なまけものの亀がゆく

早期退職者が、日々うろうろしてみる 人に見せる文章なら本来割愛するものを、しかし自分のために書き残してる呆れた世界

あのきれいな丘の上に着くまで

2024-01-02 06:36:18 | 日記

大晦日は紅白歌合戦を見て、終わったら近所の神社に2年参り。
それが実家で暮らしていた子どもの頃の慣習だった。
残念ながら喪中の為、せっかく実家に帰ったのに今回はおあずけ。

就職して実家を離れて10年くらい、正月を実家で過ごすことはなかった。
24時間365日動いてる仕事に就いた為、世間のような正月休みはなかった、
年末年始の各3日は休日出勤扱いとなるため、ふつうに週休2日感覚で
働いていると、ちょっといいこずかいになった。
ぼくは大喜びで働いてたし、後ろにずらしたタイミングで有給休暇を申請すると
勤務管理担当の人からは「みんなが休みたいときに(働いてくれて)ありがとね」
などと、感謝されたりもしていた。

実家を離れて10年ほどたった頃、ふしぎな縁で大阪支社で働いてた。
これまで通りに正月休みは求めなかったのだが、
「遠くまで来ているのだから、正月くらい親に顔を見せておいで」と
気遣ってくれて、ほんとうに久々に、かつてのように、
実家のコタツで大晦日を過ごし、そして近所の神社へ向かった。


そこには何も変わらない光景があった。
いつも閉ざされてる神社の扉が、この夜は開かれており
法被を着た町内会の人々が出迎え、お神酒を振舞ってくれた。
「何も変わらないな、いいなぁ」と感慨にふけっていたら突如
「○○さん!○○さんですよね!」と、ぼくの名を呼ぶ声がした。

振り返るとそこには、近所の同級生の弟がいた。
ずいぶん大人びた顔になっていたけど、すぐにわかった。
ある時期、毎日のように遊んでいた同級生がいて
この弟くん、ぼくが気に入ったようでいつもいっしょにいた。

「わ~△△くんだよね!ひさしぶり!なつかしいなぁ」
と、口にした瞬間、気付いてしまった。
彼らはあれから10年、ずっと、大晦日の終わり、元日の始まりを
何も変わらずこの神社で迎えていたのだ。

ぼくだけが、この町から、消えたんだ

心に大きなくさびが打ち込まれた瞬間だった。

東京に、大阪に、札幌に、居住した経験はとても良き思い出だし、
仕事で必要があったから必死に英語を学び、海外独り旅もできるようになった。
地元で就職していたら、どれも得られ無かったこと。
でも代わりに、近しい人々と長い時を重ねる機会は失われていた。

「どちらかしか、選べないのだろうか」

そんなことない。よくばりだから、両方。
だからこれからは、この町でずっと。

元日の朝、目が覚めたらまだ暗かった。
こっちに戻って来てから、早朝に散歩して、山から日が昇っていく光景を
懐かしく眺めたことを思い出した。


「初日の出を見に行こうか」

さすが新潟、曇天率日本一の町
近くの跨線橋に登って眺めた初日の出は、ぼんやりしてる。
けどそれが、スカッと晴れた青い空の、まん丸なお日様でなかったとしても、また始まった。