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まだまだ続くクリスチャン・ベイル作品行脚。実は自分の個人的な思い入れに於いて、『真夏の夜の夢』とも繋がる作品です。
ストーリイ:1984年ニューヨーク。新聞記者アーサー(クリスチャン・ベイル)は、70年代初頭人気絶頂だったロックスター、ブライアン・スレイド(ジョナサン・リース・マイヤーズ)の偽装暗殺事件と失踪の謎を探ることになる。
最初のマネジャーや元妻(トニ・コレット)へのインタビューから明らかになって行くブライアンの軌跡や、バイ・セクシュアルを公言していた彼の奔放な生活。
また、もう一人のスター、カート・ワイルド(ユアン・マクレガー)との愛と別れ……
そして、その取材を通して、アーサー自身もかつての自分と向き合うことを余儀なくされる。
というのが一応のストーリイですが、眼目は、きらびやかな映像と音楽によって綴られる、グラムロックの時代とデイヴィッド・ボウイやイギー・ポップへのオマージュであると言っていいでしょう。
リアルタイムでは自分は子供だったし、ロック自体にもおよそ無知ですが、その時代の空気や、当時のボウイがいかに特別な存在であったかは、子供であっても感じ取れるものでした。
クリスチャンが『プレステージ』でボウイと共演することになって、彼のお母さんが大感激したという話も、決しておおげさなことではないと思います。たとえネタ元がヒュー・ジャックマンであっても(笑)。
この時代やボウイへのオマージュと言えば、Belneさんのマンガ「蒼の男」シリーズも好きだったな……元はと言えば、友人の影響で読み始めたんだけど。
そう言えば、ボウイ先生が「レッツダンス」でメガヒットを飛ばした頃、「堕落だ!」と叫ぶ先輩とかもいたっけ……
などと、自らの「恥ずかしい青春」をも様々な悔恨と共に思い返してしまったりする。そういう映画です。
もっとも、グラムロックに強い思い入れのある人にとっては、この映画は大いに違和感あるものらしいし、ボウイ自身も、その時代を正しく伝えるものではないとして、いっさいの協力を拒否しているんですが……
それはそれとしても、ジョナサン綺麗です。ユアン歌うまいです。彼の初登場シーン──ブライアンがカートを見出す例のステージのシーンなどは、圧倒的なカリスマ性を感じさせます。
でも、その時代や彼らの音楽への思い入れが特になくとも、この映画が心に残るとするならば、それは、狂言回しを超えてこの映画の「重心」となっているクリスチャン・ベイル演じるアーサーの存在あればこそ、だと思います。
正直言って、ブライアンとカートの「愛」や、何が問題となって二人が別れることになったかは、今ひとつわかりにくいし、冒頭のオスカー・ワイルドの件りを始め、「アーティスト=ゲイ(またはバイ)=選ばれし者」みたいなところは、いささか鼻につきます。それだけだったら極めて底の浅い映画になっていたと思いますが、そうならなかったのは、同じ時代を共有し、しかし自らが中心となることなどあり得なかったアーサーの人生をも描いているからです。
クィアーを誇示し、演出できる人たちはまだいい。また、それを一時のファッションとして消化する人間もいるでしょう。
でも、決して「彼ら」にはなれず、ただ見つめているだけの人間にだって人生はあるのです。
決定的な「何か」に出会ってしまったことで、たとえば自らのセクシュアリティを自覚したとしても、自分自身や周囲がそれを受け入れるのは多くの痛みを伴うことであり、たとえ受け入れられないままであっても、その先にも続く長い道を人は歩いて行かなくてはならない。
「セクシュアリティ」の部分を、他の何かと置き換えても同じことです。
初めて「彼ら」と出会った十代の頃の浮き立つような気持ち。それによって認識した自己のありようが、社会的にも親兄弟からも侮蔑され、差別される類いのものだということを、否応なく思い知らされる苦痛や屈辱。
アーサーが家を出るきっかけとなった或る出来事は、見方によってはただ恥ずかしく滑稽な状況なのに、正視できないほど痛ましく切ないです。
そんなあらゆる意味で「痛い」行動や自意識の直中にある少年アーサーと、多くのものを断念し、諦念や悔恨や喪失感を抱えながらも、自立した社会人として生きる二十代後半のアーサー。
ひとりの人間の、その時その時の生や佇まい、そして時のうつろいの中、なお残る痛みをも的確に演じ分け(という言葉では追いつかないほど)体現し得たクリスチャン・ベイルは、映画公開当時24歳でした。
天才はここにいる。彼こそが天才だ。
声を大にしてそう言いたくなるほど、この映画のクリスチャンは素晴らしいです。
アーサーの人生にほんのひとときだけ与えられた奇跡のような時間。
ファンタジックな演出ともあいまって、あれは果たして現実に起こったことなのかと、観終えた後で思いました。
でも、たとえあれが現実でないとしても、そのひとときこそアーサーが自らを解放し、真の自分として生きることのできた時間だったのです。
まさに夏の夜に見た夢のように。
その一瞬の至福の時があればこそ、彼はその後の人生を送って来られたのだと思うと、胸が詰まるほど切なく美しいシーンでした。
多くの嘘や欺瞞で固められた人生であっても、「あのひととき」だけは永遠に美しく、輝きに満ちている。
それこそが、この作品のテーマでもあったと思います。