下田の続き。
下田のなまこ壁の町家はだいたいが江戸時代から明治、大正時代に建てられたものだが、昭和なまちなみも残っていて
タイルもちらほらあって楽しめる。
現役の理容・美容院、青島さんのファサードはおしゃれ!ドアがふたつあってお風呂屋みたいだが(笑)
美容院と理容院の入口を分けているのだろう。法律で定められているのかも。
ふたつの入口に挟まれた1階の中央の壁にデザインタイルが配されている。二階の窓の手すりも効いているな!
この日はお休みのようだったが、シャッター半開きの入口ドアから中を覗くと、中にもタイルが使われていた。
変わった色・柄、エキゾチックな雰囲気を醸し出している。
ここは旅館か何かだったのかな?モザイクタイル貼りの腰壁が。
その向かいには、私の好きなタイル。深い緑色の透明釉がかかっていて一部水色の差し色。酸化と還元の具合だろう。
このタイル、透明度が高すぎて正面から撮ると鏡のように自分の姿が映り込んでしまい、いつも撮るのに苦労するのだ。。。
さっき目を付けていた昭和湯が開店している。まぁだいたい目ぼしいところは歩いたので、汗を流して帰ろう。
昭和湯は名前の通り、昭和のタイル貼りの純粋なまちのお風呂屋さん。
下田の古いまちなみエリアは観光地だが生活の場でもある。すでに近所の常連のお客がちらほら入りに来ていた。
昼っぱらから湯船につかる贅沢。。。
汗を流した後はお茶でも飲んでゆっくりするか。平野屋にしようと決めて行ってみると・・・改修中のため休み。
えぇ~そんな・・・(涙)
入口の脇に「欠乏所跡」という石碑が建っている。
「欠乏所」とは変な名前だが、要は、入港してくる船に薪・水・食糧・石炭などを売る補給基地のような場所だった。
さらに、航海のための必需品だけでなく、反物や瀬戸物、工芸品などいろんなものが「必要な品物」として売られ、
幕府が貿易を禁じる時代にあって、実質的な貿易拠点となっていたという。
足場が組まれ外壁がシートに覆われているが、ちょっと近くまで行ってみよう。
・・・おや、このなまこ壁、どう見ても正方形じゃないぞ。中央あたりの目地のラインが左上へ行くほど広がっているし
右下あたりも幅が違っている。
これは伊豆大島の旧甚の丸邸で見た30度のなまこ壁の類・・・ではなく、墨を打ち間違えたな!?
よく手描きで平行線を引くとき、途中で目盛りを見間違えて狂ってしまう、あのパターンだ。
しかし仕上げてしまうまで途中で気づかなかったのだろうか。まさかわざと・・・ってこんな微妙な??
これが元からなのか、改修して復旧したときのものなのかは分からないが、元がこのようになっていてそれを
忠実に再現した・・・なんて考えにくいので、改修時に起こったことだろう。面白いからそのままでOK(笑)
しかし結局、水平と四半貼り以外の角度のなまこ壁は下田では見当たらなかった。
ところで、現在カフェレストランになっているこのなまこ壁の建物は、それ自体が欠乏所だったものか、それとも跡地に
建てられたものなのか?下田市の公式サイトでは「現在はカフェに」と何だかあいまいな書き方。。。
欠乏所の建物は1854(安政元)年の安政東海地震の津波被害後の復興でこの地に新築されたものであり、
1859(安政6)年、神奈川、長崎、 函館の開港に伴い、下田港での貿易が終了し廃止された。
跡地に建てられたのなら1859年以降だし、欠乏所の建物だったとしても1855年。「江戸中期の建物」
「250年前のなまこ壁」というのは矛盾する。ネット上にあった当時の欠乏所の模型の写真(平野屋の中にあるらしい)
を見るとなまこ壁ではないし、屋根の形も明らかに違う。。しかし廃止されたからと言ってすぐ更地にするとも思えない。
これらのことから考えるに、欠乏所の跡地に後年、江戸中期築のなまこ壁民家を持ってきて移築した、というのが妥当か。
平野屋に入れたら真実がわかったかもしれないが。。。
平野屋に振られたのでペリーロードへ戻り、風待ちに入ることに。もう長年やっているのだろう、雑貨も売られ
楽器などが置いてあったり。遊廓建築だそうだがそんな雰囲気はもうない。
奥には蔵もあった。絵や骨とう品などいろいろ飾られていて、アートな雰囲気。
クリームソーダを頂く。てんこ盛りのアイスクリームがおいしい~~
二階のことをご主人に尋ねてみたが公開していないとのことだった。やはりあのおしゃれな窓に目を留める人は多く、
公開できるように整備したいと言っておられたので、今後に期待!
さぁそろそろ駅へ向かおう。
通りがかりに見ることができた下田簡易裁判所のエントランスの渋いタイル。プレートの下だけ1/4サイズの
タイルを貼ってあるのがクールだねぇ!
蛇紋岩の乱積み、初めて見た。
住宅地の奥にあった日本キリスト教団下田教会。
ペパーミント色に塗られた壁と赤いとんがり屋根。絵本に出てきそうなかわいらしい教会だった。
まちの向こうに見える山は木々の間から岩肌が露出している。山全体が伊豆石でできているのだろう。
伊豆急下田駅は地上の終着駅。伊東へ、そしてJRで都内へ。。。普通電車で4時間近くかかるけど、爆睡あるのみ(笑)
暮れゆく海。
列車の予約もなく思いついたらふらっと行けるっていいなぁ。西伊豆の方にもまた行ってみたい。
終わり。
下田のなまこ壁の町家はだいたいが江戸時代から明治、大正時代に建てられたものだが、昭和なまちなみも残っていて
タイルもちらほらあって楽しめる。
現役の理容・美容院、青島さんのファサードはおしゃれ!ドアがふたつあってお風呂屋みたいだが(笑)
美容院と理容院の入口を分けているのだろう。法律で定められているのかも。
ふたつの入口に挟まれた1階の中央の壁にデザインタイルが配されている。二階の窓の手すりも効いているな!
この日はお休みのようだったが、シャッター半開きの入口ドアから中を覗くと、中にもタイルが使われていた。
変わった色・柄、エキゾチックな雰囲気を醸し出している。
ここは旅館か何かだったのかな?モザイクタイル貼りの腰壁が。
その向かいには、私の好きなタイル。深い緑色の透明釉がかかっていて一部水色の差し色。酸化と還元の具合だろう。
このタイル、透明度が高すぎて正面から撮ると鏡のように自分の姿が映り込んでしまい、いつも撮るのに苦労するのだ。。。
さっき目を付けていた昭和湯が開店している。まぁだいたい目ぼしいところは歩いたので、汗を流して帰ろう。
昭和湯は名前の通り、昭和のタイル貼りの純粋なまちのお風呂屋さん。
下田の古いまちなみエリアは観光地だが生活の場でもある。すでに近所の常連のお客がちらほら入りに来ていた。
昼っぱらから湯船につかる贅沢。。。
汗を流した後はお茶でも飲んでゆっくりするか。平野屋にしようと決めて行ってみると・・・改修中のため休み。
えぇ~そんな・・・(涙)
入口の脇に「欠乏所跡」という石碑が建っている。
「欠乏所」とは変な名前だが、要は、入港してくる船に薪・水・食糧・石炭などを売る補給基地のような場所だった。
さらに、航海のための必需品だけでなく、反物や瀬戸物、工芸品などいろんなものが「必要な品物」として売られ、
幕府が貿易を禁じる時代にあって、実質的な貿易拠点となっていたという。
足場が組まれ外壁がシートに覆われているが、ちょっと近くまで行ってみよう。
・・・おや、このなまこ壁、どう見ても正方形じゃないぞ。中央あたりの目地のラインが左上へ行くほど広がっているし
右下あたりも幅が違っている。
これは伊豆大島の旧甚の丸邸で見た30度のなまこ壁の類・・・ではなく、墨を打ち間違えたな!?
よく手描きで平行線を引くとき、途中で目盛りを見間違えて狂ってしまう、あのパターンだ。
しかし仕上げてしまうまで途中で気づかなかったのだろうか。まさかわざと・・・ってこんな微妙な??
これが元からなのか、改修して復旧したときのものなのかは分からないが、元がこのようになっていてそれを
忠実に再現した・・・なんて考えにくいので、改修時に起こったことだろう。面白いからそのままでOK(笑)
しかし結局、水平と四半貼り以外の角度のなまこ壁は下田では見当たらなかった。
ところで、現在カフェレストランになっているこのなまこ壁の建物は、それ自体が欠乏所だったものか、それとも跡地に
建てられたものなのか?下田市の公式サイトでは「現在はカフェに」と何だかあいまいな書き方。。。
欠乏所の建物は1854(安政元)年の安政東海地震の津波被害後の復興でこの地に新築されたものであり、
1859(安政6)年、神奈川、長崎、 函館の開港に伴い、下田港での貿易が終了し廃止された。
跡地に建てられたのなら1859年以降だし、欠乏所の建物だったとしても1855年。「江戸中期の建物」
「250年前のなまこ壁」というのは矛盾する。ネット上にあった当時の欠乏所の模型の写真(平野屋の中にあるらしい)
を見るとなまこ壁ではないし、屋根の形も明らかに違う。。しかし廃止されたからと言ってすぐ更地にするとも思えない。
これらのことから考えるに、欠乏所の跡地に後年、江戸中期築のなまこ壁民家を持ってきて移築した、というのが妥当か。
平野屋に入れたら真実がわかったかもしれないが。。。
平野屋に振られたのでペリーロードへ戻り、風待ちに入ることに。もう長年やっているのだろう、雑貨も売られ
楽器などが置いてあったり。遊廓建築だそうだがそんな雰囲気はもうない。
奥には蔵もあった。絵や骨とう品などいろいろ飾られていて、アートな雰囲気。
クリームソーダを頂く。てんこ盛りのアイスクリームがおいしい~~
二階のことをご主人に尋ねてみたが公開していないとのことだった。やはりあのおしゃれな窓に目を留める人は多く、
公開できるように整備したいと言っておられたので、今後に期待!
さぁそろそろ駅へ向かおう。
通りがかりに見ることができた下田簡易裁判所のエントランスの渋いタイル。プレートの下だけ1/4サイズの
タイルを貼ってあるのがクールだねぇ!
蛇紋岩の乱積み、初めて見た。
住宅地の奥にあった日本キリスト教団下田教会。
ペパーミント色に塗られた壁と赤いとんがり屋根。絵本に出てきそうなかわいらしい教会だった。
まちの向こうに見える山は木々の間から岩肌が露出している。山全体が伊豆石でできているのだろう。
伊豆急下田駅は地上の終着駅。伊東へ、そしてJRで都内へ。。。普通電車で4時間近くかかるけど、爆睡あるのみ(笑)
暮れゆく海。
列車の予約もなく思いついたらふらっと行けるっていいなぁ。西伊豆の方にもまた行ってみたい。
終わり。
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