とまず説明(笑)。
ちょっと会話した後、まずはタイルを。。。「ここです」と通り土間に面した小さな木のドアを開けて下さった、
その中を覗くと、、、うわぁ~っ!これだ!
モルタルで埋め込まれた五右衛門風呂のまわりに、青磁のレリーフタイルと、小さな丸や月や桜の花型の手描きの
染付タイルがたくさん貼られている!すごい!五右衛門風呂に浸かると、ぐるりとタイルに囲まれるわけだ。
視界はタイルだらけ、、、なんと贅沢なお風呂だろうか!
青磁のレリーフタイルは、瀬戸の磁器タイルだろう。
この鎖のような模様は見覚えがある。本業タイルのオリジナルデザインを募集した図案帖の中から唯一商品化された
デザインだったはず。図案帖と、銅版転写の本業タイルが、モザミューの敷瓦の世界展でも展示されていた。
同じデザインで磁器タイルも作られていたとは。
これは約18cm、6寸角だが、銅版転写バージョンは8寸角?もう少し大きかったような気がするが・・・
係の方の説明では、明治6年にこの家が建てられた当時からのものとのことだったが、このタイルは明治初期では
ないはず。せいぜい明治後期~大正初期ぐらいと思うが。。。
帰ってから確認すると、瀬戸陶磁工商同業組合による図案帖は1904(明治37)年に作られていた。
図案帖の中から製品化するものを選定し、銅版を製作し、そのデザインの銅版転写タイルが実際に商品として販売
されたのは、早くても翌年ぐらいではないか?そして同デザインの磁器タイルが作られたのはそれよりもさらに
後であることは間違いないだろうと思う。
後日瀬戸蔵ミュージアムの武藤さんに写真を見せて尋ねたところ、この図案集のデザインで磁器タイルが作られたと
いうのはこれまで記録がなく、とても貴重な事例だということだった。
そしてこの小さな染付タイルが面白い。直径8cm前後で、花や月などをかたどった形象タイル。型抜きしたように
きれいに揃った形。真っ白でつるっとした肌は磁器っぽいな。絵はだいたい同じようだが手描きなので皆違う。
これを、青磁の正方形タイルの隙間を埋めるように散らしてあるのだ。
実は、これに似たタイルを知っていたので、友人のSNSの写真を見た時に速攻で行くことを決めたのだった。
実物を見るとやはりよく似ている。
こちらも武藤さんに尋ねたところ、瀬戸の磁器製だと思われるとのこと。絵が少し粗いので大正かもしれないと。
いや~素晴らしすぎる!もうずっとこの五右衛門風呂に浸かっていたい(笑)
焚口が土間に面しているのもまたちょっと変わっているな。
そして、タイルだけでなく建物も素晴らしい。
元呉服商だったという舘家。通り土間の右側に居室が並ぶが、土間の左側の、現在事務室になっている部屋が
使用人の部屋であった。居室側は全て夜は戸を立てて閉めていたとか。通り土間は外扱いだったのだ。
土間には台所があったはずだがかまどはなくなっており、代わりにタイル張りの水場があった。こちらのタイルも
結構古そうだし網代に貼られているのも珍しいな!
そしてその奥には、茶室があった。
面白い場所に入口があるので、茶室はあとから増築された感じがする。
本格的な茶室で、暗い色の砂壁の下方に和紙が貼られている。和紙を貼るのは着物の裾が汚れないようにという
ことを、茶道の素養のない私は、初めて知った(汗)。なるほど。
皮つきの丸木や竹を多用している。
にじり口を開けると、飛び石が配され手水も見える。通りに面した木戸からここを通ってお客さんがアクセスする。
途中には待合も設けられている。
後で庭から見た茶室。
続く。
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