よしっぺの独り言

おばばの気まぐれ生活

別院での法話

2012-04-23 20:49:23 | 日記

      姜 尚中氏。BSTVの「母、オモニー」の映像から。

 先日、大垣別院で月一回の法話があって、今月は以前から大きく吾輩の心を占めていた方に会えると思い

拝聴してきた。テーマは「人間の尊厳について」。

話は昨年の東日本大震災に触れられ、終戦後の日本と震災後の日本の違いを‘国破れて山河あり‘が今度の震災は山河なしで

終戦後のように復興出来るか憂慮されていた。放射能という目に見えないものの結果は未知で何十年も後にしか

結果も判らない、未来を背負う人たちはどうなるんだろうと。ご自身は韓国人の両親から熊本で生まれたこともあり

水俣病のことも実例にして、未曾有な震災という苦難の後は国の、人間の生まれ変わることの必要性を訴えられた。

震災前の日本に戻るのではないということ。既に東ドイツが進めだした原発の廃炉。日本丸も少しずつでも舵取りを安全地帯に

向けていって欲しい等々。

 韓国人1世で3兄弟の3番目。ご両親は東京から移った名古屋空襲で長男を失くされている。そのあと移住した熊本。

永野鉄くず店を始められる。苦労の連続だったといわれた。そんな中、オモニーである母のことを振り返って桎梏だと

云われた。

 私が母を振り返るとき、そして私の人生も最初のころやはり朝鮮の匂いがする。1961年、北朝鮮の帰還事業の時に

共に小学校時代を過ごしていた同級生数人がお別れの言葉を残して去って行ったのを記憶している。ZHさんもいた。

南(韓国)と違って北だから安否を心配した時もあった。

母は結婚したころ父と大阪の鶴橋で住んでいた。コリアンといわれる人たちの多いところと聞いている。3人の子供を

抱かえ、父が戦地にいて留守の間母も大変だったと思う。大阪空襲前に揃って故郷の養老へ帰って来るまでの

大阪生活には、日本のなかの韓国を見ていたのも事実である。

 今、韓国ドラマにも見入り、中国の三国志も放映、孔子・恕の人も。三国志も論語も読みつつ異国の故事に学ぶこと

多く、熱くなっている還暦過ぎた吾輩でございます。(太極拳の思想から広がりはじめたのかなぁ~)

     姜さん素敵でしたぁ~