早いもので、放送大学2022後期授業のスケジュールも概ね2/3が終了した。
そんな中「認知行動療法」講義で、アーロン・ベック氏の提唱した
「うつ病患者の認知の特徴」について学び、感じ入っている
以下がその特徴をまとめたもの
なんだか、会社勤めをしていたときの自分を想い、薄ら寒いものを感じる。
学歴が少々高めだったこと、会社の推奨する資格を早々に取得したこと、
そのあたりから、ぼくはあまりにも過剰な期待をされたのではなかろうか。
その時点の自分では、歯も爪も立たないような仕事を付けられる。
まさに現実として「とりまく世界は、途方もない要求を突き付け」
そしてもともと「自分は不完全」と知っていても、さらに刷り込まれる。
自分はその仕事には「不適切」なはずだが、それでも要求される。
欠けているのは実務経験なのは自明。
しかしその実務経験を持つ人々を差し置いて、要求される。
センパイたちは面白くない。
だけどぼくだって、力不足のまま、やりたくなんてないんだよ。
そして巧く行っていないにも関わらずハードルはあげられる。
「困難や苦悩はずっと続」いたし、ずっと続くと思い込まされる。
きっと「自分は失敗するだろう」と推定するようになる。
。。。
ぼくの思考が「鬱になる思考」だったのだろうか。
いや、会社が「鬱思考になるように仕向けた」
と言っていいのではないだろうか。
「失敗しても、何も身に付かなくても、ハードルは上げられ続けるだろう」
終いには、そう思うようになった。
いつまで続く?。。。答えは「ぼくが壊れるまで」に違いない
そうとしか思えなくなった。
ぼくは心療内科に行ったことはないし、カウンセリングを受けたこともない。
いわゆるサイコ・セラピーを受けた経験はない。
いちばん、精神的にまいっていた時に心療内科に行っていたら?
。。。おそらく「病名」が付いたんだと思う。薬も処方されただろう。
あのときぼくは、いろいろな書籍を読んだり、普及しはじめたネットをみたりで
「鬱病の正体は、脳内から人間生活に必要な成分が分泌されなくなること」
と確信し、成分分泌に効果があるとされる「日光浴」「散歩」「筋トレ」などを
生活習慣として、積極的に、確信的に取り入れていった。
そして
「都合の悪いことは、なんでも人のせいにしてやる」ことにした
どうあれ、ぼくが深刻にメンタル・イルネス(精神疾患)で
ダウンすることは、無かった。そして今に至る。
ひとまず「会社員」としてのキャリアを終えたぼくが、心理学の知見を求めるのは
このときから続いている「ぼくが、壊されない」ための本能なのだと改めて知る。
まずは我が身を我が身で護れるようになり、可能ならばいつか、次へ。