西区・本田の路地。ときどき犬の散歩でうろつくあたり。
レンガ敷きの上にモルタルをかぶせてあったのが剥がれている。
こんな路地はあまり他では見ないと思うがどうだろうか。
レンガは千鳥状に並べて敷かれ、隙間から草が生えている。
路地はコの字型になっていて、奥にある長屋はかなり古そう。
戦前であるのは間違いないだろう。大正までさかのぼるかもしれない。
奥まで行ってみたいが外部の人間を入り込ませない雰囲気に満ちていて、
近寄れない。(敷地内通路だから当然なのだが)
明治の初め、隣接する川口に居留地ができ、本田あたりも
日本人と混じって外国人が住める「雑居地」だった。
川口居留地には洋風建築が建ち並び街路樹の植わった広い道には
ガス灯がともり、近代的まちなみを呈していたというが、
川口の港としての機能が劣ったため港町としては寂れていく。
路地のレンガは、川口の洋館が壊されるときに、廃物利用として
持って来たものではないだろうか。
そう考えるとこの路地は川口居留地の繁栄の忘れがたみと言える。
これはあくまで想像の世界だが、そう考える方が楽しい。
レンガ敷きの上にモルタルをかぶせてあったのが剥がれている。
こんな路地はあまり他では見ないと思うがどうだろうか。
レンガは千鳥状に並べて敷かれ、隙間から草が生えている。
路地はコの字型になっていて、奥にある長屋はかなり古そう。
戦前であるのは間違いないだろう。大正までさかのぼるかもしれない。
奥まで行ってみたいが外部の人間を入り込ませない雰囲気に満ちていて、
近寄れない。(敷地内通路だから当然なのだが)
明治の初め、隣接する川口に居留地ができ、本田あたりも
日本人と混じって外国人が住める「雑居地」だった。
川口居留地には洋風建築が建ち並び街路樹の植わった広い道には
ガス灯がともり、近代的まちなみを呈していたというが、
川口の港としての機能が劣ったため港町としては寂れていく。
路地のレンガは、川口の洋館が壊されるときに、廃物利用として
持って来たものではないだろうか。
そう考えるとこの路地は川口居留地の繁栄の忘れがたみと言える。
これはあくまで想像の世界だが、そう考える方が楽しい。
そういわれれば、煉瓦の縁の石も、門柱の再利用だったり、そんな気がしてきます。
堂々と入って調査できるんでしょうが。
このあたりでは道路の縁石に御影石などが見られます。言われてみれば写真に写っている石は四角い穴があって「部材」っぽいですね。
戦後に燃料として使われたのですか、興味深いお話ですね。
船場ビルディングのエントランスホールは今も木煉瓦敷きですね。敷き直しはしているのかもしれませんが、確か当初から木煉瓦敷きだったと説明書きに書いてあったと記憶しています。