2020年3月の岩手旅の続き。
まちの北側の少し小高いところに花巻城跡があり、城下の町とは少し高低差がついている。
元の城内は公園のほか学校や官公庁などになるのが常だ。ここも例にもれず小学校、幼稚園、体育館、市役所、
裁判所などが集まっている。
城に近いところには武家町が造られる。丘のふもとにあったこのお屋敷もそんな武家屋敷の名残だろうか。
しかし奥深くて様子すらうかがえない。
花巻城のふもとから、豊沢川までの間に町人の町が広がっていた。花巻は戦災にあっているためまちなみは
昭和だけど、ぽつぽつと古い蔵などが残る。
ビジターセンターあたりに戻ってきて、そろそろ花巻の建物めぐりも終わりにしようか、、、まだちょっと
時間があるけど、いつもギリギリになるからちょっと早めに空港へ行っておこうかな。・・・と車に乗り込んだが
少し外れたあたりに宮沢賢治の生家であるという宮澤商店があるのを見忘れていたので、戻る(笑)。
道を渡って行くと、おや、中国パブの派手なピンクの看板のついたこのビルもなんか気になるぞ。
正面の三角破風はあとからつけた飾りだろうが、ビル自体は古そうだ。
近寄ってみるとやっぱり、間違いなく近代建築ビルだ。入口付近は全く元の姿をとどめていないが、側面に
並んだ縦長窓を見ると銀行建築の雰囲気だな。しかし花巻の銀行建築でネット検索しても出て来ない。。。
裏には民家のような和風の建物がくっついていた。裏は住まいなのか・・・?
さて数軒隣の宮澤商店(写真奥)は宮澤賢治の母イチの実家であり、1896(明治29)年、イチはここへ
里帰りして賢治を出産した。「賢治誕生の家」「賢治産湯の井戸」として観光マップにも載っている賢治ゆかりの
スポットである。
もう夕方5時近かったが木扉が半分開いていて事務所もまだやっていたので、終業時間間際に悪いなと思いつつ
ちょっと敷地に入って見学してもよいかと尋ねたところ、わざわざ出てきて案内して下さった。
こちらが産湯の井戸。花巻の鍛冶町地区は豊沢川の伏流水が地下を流れているため各家に井戸があり水が豊富に
湧いていた。
ふたを開けてつるべを引き上げて見せて下った。白っぽい石(大型のレンガ?)が積まれた大きな径の井戸だ。
敷地内には蔵も残っている。花巻も空襲を受けたが宮澤商店は戦災を免れたらしい。
宮澤商店は砂糖、小麦粉、雑貨、灯油などを扱い、専売品であった塩やたばこも扱っていた。
それぞれの品を分けて保管するためにたくさんの蔵が必要だったのだろう。
奥の白い3階建て(?)のレンガ蔵がさっきから気になっていた。
何でこんな白いんだ?耐火煉瓦でもないだろうが、、何か塗ったのだろうか。ペンキではなくちょっと粉っぽい感じ。
うす茶色の部分もあるので、鉱滓レンガなのだろうか。
明治時代の築というレンガ蔵は窓に重厚な鎧戸がついていてドアもまるで金庫のようだ。さっきの土蔵とは
格段に違う防犯性。これは専売品であるたばこや塩用の蔵だったのか、それとも、家のお宝をしまっていたのか。
そのときいろいろとお話を聞いたのだが時間がたちすぎて忘れてしまった(汗)
白い蔵の一部が灰色に汚れているのは、戦時中に防空色に塗装した名残だという。
このあたりのレンガを見ると白い色はしっかり焼き付いたように見え、塗ったようにも思えないのだけど・・・
敷地の一番奥には小さなレンガ倉庫があった。これは油の保管庫だったと言われていたと記憶している。
こちらの建物の石段を下りたところには石組の池がある!?井戸から引いているのだろうか。
観賞用の池には見えないので防火用水だったのだろうな。
賢治の祖父にあたる宮澤善治氏は岩手軽便鉄道の設立や花巻温泉の開発などにも関わった人。
宮澤家は花巻の近代化・インフラ事業の経営に参画し、現在までずっと地域経済をけん引してきた名家である。
はじまりの地に今も宮澤商店の小さな事務所があり古い蔵などがそのまま残っているのは、宮沢賢治のゆかりと
いうだけでなく、花巻のまちの歴史をたずねるスポットとしても興味深い。
遅くまで案内ありがとうございました~~
楽しかった岩手旅、これにて終了。
おわり。
まちの北側の少し小高いところに花巻城跡があり、城下の町とは少し高低差がついている。
元の城内は公園のほか学校や官公庁などになるのが常だ。ここも例にもれず小学校、幼稚園、体育館、市役所、
裁判所などが集まっている。
城に近いところには武家町が造られる。丘のふもとにあったこのお屋敷もそんな武家屋敷の名残だろうか。
しかし奥深くて様子すらうかがえない。
花巻城のふもとから、豊沢川までの間に町人の町が広がっていた。花巻は戦災にあっているためまちなみは
昭和だけど、ぽつぽつと古い蔵などが残る。
ビジターセンターあたりに戻ってきて、そろそろ花巻の建物めぐりも終わりにしようか、、、まだちょっと
時間があるけど、いつもギリギリになるからちょっと早めに空港へ行っておこうかな。・・・と車に乗り込んだが
少し外れたあたりに宮沢賢治の生家であるという宮澤商店があるのを見忘れていたので、戻る(笑)。
道を渡って行くと、おや、中国パブの派手なピンクの看板のついたこのビルもなんか気になるぞ。
正面の三角破風はあとからつけた飾りだろうが、ビル自体は古そうだ。
近寄ってみるとやっぱり、間違いなく近代建築ビルだ。入口付近は全く元の姿をとどめていないが、側面に
並んだ縦長窓を見ると銀行建築の雰囲気だな。しかし花巻の銀行建築でネット検索しても出て来ない。。。
裏には民家のような和風の建物がくっついていた。裏は住まいなのか・・・?
さて数軒隣の宮澤商店(写真奥)は宮澤賢治の母イチの実家であり、1896(明治29)年、イチはここへ
里帰りして賢治を出産した。「賢治誕生の家」「賢治産湯の井戸」として観光マップにも載っている賢治ゆかりの
スポットである。
もう夕方5時近かったが木扉が半分開いていて事務所もまだやっていたので、終業時間間際に悪いなと思いつつ
ちょっと敷地に入って見学してもよいかと尋ねたところ、わざわざ出てきて案内して下さった。
こちらが産湯の井戸。花巻の鍛冶町地区は豊沢川の伏流水が地下を流れているため各家に井戸があり水が豊富に
湧いていた。
ふたを開けてつるべを引き上げて見せて下った。白っぽい石(大型のレンガ?)が積まれた大きな径の井戸だ。
敷地内には蔵も残っている。花巻も空襲を受けたが宮澤商店は戦災を免れたらしい。
宮澤商店は砂糖、小麦粉、雑貨、灯油などを扱い、専売品であった塩やたばこも扱っていた。
それぞれの品を分けて保管するためにたくさんの蔵が必要だったのだろう。
奥の白い3階建て(?)のレンガ蔵がさっきから気になっていた。
何でこんな白いんだ?耐火煉瓦でもないだろうが、、何か塗ったのだろうか。ペンキではなくちょっと粉っぽい感じ。
うす茶色の部分もあるので、鉱滓レンガなのだろうか。
明治時代の築というレンガ蔵は窓に重厚な鎧戸がついていてドアもまるで金庫のようだ。さっきの土蔵とは
格段に違う防犯性。これは専売品であるたばこや塩用の蔵だったのか、それとも、家のお宝をしまっていたのか。
そのときいろいろとお話を聞いたのだが時間がたちすぎて忘れてしまった(汗)
白い蔵の一部が灰色に汚れているのは、戦時中に防空色に塗装した名残だという。
このあたりのレンガを見ると白い色はしっかり焼き付いたように見え、塗ったようにも思えないのだけど・・・
敷地の一番奥には小さなレンガ倉庫があった。これは油の保管庫だったと言われていたと記憶している。
こちらの建物の石段を下りたところには石組の池がある!?井戸から引いているのだろうか。
観賞用の池には見えないので防火用水だったのだろうな。
賢治の祖父にあたる宮澤善治氏は岩手軽便鉄道の設立や花巻温泉の開発などにも関わった人。
宮澤家は花巻の近代化・インフラ事業の経営に参画し、現在までずっと地域経済をけん引してきた名家である。
はじまりの地に今も宮澤商店の小さな事務所があり古い蔵などがそのまま残っているのは、宮沢賢治のゆかりと
いうだけでなく、花巻のまちの歴史をたずねるスポットとしても興味深い。
遅くまで案内ありがとうございました~~
楽しかった岩手旅、これにて終了。
おわり。
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