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映画・舞台の感想や俳優さん情報等。基本各種メディア込みのレ・ミゼラブル廃。近頃は「ただの日記」多し。

始まりの終わり(SWネタバレ感想)

2005-07-14 15:38:56 | 映画・DVDレビュー
のち
引き続いて『スター・ウォーズ』の話。旧三部作も合わせてネタバレ大有りなのでご注意を。

思えば、現在『エピソード4/新たなる希望』というサブタイトルのついている無印『スター・ウォーズ』を、私は父と共に観に行ったのだ。
そして、シリーズ最終作は自分の息子と共に観たのだから、それだけでもこのシリーズの歴史を感じてしまう。

開巻間もなくの戦闘シーンは快調で、それもアクションのためのアクションにはならず、ストーリーやキャラクターの心理ともちゃんと結びついている。娯楽映画の王道を感じさせるが、楽しく見られるのは実はそのへんまでで、後はひたすらダークでつらい展開が待っている。

ごく初期の頃から「ダース・ベイダー=アナキンはオビ・ワンと死闘の末、燃える溶岩の中に落ちてあの姿になった」という設定は聞いていて、二十数年の時を経た後、やっとそれを目の当たりにすることが出来た訳だが、実際に見たそれが、あれほど悲惨で胸痛むものだったとは……
メイスの死を招いてしまったことで、一気にダークサイドへ、というのはわからないでもないが、オビ・ワンへの「あんたを憎む!」という言葉はどこから出て来るのだろう?
あれは僅かに残った人間らしい感情の発露であり、どんな形であっても、彼がそれをぶつけられる相手は、パドメ以外には結局オビ・ワンしかいなかったということなのだろうか?そうとでも思わなくてはあまりにつらい言葉だが、そう思ったところで悲しいことに変わりはない。
二人が最後にまともに会話を交した時のアナキンの呼びかけが、「マスター」ではなく「オビ・ワン」だったことも、後の展開を思うとやはり悲しい。

昨夜エピソード6も観たことだし、ここでアナキンとルークの違いを考えてみる。
ルークにあって、アナキンには決定的に欠けていたもの。端的に言ってしまえば、それは「仲間」の存在だったのではないか。
ジェダイの中の人間関係は基本的には師弟関係であり、子どもの頃に親と引き離され、ごく狭い世界で純粋培養されたアナキンにとって、対等な友だちや仲間は存在しなかった。その世界での「評価」を得られないことは自らの存在理由を奪われるに等しく、また、唯一その前に在ってのみ一人の青年でいられた、パドメと彼女の愛を失う恐怖も量り知れないものだったのだろう。

ルークを支えていたものは、もっと大きく広い。
ヨーダは「愛は執着に通じ、人を誤らせる」と言っていたが、ルークがダース・ベイダーの許に出向したのは、憎悪のためではなく、自分自身のためですらなく、ただ「父を暗黒面から救い出したい」という思いゆえのことだった。
昔は、すぐ「ベン、助けて」とか挙句に「助けて父さん!」とか口走るルークを、情けないやっちゃなーと思っていたが、実は「それ」こそが彼の強みだったのだと、エピソード3まで観てようやく気づいた。「それ」はまた、アナキンが決して持ち得なかったものだ。
ルークは、何が、または誰が自分を支え護ってくれているか、ちゃんと理解している。自分の後ろに多くの友人や仲間たち(含・妹)がいることを知っている。「愛」は彼を躓かせなかった。
アナキンにとって「愛」が転落への道標となってしまったのは、酷な言い方をすれば、「自分が」それを失いたくないから、というエゴが根底にあったためではなかっただろうか。と言って、彼にそれ以外の行き方(生き方)があり得たかということを考えると、悲劇性はまた際立って見えるのだが。

長くなったので、続きはまた明日にでも。

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