話しは、自分自身が20代の頃に遡ります。
記事にするか、非常に迷いましたが、自分自身の中で整理がついたので記事にしようと思いました。
あくまでも、自分自身の中での基準ですが、初めて、障害者手帳を習得した時は、自分勝手な思い込みかも知れませんが、健常者から障害者に転落したと勝手に自分自身で、烙印を押しました(レッテルを貼る)。
現実問題、どうなったかと言いますと、それまでは、普通に仕事やバイトをして、社会って厳しいなって思いつつも、お金を稼ぐには、辛い思いをしなければならないんだと思っていました。
補足として、辛い思いだけではでなく、週末の開放感や、仕事やバイトで、自分なりに頑張れば、同僚や上司の方から、頑張ってくれるから助かるよ的な言葉もかけていただいて、自分なりに仕事やバイトに対してのやりがいも感じていた部分もありました。
くどいようですが、辛いだけでなく、仕事に行きたくないと思ったときは数知れずですがw、自分自身に負けずに、仕事に行けば、評価される時もありました。
話しがそれましたが、障害者になって、障害者が社会復帰もしくは、障害(知的、精神、身体)を持っているけども、何とか社会に出たいと必死に頑張っている、障害者支援のある作業所に、自分自身も行きました。
20年以上前の話なので、現在のように、就労移行、A型、B型、なんて名称もなく、自分の記憶が間違っていたら申し訳ありませんが、授産施設とか作業所という名称だったと思います。
金銭的な話しで申し訳ないのですが、リアルにいいますと、自分自身が当時通っていた、授産施設では、時給100円の世界でした。
勿論、時間は短いのですが、午前、午後の休憩、昼休みの1時間を入れて、大まかにいいますと、10時から16時迄でした。
朝の、スタートも遅いですし、帰りも早いので、通勤ラッシュにはあわなくて、こんなところもあったんだと、新鮮な気持ち半分、大人が1日、働いて(実働的には4.5時間)1日、500円で、月に1万円ほどの収入でした。
お昼には授産施設の弁当を食べるので、1ヶ月で3千円のお小遣いです。
これについては、受け止め方に個人差がありますので、省略しますが、仕事に比べて、気楽に作業が出来るけど、単価が安いですが、その当時の自分は、社会人を経験しているので、はっきりといいますが、ピンハネを通り超して、ぼったくりとまで思ってましたが、何年も授産施設に通い続けることにより、少しずつ心境の変化がありました。
仮に、時給100円だからやっとれるかっ!といって、自分の場合ですが、精神不安定のまま、バイトなり仕事をしたとしても、一時的には何とかもって、それ相応の給料がもらえるかもしれませんが、今、思うと、長続きできなかったと思います。
例え、時給100円かもしれませんが、長い目でみて、自分の場合ですが、精神を安定させる為に訓練してるだけでなく、少ないけど、報酬も気持ち出ているんだと、今振り返ってみると、そう思えます。
長文になってしまいましたが、過去の自分を振り返ってみました。
記事が出来次第投稿します。