古いPROTREKが出てきた。
父が定年退職したときに、ぼくがプレゼントしたものだ。
気に入ったようで、背広のときもこれ身に着けていたらしい。
合わないよ、明らかに。
実は就職して家を離れて、母の日にはカーネーションを贈ったけど
長く父の日には何もしてなかった。
何かの折に、古く長い友人にそれを話したら
温厚な男がむっちゃ怒ってびっくりした。
ぼくがヘラヘラした態度だったのが大きいのかもしれないが。
考えてみれば間違いなく、人でなしな感じだ。
でも、母の日は何すればいいかわかりやすいけど
父の日にどうすればいいかはけっこう難問な気もするよ。
それとて、かなり古いはずなのだが見た感じまだ奇麗な腕時計。
街に出て、有名大型量販店の時計コーナーで
電池交換をお願いしてみたのだが、意外なことに、
そもそも電池交換は全てメーカー送りだと言われた。
それでもやはり
「このあたりで電池交換してくれるところは?」は
FAQだったようで、とある時計店を教えてくれた。
時計店に行くと、防水チェックはできないが電池交換だけならと
引き受けてくれた。30分待ちなのでフラフラとその辺を歩く。
戻ってみると、店員さんがすまなそうに
「スイッチが固着してしまってて、時間が合わせられません」とのこと。
調べてもらったが、修理対応は終わってしまっており交換部品がないとのこと。
棺の中の父というのも、ただ眠っているだけのように見えたが
それに似て、ただ電池が切れただけのように見えた腕時計は
もう二度とこっちの世界には戻ってこないらしい。
もしや父は生前に修理不能を知り、それでも保管していたのだろうか。
そうかもしれないな。古いわりに奇麗なのも、父が磨いていたのかもしれない。
実家に戻った今、父の形見の品なんて文字通り捨てるほどあるのだけれど
なんだかもう、ほんとうに、流れていく時の中で
「いつでも、いまからやれる」なんてむしろ少数と気付かされる。
流れ着く先は皆同じ、流れていく中で笑ったり嘆いたり。
流れ着いて100年後には、我ら凡人を覚えてる人なんて誰もいない。
そこにイミはあるのだろうか?
あるかもしれないので、今日にもイミを作らなきゃならないけど。