ああう、喉が痛い鼻がズルズルする、いよいよ花粉か!?
と思っていたら、どうやら風邪のようです。気管が変な音を立て始めました。
本日の東京は、雨も降って非常に寒いです…
そんな訳で、今日のところは「不思議の国」さん初出、「ココナッツ」さんでアップしてくれた、デイヴィッド・ウェナム最新インタビューを置くくらいしかできません。
情報元は、2/26付 Sunday Mail。
下記ページのトップで読めます。
http://dessicatedcoconut.tripod.com/id84.html
内容は、先日こちらでお伝えしたアデレード・フェスティバルでの「マーラーの交響曲に乗せてゴッホの手紙を読む」"Songs From The Yellow Room" の話から始まります。
元々この企画は、Richard Wherrett氏が、2000年にアダム・カレンが描いた、デイヴィッドの有名な肖像画を見て、「ゴッホに似ている!」と天啓(?)を受けたことに端を発したそうです。
「マーラーの交響曲と共に舞台で手紙を朗読」することも、当初から考えられていたことだったんですね。
話を持ちかけられて、デイヴィッド自身もたいへん興味を抱いたものの、当時はそれ以上の進展はなく、そうこうしているうちにWherrett氏が亡くなって、この企画も宙に浮いてしまいました。
が、このたびのアデレード・フェスティバルで、監督の Brett Sheehy氏がこれを復活させることを決定。しかし、デイヴィッドの名前を出すことは、彼が最終的に「イエス」と言ってくれた、ぎりぎり二週間前まで控えていたそうです。
このプロジェクト自体には興味を引かれたし、ついに実現したことは嬉しいけれど、短期間でゴッホに没入することはとても大変だったようですね。
「準備に半年はほしかったね」
今回、演出に当たるのは、舞台版 "Cosi" の演出家でもあったアダム・クック氏。もちろんデイヴィッドとは旧知の間柄です。
マーラーとゴッホの共通点は、「自然への愛」だとデイヴィッドは言っています。
私見ですが、この「自然への愛」について一言。
ゴッホは周知の如く日本の浮世絵に傾倒し、アルルでアトリエを構えたのも「日本の風景に似ている」からだったと言われているし、マーラー『大地の歌』の歌詞は李白等の漢詩を元にしているし、彼らが「自然の美しさ」をどこに求めたかということについては、19世紀末ヨーロッパのジャポニズムや東洋趣味を抜きにしては語れないと思います。
しかし「ゴッホの手紙は、この天才の悲痛で苛烈な内面や精神を表しているし、マーラーの音楽はそのための良きコンパニオンになってくれると思う」という言葉には頷けるものがあります。
「ゴッホは、自然や風景を、彼にしか見えないやり方で見ていた。あらゆるものに常と異なる光を当て、独自の観点を提示した。だから彼の作品は、この時代の最も偉大なものとなったんだ。彼の悲劇は、彼自身が自分の作品についても自らについても、その真価を知ることなく世を去ったことだ」
という訳で、ゴッホへの思い入れはかなりのものがありそうです。やはり、お芝居か映画でやってほしいなあ…
でも、自分がゴッホと違うのは
「僕はちゃんと切り替えができることかな」
とも言っています。
「ゴッホはすべてを絵を描くことに費やした人だけど、僕は仕事を離れたごく当たり前の生活をも楽しんでいるからね。ゴッホはキャンバスの上に描き出される世界に、自らのすべてをも塗りこめた。そりゃ僕だって、仕事には情熱を持って臨むけど、自分が幸せでいられるもう一つの人生もちゃんと知っているよ」
また、アデレード・フェスティバルは豪国内の同種のどの催しよりも素晴らしいものだと思うし、そこで仕事できて嬉しい、という意味のことも言っています。
更に、映画についても触れています。
「『ヴァン・ヘルシング』はとても面白かったけど、続編は作られないんじゃないかな」
そ、そうなんですか?……やっぱり……
"The Boys"について。
「舞台版を、シドニー、キングスクロスの小劇場で演じた時は、キャンセル待ちのお客さんが通りのずっと向こうまで列をなしていてね。あれは忘れ難い光景だったな」
『ロード・オブ・ザ・リング』について。
あの映画及び撮影現場は、やはり彼にとっても特別な体験だったようですが、その中でも、SEE特典等でさんざんネタにした(された)「例の話」がまた出てきました。
「僕の馬は僕が嫌いだったんだ。それまでも馬に乗る仕事はあったけど、特に問題はなかった。でも、あの馬とは会った時から最悪で、ずっと緊張関係が続いていた。とにかく反抗的で、すぐトレイラーに戻ろうとしたり。他の皆は面白がっていたけど、僕は全然面白くなかったね」
わははは…それで「樽」での撮影になった訳ですか
SEEの特典だったかコメンタリーだったかでは「父君が悪いんだ。安い馬なんかよこすから」とか言ってましたっけ。
この件になると「末っ子」丸出しで拗ねちゃうのが、なんか可愛いです。
"Answered By Fire"について。
このテレビムービーが、当時実際に東ティモールに派遣されていたデイヴィッド・サヴェージ氏の "Bitter Dawn:East Timor - A People's Story" という本が或る程度元になっているという話、どこかに出ていましたっけ?
最後に豪映画業界の問題点について。
「映画・テレビ業界で、オーストラリア独自のプロジェクトを進めることは困難になって来ている。政府がアメリカとの貿易自由化に調印した時には、自国の文化を保護しようなんてことは全く考慮していなかったんだろう。オーストラリアでのドラマ制作にはアメリカの番組を買い付けるよりコストがかかるし、競争はますますむずかしくなってる」
そして、彼自身はどうしたいかと言うと、
「海外の映画に出て、アクセントも変えて、いいギャラを貰って、っていうのも、それはそれでいいけど、僕自身はオーストラリア人でありたい。仕事でもオーストラリアアクセントを使うし、この国の映画産業と文化を護るために、ここですべきことはもっとあると思う」
ということです。
これは彼が以前から主張していることでもありますね。
最後に奥さんとイライザちゃんのことをちょっと語り、もう一度アデレードでの舞台のことに触れて、インタビューは終わります。
長くなってすみません。自分も、具合悪いと言いつつ何やってるんだか…
時間があるときにでもお読み頂ければ幸いです。