2020年2月の筑後吉井の続き。
雨がぱらついてきたが、鏡田屋敷を見に行こう。
居蔵の館の前の通りは、向かい側に堀のような南新川が流れ、お寺や前庭のある現代住宅などがちょくちょくあり、
ぎっしり隙間なく町家が並ぶ白壁通りとは少し雰囲気を異にする。ここは伝建地区外なのだろうか。
鏡田屋敷は、吉井で現存する唯一の「屋敷型建造物」だとか。「屋敷型建造物」とは庭園、土蔵、塀で家屋の周囲を囲んだ
形式を言うようだ。居蔵の館も半分は屋敷の形をしていたが、ここは完全な屋敷型で、近世、近代の建築当初の姿を保っている。
正面部分は1863(文久3)年、背後の座敷や2階が1893(明治26)年に増築された。当初は郡役所の官舎として
建てられたと言われている。
門から玄関までのアプローチは両側を高い板塀で遮断されており、板塀の内側には井戸や土蔵へつながる中庭がある。
建物の玄関を入ると、奥方向へ伸びる通り土間でなく、玄関から間口 方向に土間が伸びている。
その突き当りが台所となっていた。
そこから井戸のある中庭へ出られ、また建物の西側を流れる水路に下りる石段も作られている。
部屋は土間に面して間口方向に並び、その背後へと広がっている。町家ではないのに逆にみせのような印象を受ける。
23畳敷きの大広間の広い床の間。3間の長さの床板は何と一枚板なのだそう。
この大広間から3部屋が縦に接続し、さらに横にも拡張するので合計50畳の大空間として使うことができる。
あぁ日本建築のフレキシビリティはすごいな!!
居蔵の館にあったのと似たこちらの箪笥、表面の漆はだいぶ剥げているが、一部の飾りがゴージャス!
トイレの方の窓の枠はこんなユラユラした形でカワイイ~~
2階へ。しっかり高さのある居室だ。スキップフロア
むしろ1階の座敷よりも居心地がよさそうだ
裏庭がよく見える。
ぐるっと回ったベランダ状の濡れ縁の外側には、ガラスのはまった垂れ壁が下がっていた。
あぁ気持ちいい~~
1991(平成3)年の台風により大きな損害を受けたため取り壊される予定だったが、当時の所有者であった籠田氏より
町に寄贈され、保存修理工事が行われた。壊すのは一瞬だが、心ある人々の英断により貴重な建物がまちの文化資産、観光資源として
これからもずっと存在し続けることになったのだ。とても喜ばしいことだな!
続く。
雨がぱらついてきたが、鏡田屋敷を見に行こう。
居蔵の館の前の通りは、向かい側に堀のような南新川が流れ、お寺や前庭のある現代住宅などがちょくちょくあり、
ぎっしり隙間なく町家が並ぶ白壁通りとは少し雰囲気を異にする。ここは伝建地区外なのだろうか。
鏡田屋敷は、吉井で現存する唯一の「屋敷型建造物」だとか。「屋敷型建造物」とは庭園、土蔵、塀で家屋の周囲を囲んだ
形式を言うようだ。居蔵の館も半分は屋敷の形をしていたが、ここは完全な屋敷型で、近世、近代の建築当初の姿を保っている。
正面部分は1863(文久3)年、背後の座敷や2階が1893(明治26)年に増築された。当初は郡役所の官舎として
建てられたと言われている。
門から玄関までのアプローチは両側を高い板塀で遮断されており、板塀の内側には井戸や土蔵へつながる中庭がある。
建物の玄関を入ると、奥方向へ伸びる通り土間でなく、玄関から間口 方向に土間が伸びている。
その突き当りが台所となっていた。
そこから井戸のある中庭へ出られ、また建物の西側を流れる水路に下りる石段も作られている。
部屋は土間に面して間口方向に並び、その背後へと広がっている。町家ではないのに逆にみせのような印象を受ける。
23畳敷きの大広間の広い床の間。3間の長さの床板は何と一枚板なのだそう。
この大広間から3部屋が縦に接続し、さらに横にも拡張するので合計50畳の大空間として使うことができる。
あぁ日本建築のフレキシビリティはすごいな!!
居蔵の館にあったのと似たこちらの箪笥、表面の漆はだいぶ剥げているが、一部の飾りがゴージャス!
トイレの方の窓の枠はこんなユラユラした形でカワイイ~~
2階へ。しっかり高さのある居室だ。スキップフロア
むしろ1階の座敷よりも居心地がよさそうだ
裏庭がよく見える。
ぐるっと回ったベランダ状の濡れ縁の外側には、ガラスのはまった垂れ壁が下がっていた。
あぁ気持ちいい~~
1991(平成3)年の台風により大きな損害を受けたため取り壊される予定だったが、当時の所有者であった籠田氏より
町に寄贈され、保存修理工事が行われた。壊すのは一瞬だが、心ある人々の英断により貴重な建物がまちの文化資産、観光資源として
これからもずっと存在し続けることになったのだ。とても喜ばしいことだな!
続く。
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