まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

岩手旅 鉈屋町のまち歩き

2021-04-07 23:40:08 | 建物・まちなみ
最近書き始めるとすぐに眠くなって一向に進まない・・・(汗)

2020年3月の岩手旅の続き。

鶯宿温泉の石塚旅館を後にして一路盛岡へ戻ろう。途中の御所湖から見えた優美な岩手山の姿に目を奪われ
しばし車を停めて休憩。。


仙北町駅の木造駅舎を見に立ち寄る。盛岡駅から東北本線で南へひと駅。主要駅の隣には木造駅舎が残っている・・・
というよくあるパターン。


ちょっとホームを覗く。向こうに見えるのは貨物ホームかな。


さて今度は昨日歩いた紺屋町あたりからちょっと離れたところにある、鉈屋町へ。ここにも古い町並みが残っている。


これはだんじり庫かな。看板建築みたいな壁が立ち上がっている。


江戸時代には湧水池だった場所にある大慈清水は、共同の水場として今も用水組合により維持されている。


飲用水としての最上流から足洗い用としての最下流まで、用途で使い分けるルールが設けられている。


並びの町家は皆妻入り。内部を見学できる町家があったので入ってみよう。


天井が高くとても立派な神棚があった。


吹抜けに明り取りの天窓。部屋の真ん中に階段があり空中通路が架けられている。梁は細い替わりに
縦横に何本も渡っている。




スクラッチタイル貼りのビルディングは、旧鎌田薬店


ここには文字タイルがはまっていた雰囲気。「タバコ」かな?


鉈屋町の端まで歩いてくると大きな建物が目に入る。奥行き方向にすごく長く続いている。


こんなレンガ積みの建物もあった。


これは木津屋池野籐兵衛家住宅。現在も木津屋本店総務部として使われている。
この建物は1834(天保5)年の大火で焼けたあとに入念な防火対策を施して建てられたもの。
火消用具も完備され、おかげで以降の大火でも焼失を免れたという。


木津屋本店は、池野籐兵衛が筆や紙・炭・薬・雑貨などを販売する店として1638(寛永15)年に創業。
現在も、オフィス家具・文房具・紙製品・OA機器の総合商社として営業されている。
初代の元々のルーツは京都の山城国の木津村で、屋号の木津屋の名はそこからつけたようだ。


バス通りに面したこの店舗と、さっきのレンガの蔵など一連の建物も木津屋のものだろうな。


明治橋の方へ歩いていく。この大きな蔵は江戸時代後期に建てられた米蔵で「明治橋際の御蔵」と呼ばれる。
盛岡藩では度々大飢饉に見舞われたため備穀が奨励され、ここに保管された。深い軒、高床で、断熱や
防湿の工夫がされている。


すぐ前には北上川が流れていて、かつては北上川舟運の要衝として栄えた「新山河岸」という場所であった。


旧奥州街道筋には御番所や船宿や蔵が建ち並んでいたという。この立派な町家は商店か、旅館か?
今はすでにしもたやになっているが、御蔵とともに当時の趣を感じさせる街並みが残っている。


少し裏手にはこんな蔵も。こうじ屋、との文字が見える。


その名の通り糀屋さんだが、細重酒店という立ち飲みできる酒屋も営業されているようだ。


周辺を歩くと他にも古い建物が目に付く。間口の広い町家の美しい格子、飾り金物。


こんな町家がぎっしり隙間なく並んでいたのだ。


こちらは前庭のある邸宅風の建物。さぁここは何だったのか。医者や旅館でもなさそうだし・・・
インテリの住まいといった感じだな。




まちなかにぽつぽつ散在する古い建物の凝った造りからは、当時の街の繁栄ぶりが伝わってくる。


続く

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